重右衛門が秀之進の待つ自宅に向かって問屋街を歩いていると、数間ほどの距離を保ちつつ、それを追う者の姿が有った。それは町人風の風情で帯刀はしておらず、着物の裾の後ろの部分を帯の中にたくし上げた、いわゆる尻はしょりの身軽な格好をした男だ。曲がり角や天水桶てんすいおけ(火消し用の水を貯めた桶)の陰、或いは行き交う人々の雑踏に紛れながら、付かず離れずの間隔を保って尾行する手際は、その筋に熟練した者とみて間違い無いだろう。後をつけられている重右衛門といえば、そんなこととはつゆ知らず、能天気にブラブラと街を散策している風だ。そして彼はフラリとした様子で、細い路地に入っていった。

 程なくして例の追っ手も路地に進入する。しかし男がその先に見たものは、板塀によって遮られた袋小路だ。しかもそこに重右衛門の姿は見当たらず、突然の侵入者に驚いた野良猫が、ピョンと塀の上へと跳び上がる姿のみであった。

 「!!!」

 慌てて振り返った男は、直ぐ背後に立つ重右衛門の存在を認めた。しかもその手は既に腰の刀に添えられており、重右衛門にその気さえ有れば、とうの昔に斬り捨てられていたことを物語っていた。

 「しれ者め。俺がそこもと(お前)の稚拙な追跡を察知できぬとでも思ったか?」

 「うぐっ・・・ くそっ」

 「聞こう。何者だ? そして何故なにゆえに俺をつけた? 返答次第では・・・」

 そう言って鯉口を切る(つばを親指で押して、鞘から少しだけ刀を抜いておくこと)重右衛門は、居合抜きの如く腰を落として抜き打ちの体で構えた。

 追い詰められた男は「うぁーーーっ!」と大声を発したかと思うと、脇に立てかけてあった木材や竹材をバタバタと重右衛門に向かって押し倒す。さすがの重右衛門も、この意表を突く反撃を予期してはおらず思わず退いた格好だが、それは二人が抜き打ちの間合いから外れたことを意味し、距離を取ることに成功した追っ手に有利な状況を作り上げた。しかも枝垂しだれかかる木材は九尺五寸(約三メートル弱)もあり、重右衛門の咄嗟の後退をもってしても、それらが彼の頭上に降り注ぐことを避けることが出来なかった。

 ガラガラガラ・・・

 「くっ、くそっ・・・」

 両腕を使って、雨霰あめあられと降り注ぐ木材を振り解くようにかわした重右衛門の視界が開けた時、彼を尾行していた男の姿は既に消えていた。地面に薙ぎ倒された木材が巻き上げる土埃が、薄暗い路地に差し込む日差しを浴びて、柔らかな空気の流れを映し出していた。

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