「へぇ~、そうだったんだ?」

 「そうさ。父上は本当は凄く腕の立つ剣士様なんだ。それなのに・・・」

 秀之進の父は仙波重右衛門といった。

 歴史を紐解くまでもなく、秀吉による天下統一によって戦乱の世が終焉を迎え、それにより大名たちは大勢の家臣を確保する必要が無くなった。これに関ヶ原の戦いにおいて勝利した東軍、家康が追い打ちをかけたことは言うまでもない。徳川幕府は旧・豊臣系の外様大名に大名廃絶政策を執り始め、世嗣断絶よつぎだんぜつによって多くの大名が取り潰された結果、大量の浪人が巷に溢れ出して久しかった。

 江戸時代に入ると、更に家臣の数が過剰となり、重右衛門もそういった時世に押されて大名の召し抱えを解かれた口である。過去の戦で武勲を上げたような、腕に覚えの有る者ほど武士としての身分を捨て切れず、町人としての道が選択できなかったのかもしれない。重右衛門も「いずれは再仕官を」と儚い希望にすがり、息子の秀之進と二人、苗字帯刀を許されたまま武士として貧困に喘ぐ日々を送っていた。

 秀之進にしてみれば、憧れの父が明日をも知れぬその日暮らしに身を落とし、浮かぶ瀬の無い困窮から抜け出せない理由が判らない。本人に問い質しても「時世だから致し方ない」と返すばかりで、その背後にある大きなうねりを見通すことが出来なかった。今、自分達が時代の狭間にいることを理解するには、秀之進はまだ幼過ぎたのだ。

 そこへ重右衛門が現れた。総髪そうはつ月代さかやきを剃り上げず髪を伸ばした髪型。浪人、医師などに多い)の彼は、団子の串を握りしめて話し込む息子を見て、娘に施しを受けたことを悟った。秀之進の方もつい話に夢中になり、父が歩み寄って来るのに気が付かなかった格好だ。「あっ」と言って固まった秀之進は、きっと厳しく叱責されると思い、団子の串を後ろに隠した。

 しかし重右衛門は何も言わなかった。自分の稼ぎでは、育ち盛りの息子に満足に食べさせることも出来ないのだ。武士は食わねど・・・とは言うが、そんな見栄を小さな子供にまで押し付ける法は無い。これも世の流れ。既にそんな時世ではなくなったのだ。こうなることを見通せなかった親に、その窮地から脱する術を持たぬ親に、子を叱る資格など有るものか。

 重右衛門は息子を叱責する代わりに、茶屋の娘に頭を下げた。

 「お菊どの、かたじけない。私が不甲斐無いばかりに・・・」

 武士が町娘に頭を下げるなど、世が世なら有り得ない話である。武士にそのような恥をかかせようものなら、問答無用の斬り捨て御免という時代が長かったのだ。国中の人々は、いまだにその頃の習慣を捨て切れずにいて、娘は慌てて重右衛門の前で低頭した。

 「おやめください、重右衛門さま。かような小娘に頭など下げてはなりません」

 重右衛門は渋い表情で顔を背けた。役立たず自分には、娘の心遣いが痛かった。

 「秀之進、帰るぞ。お菊どのに礼を申せ」

 「そのようなお気遣いは無用でございます。私は秀坊とお話をさせて頂いただけ。むしろ売れ残りの硬くなった団子で、申し訳なく思っております」

 そう言ってお菊は再び頭を下げた。

 心根の優しい娘だと重右衛門は思った。ふと、血の病で先立った妻、お雪の面影が重なった。お雪は十六の歳に重右衛門の元に嫁いできた。重右衛門が十八の時だ。その後、直ぐに秀之進を産んだが、そのまま体調を崩し快復することなくこの世を去った。従い、息子は母親の顔を知らない。父一人、子一人。武家の長男として厳しく育てたため、母親のことで泣きごとを言うことなど一度として無かったが、幼子が母を慕う心持ちが如何ほどのものであるか、武骨な重右衛門にだって刺すほどに判ろうというものだ。お菊の優しさに触れ、そんなことが重右衛門の頭を過っていった。そしてお菊の柔らかな笑顔は、祝言を上げた頃のお雪とどことなく似ているのだと、その時になって初めて気が付いた。彼はいきなり湧いて来た不可思議な記憶だか感情だか判らぬものに狼狽えた。

 「そ、それではお菊どの。失礼つかまつる」

 そう言って秀之進の腕を掴んで歩き出した重右衛門の背中に、お菊が声を掛けた。

 「お、お待ちください重右衛門さま。ちょっとお話が・・・」

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