第7話 花園

 叶に出してもらった荷車で溢樽祭を河川敷まで運んだ。誰にも見つからなかった。奇跡と言っていい。

 草叢に隠した車の後部に重傷者を乗せ,それぞれ所定の座席に飛びのる。しかし叶は乗らない。恋人と逃げている姉を見捨てて行けないと言うのだ。

 昼間,横穴で見た男の特徴を伝えた。彼こそが叶の姉の恋人であると知れた。溢樽祭に水と食料を与え,車で待機させることにした。

 横這いになって穴に入り,しばらく匍匐前進した。穴は広がり正常の歩行が可能になったが,日常の運動不足が祟って息切れに襲われる。誠皇晋と叶とは頗る元気だ。競って先を急いでいる。2人の目を盗み穴の側面に凭れかかる。え?……反発作用がない。声を発する間もなく土壁に吸いこまれた――

 横穴のまた横穴だ! 垂直に近い孔路を滑降していく。とまらない,とめられない――視界の果てに浮いた点が滲み膨らみ飛び散って全身をつつみこむ――蔦と蔦との隙間から月光の降る球体域に投げだされる。操られるみたいにゆっくり落ちて薄紅色に染まった。

 花のなかにいた。幾片にも重なる薄紅の花弁を戴いて牡丹芥子が一面に密生している。

 誰かが背後から来る。上半身を起こしセイノシンかと聞いた。両肩を抱きよせられ頸部を嚙まれた――

 ただ涙がとめどなく流れた。僕の映る,凍てついた尖る瞳に感情が戻り,涙が溢れた。僕たちは微動だにしないままひたすら泣きつづけた。男が近づいて彼女の長い髪を愛しげに撫でた。「 しるべ さん ―― お役目はもう済んだのです。僕のことだけ思ってください」

 彼女が僕から離れ,男の胸に身を寄せた。

「吸血鬼の噂を流したのは僕です。奇異な情報に人が集まれば呪わしい風習が白日の下にさらされ,犠牲になっている導さんを自由にできると考えたからです。村は麻薬を製造し密輸しています。製造した薬の効果を確かめるために,毒味役に利用されたのが,村の守り神であるオチスイサマです。薬の副作用と中毒のせいで彼女たちは壊れていくのです!」

「裏切り者の御守みもりめ!」崖の側面を削ぎおとして設けた道を,村人たちが埋めつくしていた。引きずられるように溢樽祭がつれてこられる。ヘラヘラ笑って背に腹はかえられぬとかほざいた。

「御守よ,母親が大事なら大人しゅう降参しろ」叶の祖父の村長が,荒縄で拘束された守里を松明の火で照らした。

「もうやめましょう」守里が穏やかな口調で言う。「私たち年寄りが刑に服すれば村がなくなることもありますまい。若い者たちが自分たちの方法で村を守ってゆけばよい」

「若い者らは村を捨てて出ていく! そんなら村はどうなってしまうんじゃ!」

「それならばそれでよい。人の命を奪ってまで守らねばならん村などなくなってしまえばよいのです」

「そったらこと,あってたまるか!」村長が守里を突きとばした――紙切れのように舞って音もなく落下する。御守がおかあさんと呼んで駆けよった。

「稀代の名医,医者もどきに看取らるる」噴きだすように笑ってから目をとじる。その母を抱いて揺さぶりながら御守が叫んだ。「なります! 必ず医者になってみせます!」

「観念しろ,一部始終を動画で配信してるからな」誠皇晋がスマホを掲げながら姿を現した。村人が次々と松明の火をおろし,顔を背けた。

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