例によって「ボンッ」からの「びよよーーーん」で、重右衛門が江戸時代に戻って来た。二回目ともなれば慣れたものである。一回目の緊張感も無く、むしろ珍しいものでも見つけてやろうという、好奇心に満ちた目で辺りをキョロキョロしながら現れた。

 「いかがでございましたか、重右衛門さま?」

 鐘楼堂の下で待っていた菊乃が出迎える。

 「うむ。確かに人相画で見たかずえなる女がおりもうした。俺を見たあやつは事態が飲み込めず、へらへらと阿呆のように笑っておったわ。しかし、相手方との無用な接触ははばかるべきというお菊どのの忠告通り、何も告げず斬り倒して参った」

 重右衛門が女を斬った。しかも何の躊躇いも無く。その事実は菊乃の胸を締め付けた。それは「重右衛門には、そんなことはして欲しくなかった」などという的外れな感傷によるものではない。江戸時代という、厳しくて慈悲の無い時代そのものに対する畏怖と、その時代に生きた人々の強さへの賛美の想いだ。天下泰平と謳われた江戸時代ですら、平和な時世の軽薄な時代劇に描かれるような、安楽な世界などではなかったのだ。それを目の当たりにして菊乃は、自分達が行っていることの意味を、もう少しだけ深く理解できたような気がした。


 重右衛門は今回も、仕事が済むと直ぐに秀之進の待つ家に帰ってしまったが、『文永寺』に取り残された菊乃と拓海は何となくそこに留まって話し込んでいた。菊乃のまだ帰りたく無さそうな雰囲気を察知し、拓海がそれに付き合っている格好だ。

 「この前の話だけどさぁ・・・」

 「この前?」

 「江戸時代の神蔵一族が令和に干渉してるってやつ」

 鐘楼堂の石積みに腰かけて、脚をブラブラさせている菊乃の隣に拓海が腰を下ろした。

 「あぁ、あれね。あれがどうかした?」

 「ぶっちゃけ聞くね。あんた・・・江戸時代の人なの?」

 二人は見つめ合う形になったが、拓海の方が先に視線を逸らした。そして手にしているタブレットを弄びながら答える。

 「そうだよ」

 菊乃が息を飲む。

 「と言っても、生まれが江戸時代なだけで、育ちは平成だけどね」

 「??? 何それ? どういう意味?」

 拓海は困ったような表情だ。だが、彼がそんな表情をしたのは、決して説明が難しいからではなかった。

 「どういう意味も何も無いよ。言葉通りの意味さ」

 「だから判らないって!」

 それは、この事実が彼にとって、とても重要な顛末をもたらすことを知っていて、それを飲み下し切れない想いが彼の表情を曇らせたのだ。

 「んん~、何て言えばいいのかなぁ・・・ 現住所は令和だけど、本籍は江戸時代・・・ みたいな?」

 「わざと判り難くしてるでしょ!?」

 ただこの時の菊乃は、全くそのことを知らない。

 「してないってば」

 「じゃぁさぁ、いつもご挨拶してる文永寺のご住職は・・・」

 「あれは僕のお爺さん。ご先祖様じゃなく、正真正銘の祖父だよ。先々代のトランスポーターさ」

 「あなたのお父様が先代ってこと?」

 「うん。でも・・・」

 そう言えば拓海の両親に会ったことは無い。何か自分の知らない事情が有るのだろうか。菊乃はそんな気がして、それ以上のことを聞くことが出来なかった。江戸時代の非情さを、ついさっき感じたばかりではないか。問い詰めて良いような話ではないのかもしれない。

 その代わり菊乃は拓海の肩に、チョコンと自分の頭を預けた。

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