第6話 屋根裏

 口穢く罵りながら杭に繫げた矮鶏を足で蹴る。もう片方もちょん切ってやると包丁を振りかざしたとき居ても立ってもいられなくなり言葉をかけてしまった。「ひどい仕打ちを受けるのに結局帰ってくるのさ――その子の気持ち,君には分かるんじゃないの」

 叶が包丁を隠しながら蹲った。

「動物は優しい。時々思うんだ。僕のことを心配する,今はこの世にいない人が,生まれかわって励ましにきてくれたんじゃないかって――例えば親とか」

 矮鶏がむせるように細い声をこぼした。

「あたし,どうしたらいいの」抱いた両膝に顔をうずめる叶のそばで,矮鶏の首に結ばれる藁縄を解いたとき,言葉がついてでた。「一緒に行こうか」

 叶が顔をあげ,目を見ひらいた。

「やっぱ,ここだったか――」男が塀の上から這いずりおりてくる。誠皇晋だ。「臆病者なくせして,女が絡むと無謀になる――おまえは女に弱過ぎる。いつか本当に女で身を滅ぼすときが来るぞ」

「2人とも今のうちに逃げて!――おじいさまと村の人たちが2人を捕まえて,おねえさまたちと一緒にマフィアに引き渡すって話してた」

「おねえさまたち?」誠皇晋が眉を寄せた。

「あたしのおねえさまとその恋人よ……」口ごもってしまう。

「だったら屋根裏に監禁されてる人間も危ねぇな」

「監禁ですって――そんな人知らない」

「以前に泊めた人間がいるって言ってたろ」

「まさか,その人が?」

 誠皇晋が頷く。「普段から変だと気づくことは,たくさんあったはずだ」

「あたし,離れに住んでるから……」

「行ってみれば全てが分かる」家屋に近づき,木製の雨戸をあけようとする。見つかるからやめろと僕は制止した。

「血相をかえた男たちが村中を駆けまわってる。俺たちを捜してるのさ。つまり彼らを束ねる村長の爺さんはこの家に今いない」

 鍵をかけてあるから玄関に回ってくれと叶も口を挟んだが,誠皇晋は力任せに雨戸を開放した。踏面の狭い急勾配をなす階段が眼前にのびている。誠皇晋がしてやったりという表情をむけ,すぐさま階段によじのぼる。靴を脱いでくれと言い,叶が誠皇晋に続いた。仕方なく僕も2人のあとを追う。

 屋根裏の1層目についたようだ。誠皇晋がスマホのライトで室内を照らす。

 窓のない,だだっ広い板の間に小さな卓袱台と一揃いの寝具だけが置いてある。昔のままだと叶が呟いた。母の死後に屋根裏へと続く通路の扉は閉めきられたのだという。「それまではこのお部屋で療養していたの。おかあさまやお役目を終えたオチスイサマたちはみんなここで最期をむかえたのよ」

 誠皇晋が叶に踏みよった。「オチスイサマ?」

「病気や災いを吸いとってくれる 生神いきがみ さまよ。血を吸われる仮想現実を体験した人は生まれかわって幸せになれるの」凛とした態度で答える。「牡丹萬華の家の女は,代々オチスイサマのお役目を担って生きるのよ」

「そんな誇り高き役目を,君は放棄しようとした――訳は何?」

「それは……おかあさまは望んでなかったから。おねえさまとあたしがお役目に就くことを嫌がってた――」

「役目に就くのを望まなかった理由は」

「それは……大変なお役目だから――」

「何が大変なんだ。何を娘にさせたくなかった」

「ちょっと――」僕は間に割って入り,誠皇晋を見あげた。「尋問みたいに聞くな」

「分かんないわよ,分かんない!」背後で急に激昂する。「本当に分かんないけど,おかあさまはお役目のせいでおかしくなってしまったの! それでも正気の戻ったときは,あたしたちが村の外で生きることを望んでた!」

 階上から規則的な音が降ってくる。

「SOSだ――呼んでる!」誠皇晋が部屋を出て階段を駆けあがる。

 2層目の室内に誰か転がっている。だが部屋に入るまえに僕たちは立ちどまり目を見あわせた。

 室外にまで襲来する忌まわしい臭気。長期の拘束による饐えたような体臭は仕方ない。しかしそれを遥かに凌駕する人為汚臭の進撃――彼に独特な香水のにおいだ。

 誠皇晋は民俗学者 溢樽祭いっそんさいたけるに背をむけた。

 当然だ。彼は幼少時代から油断のならない人間だった。仲間と見せかけておいて平気で裏切る。僕たちは繰りかえし煮え湯を飲まされてきたし,誠皇晋の記者生命を間接的に奪ったのも彼だ。親友の情報をリークして大学教授のポストを得た男に,僕は同情の一欠片も感じはしない。

あくた,加護に取りなしてくれないか。放っていかれると僕は殺される」ひどく嗄れた声で言う。水すらもらっていないのか……

「両足と両腕を折られた――胸骨やほかの部分も――もう1人じゃ無理なんだよ」

「助けてあげて」叶が僕の腕に触れた。

 階上から誠皇晋が大声で呼んだ。

 3層目の室内が天窓を貫く月光に照射されている。部屋半分の面積に栽培される薄紅色の花,種々の機械や容器,粉末の入った木箱の連なり――モルヒネ精製施設だと誠皇晋が告げた。

 誠皇晋は何枚か写真を撮って叶と僕を急かし階段を駆けおりた。2層目の部屋を見むきもしない。溢樽祭の声にならない悲鳴が途切れとぎれに聞こえてくる。

「セイノシンの馬鹿!」自棄を起こしたみたいな気分で階段を引きかえす。すぐに誠皇晋が追いこして人を阿呆呼ばわりした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る