「つまり、憤気の波が低い時代に、現代の憤気そのものを持っていってしまうってこと。ちょうど数学の授業で習ったサイン波の山を削って、谷を埋める様なイメージかな」

 「決して数学が判らないんじゃなくて、そもそも意味が判らないんだけど・・・」

 まったくもって男子って、特に理数系はわざわざ話を判り難くしている様にしか思えない。左院派って何だ? それって、数学じゃなくて公民じゃないのか? それとも日本史だっけ?

 「まぁ、そういうことにしとこうか。江戸時代の重右衛門さんが山崎を始末することによって、山崎に紐づけられた憤気は直接手を下した重右衛門さんの時代に移植されるんだ。あの頃は天下泰平の世で、元々憤気レベルが低かった時代だから、山を削って出てきた土を持って行くには好都合だしね。

 逆に言うと、現代人が山崎を始末しても、それ以上の憤気の上昇は抑制されたとしても、発現してしまった憤気そのものは、そのまま現代に残留してしまう」

 菊乃の頭の中では、腰に紐を付けた重右衛門が、「左院派」と書かれた箱をいくつも引き摺って歩いていた。頭をブンブンと振って、その間抜けなイメージを振り払う。

 「だからわざわざお侍さんを連れてきて、自分の借金をご先祖様に払わせるようなことをしているって言うの?」

 「あははは、面白い例えだ。まさにそういうこだね。代々このことわりを伝え、人知れず世の安泰を守り続けてきたのが、僕たち神蔵一族なんだ。神蔵は太古の昔からトランスポーターとして、過去と現在の橋渡しを課せられた一族で、憤気をコントロールする仕事・・の主導的立場にいる」

 「随分と由緒正しそうだけど・・・ まさか飛鳥時代とか奈良時代が発祥だとか? ひょっとして縄文、弥生?」

 「さぁ。どうかな? 記録が残っているわけじゃないし。そう言う君の実家、和菓子本舗『澁谷』だって、なかなか捨てたもんじゃないよ。渋谷一族だって長年リクルーターとして、この時代を超えたプロジェクトに参画し続けている古参メンバーと言えるからね」

 そう言って拓海は笑った。

 「この店の裏の土間にある石積み。あれが人をタイムリープさせるランチャーなのは君も知っている通りだけど、あれは元々、文永寺の鐘楼堂だったってことには気付いてるよね? お寺はとうの昔に廃業して、今では石積みしか残っていないけどね。

 その厳密な作動原理は判らないし、どういった経緯でランチャーとしての機能を持つに至ったのかも判らないけれど、僕は脈々と受け継がれてきた神蔵一族の使命を果たすべく、鐘楼堂を守りつつ未来に干渉しているってわけ」

 「えっ? 未来に干渉? 私たちって、過去に干渉してるんじゃないの?」

 「それは違うよ。過去への干渉はリスクが大きいだろ? それは歴史への冒涜とすら言える。だから江戸時代の神蔵一族が現代に出張してきて、令和の時代に干渉していると言った方が正解だね」

 「頭がこんがらがって来た・・・」

 菊乃は目を白黒させてため息をつく。

 「とは言え、さっきも言ったような世界レベルでの上昇は、僕たちだけの力では抑え込めなかったわけだけれどもね。大正時代に常駐していた神蔵は、当時の日本の帝国主義者たちが大陸進出を目論む動きを見極めることが出来ず、中国本土への侵略を許してしまったんだ。それが第一次世界大戦の発端となった」

 「第一次? それって日本は勝ったんでしょ? 中学の歴史の授業で習ったよ」

 「そうだよ。でも、この行為が対日感情の悪化を招いたことは否めないだろ? それが令和になった今でも影響している事は知っているよね? 同時に、第二次世界大戦への布石となったことも忘れてはならない。その流れで朝鮮半島との関係も、修復不能な状態にまでもつれ込んでしまった」

 「な、なるほどです」

 なんだか自分が、途轍もなくアホっぽいことを言ってしまったような気がして、菊乃は落ち込んだ。でも拓海は、その頃に思いを馳せているようで、悔しそうに続ける。

 「あの当時の神蔵がそこまで読めていれば、もっと前に手を打つことも出来たかもしれないのに・・・ 難しいよね」

 菊乃は先ほどから気になっていたことを聞いてみることにした。アホっぽい疑問じゃなきゃいいけど。

 「ひとつ質問してもいい?」

 「もちろん。一つと言わずいくつでも聞いて」

 「そうやって憤気を運び続けたら、いずれ江戸時代の憤気が積み重なって、パンクしちゃうんじゃないの? 天下泰平のはずが、また戦国時代みたいになっちゃったり」

 心配は杞憂だったようだ。拓海は笑いもせず誠実に答える。

 「それなら心配は要らないよ。だって、行き来できる時間の間隔は、何故か385年と決まっているんだから。その385という数字にどんな意味合いが有るのか僕には判らなけど、つまり2020年の憤気を捨てられるのは1635年だけ。2021年の憤気は1636年にしか持って行けない。この摂理に則っている限り、過去が書き換わる程の極端な移植は出来ないようになってる。

 逆に言うと、1635年の神蔵一族は2020年に干渉出来たわけだけれども、その結果、2021年がどんな年になったかは、1636年になってみないと判らなかったんだ」

 益々混乱して、考えることを諦めてしまいそうな自分の脳に鞭を打つ菊乃。自分だって馬鹿じゃないってところを示さねば。

 「となると都合が悪い事態も想定できなくない? だって、385年前の憤気レベルが低いとは限らないじゃない」

 「意外に鋭いね、菊乃」

 「意外には余計でしょ!」やっぱり馬鹿にされてた。

 「第一次世界大戦が始まったのは大正3年、1914年だから、その385年前は1529年ってことになる。第二次世界大戦だって1939年だから、385年前は1554年だ。それらは丁度、戦国武将が群雄割拠する戦国時代だろ。当然ながら、戦に明け暮れる当時の人々の負のエネルギーは相当なもので、とても憤気を移植する余地が無かったことは想像に難くないね」

 「つ、つまり・・・ こういうこと? 憤気を捨てるに捨てられなくて、二つの世界大戦を避けられなかったと?」

 「御名答。そうならない為にも普段から、小さな山のうちにこまめに手を打つことが肝要なのさ」

 「逆方向は出来ないの? つまり世界大戦前の憤気を・・・」と指折り数えて暗算する菊乃。「2300年頃の未来に持って行って戦争を回避するとか」

 結局、1939+385=2324という計算は出来なかったようだ。

 「それは出来ない。だって1939年に第二次世界大戦が始まったっていうのは、2324年時点では動かし様の無い史実だから。意図的にそれを回避するのは歴史への干渉だよ」

 やはり憤気って得体が知れない。そんな物に関わることが空恐ろしいと菊乃は思った。

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