汚れが目立つように真っ白に塗られたゴム長靴と作業ズボン。上は調理師用の白衣を着て、板前が被っていそうな白い帽子を頭に乗せているのは、この『澁谷』店主である渋谷史人ふみひとだ。このいかにも和菓子職人然とした男が、勿論、菊乃の父親である。彼は明日の為の仕込み作業をしながら、帰宅してきたばかりの娘に声を掛けていた。

 「今日も行くのかい?」

 彼は大量の小豆を大鍋に出し、冷水を使ってザクザクと景気のいい音を立てながら洗っている最中だ。特に冬場などはお湯で洗えば随分と楽なのだが、どうしても茹で加減の調整が難しくなるので冷水を使う必要が有る。更に彼はこの工程を、単なる「洗い」ではなく「磨き」と表現していて、その磨き加減を判断するのに素手で洗わねばならないらしい。ここで手を抜くと炊き上がった餡に微かな雑味が残るので、手を抜くわけにはいかないのだと言う。地味だが重要な工程なのである。

 「うん。チョットだけね」

 父の声に振り向いた菊乃の口の周りは、シロップ漬けされた栗のせいでベタベタである。今時、お子ちゃまでもそんな食べ方はしないぞ、という感じだ。

 「だって早く見つけないとでしょ? この前みたいなヘナチョコ捉まえて来たら、またみんなに迷惑かけちゃうもん」

 厨房の調理台に張り付くようにしてし損ない・・・・を口に運ぶのに余念がない彼女は、モグモグしながら応えた。仕事に精を出す父親との落差は計り知れない。

 「そりゃまぁ、そうなんだが・・・」と、史人は口ごもった。ヘナチョコなのはお前もな、と言おうと思ったがやめておくことにしたからだ。

 確かに、前回菊乃が連れて来た男は、口だけはいっちょ前のことを言っておきながら、いざとなったら全く使えなかったポンコツであった。肝心な時に頭を抱えてしゃがみ込み、ガタガタブルブル震えだす始末。なんとかして連れ帰った時には、そいつの股間には恥ずかしい染みが広がり ──その汚らしさから誰も近づこうとしなかったほどである── 顔は涙と鼻水でグチャグチャだった。お陰でチーム・・・の全員が駆り出されて、事態の収拾やら何やらに大わらわになったのは記憶に新しい。

 「くれぐれも気を付けて行ってくるんだぞ。決して無理はしないように」

 「判ってるって。大丈夫、大丈夫ーーlっ!」

 あっけらかんと応える菊乃を見て、史人は渋い顔だ。磨きの不足した不本意な餡が炊き上がってしまった時も、彼はきっとそのような顔をするのだろう。

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