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「なななんと! お菊どのがそのような・・・」
「詳しい話はご勘弁下さい。ただ、もし重右衛門さまがその気が有るなら・・・」
「うぐぐぐぐ・・・」
お菊の働く茶屋の店先に座った二人は、再び釣りを始めた秀之進の後姿を眺めながら話し込んでいた。重右衛門は出された茶を一気に飲み干し、その驚きと共に飲み下す。
「一つ窺ってもよろしいか、お菊どの」
「はい。何なりとお尋ね下さい。ただし、全てにお応えできるとは限りませんことを予めご承知頂きたく存じます」
「うむ」
混乱する頭の中を整理するため、重右衛門は茶をもう一口飲もうと湯飲みを傾けたが、既に空になっていることを思い出して、それを脇に置かれた盆の上に戻した。
「そ奴はいったいどのような輩なのでしょう?」
「はい。その男は街道筋で駕篭に乗っては、周りの駕篭に難癖をつける、山崎文博と申す者です。相手の駕篭を後ろから追い立てたり、無理やり停めさせ殴りかかるという悪行を何度も何度も繰り返しております。それを今は『煽り駕篭』と呼ぶそうで」
「なんと不届きな。しかしそれだけで・・・」
「はい、仰せの通りです。一つ一つの罪が軽く、奉行所としても大きな手に打って出られないという事情が有るらしく、この男が何のお咎めも無くこの乱暴狼藉を嬉々として繰り返している様を見た世間には、言いようのない憤怒が降り積もっております。もし山崎に天誅が下らぬのであれば、神も仏も無いこの世に正義は在りやと、町の治安が不穏となり始めている次第なのです。また、同じような蛮行を真似する輩も多く、中にはこの煽り駕籠を
「ふむ、なるほど・・・」重右衛門は思案顔だ。
確かに厄介者のようだが、斬って捨てる程のことだろうか? しかし秀之進が腹を空かしているのは事実。ここは一つ、その仕事を引き受けてみるか。どうせこすっからい口入れ(当時の人材派遣業のようなもの)が斡旋する、割の合わない用心棒などで食いつなぐしかない身だし、町の皆が喜ぶのであれば決して悪いことでもあるまい。
「判り申した、引き受けて進ぜよう。ところで・・・」
「ギャラは・・・ いえ、志しとして砂糖を一貫ほどで如何でしょうか?」
「砂糖とな? それも一貫も」
「はい。
この当時の砂糖は南蛮船から持ち込まれる貴重品で、売れば高値が付くため実質的に金銭と変わらぬものと言えよう。それが一貫(約3.7キログラム)ともなれば、当分は食うには困らない量だ。
「承知いたした。で、その手はずは?」
「はい。本日の酉の刻四つ(午後六時半~七時)、もう一度この茶屋へお越し頂けませんでしょうか? そこで詳しいお話をさせて頂きとうございます」
「うぬ、承知した。それでは後ほど。秀之進! 帰るぞ!」
「はい! 父上!」
川縁にいた秀之進は釣竿を跳ね上げると、クルクルと竿を回して糸を巻き取った。そして茶屋まで駆け戻って来る。お菊は秀之進に向かって言った。
「じゃぁね、秀坊。また遊びにおいで」
「うん!」
息子の頭に手を置いた重右衛門は、もう一度お菊に軽く頭を下げた。
「では、お菊どの ─後ほど─ 」
「はい、重右衛門さま ─後ほど─ 」
二人は秀之進に悟られないように目礼した。
連れ立って歩く二人の背中に向かってお菊が手を振っていた。それに手を振り返した秀之進は前に向き直り、重右衛門と並んで歩き始める。
「父上、お菊姉ちゃんと何を話していたのですか?」
「ん? なぁに、ちょっとした世間話だ。気にせずともよい」
秀之進はちょっとだけつまらなそうな顔をしたが、直ぐに機嫌を直したようだ。
「今日はでっかい鯉が掛かりました。でも残念ながら取り逃がしてしまいました」
「そうか、そうか」
秀之進と連れ立って歩きながら、重右衛門はお菊から聞いた話を反芻していた。
─それにしてもお菊どのが、あのような裏稼業を営んでいるとは。人は見た目では判らぬものよ・・・─
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