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時は1635年(寛永12年)、大坂夏の陣で大阪城が落城してニ〇年。豊臣氏が滅んだ衝撃も冷めやらぬ一方で、これから永きに渡って訪れることになる天下泰平の世に向けて、世の中も様変わりを始めた頃だ。この頃から江戸は、華やかで活気に満ちた独自文化を醸成してゆくことになる。
それは浄瑠璃や歌舞伎などの演劇、或いは浮世絵に代表される絵画、または俳句、短歌、連歌として親しまれる文学などの芸術分野だけに留まらず、朱子学、蘭学といった学問分野にまで及んだ。いわゆる「読み・書き・そろばん」の浸透には、この頃に発展した寺子屋が主要な役を演じ、その広まりが国の学問の礎を築いて行くことになる。
それら文化の百花繚乱と急激な時世の移ろいの陰で、時代に取り残された者たちも多く存在していたのは事実で、彼らは江戸の暗部として泥水を啜るように生きていた。
水面に浮かぶ
「秀坊、釣れてる?」
川沿いの通りに面した茶屋から、頭に
「なんだ、お姉ちゃんか・・・」
「なんだは無いでしょ、なんだは」
生意気な男の子に対してもにこやかに返す彼女の姿は、本当の姉のようだ。彼女は秀之進の隣に腰を下ろした。
「元気が無いみたいに見えるよ。どうしたんだい?」
「父上が・・・」
「ははぁ~ん。さては何か悪さでもして、お父上に叱られたんだね?」
「違う。そんなんじゃないさ!」
怒りに満ちた視線でもって秀之進は彼女をキッと睨んだが、怒りをぶつけるべき相手が違うことに思いが至ったのか、また直ぐに俯いた。そして釣竿を立て、針先を手元に寄せる。やはりそこに取り付けられていたはずのミミズは、いつの間にか誰かに喰われてしまっていたようだ。しかし秀之進はそれを認めた後も餌を付け直すわけでもなく、そのまま
それを見た娘が目を丸くした。
「嫌だよ、この子は。まさかもう色気づいちまったんじゃないだろうね? お相手はどこの誰だい? 駕籠屋のお花ちゃんかい?」
彼女の的外れな言いがかりに、秀之進は怒る気力も失せて恨めしそうに顔を見返した。
「あははは、ごめんよ、ごめんよ。ちょっとからかっただけだよ」
そう言いながら彼女は秀之進の肩に腕を回し、彼の肩を揺する。
「言ってごらんよ。私が何かをして上げられるわけじゃないかもしれないけどさ、話を聞くだけだったら・・・」
ぐぅぅぅぅ。
その時、秀之進のお腹が鳴った。あまりに大きな音で響いたため、娘は目を見開いて言葉を失った。開いた口を閉じることも忘れている。秀之進の方もどうしたら良いか判らないらしく、真っ赤な顔で口を真一文字に結び、荒い鼻息を漏らしながら水面に浮かぶ浮子に集中する振りをした。
「ごめんごめん。気付かなかったよ。ちょっとここで待ってな」
そう言って茶屋に駆け戻った娘は、四角い皿に団子を三串ばかり乗せて戻って来た。
「ほら、お食べよ。腹が空いてるんだろ? どうせ売れ残りだ。お代はまけておくよ」
「・・・」
「ほら、食べなよ。いいからお食べ」
最初は彼女の言葉を無視していた秀之進であったが、娘がしつこく繰り返すものだから、ついつい手が出てしまった。気が付くと、いつの間にか三本目に突入していた。
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