第5話 洞の人

 横穴の入り口は直径1メートルほどだが,奥へ行くにつれて膨らんでいるようだった。外界から射しこむ光の届く範囲はわずかで,内側の様子はしかと把握できない。

 ……何だ,あれは……鬼火なのか。横穴の奥深くから炎がゆらゆら揺らめきながら浮遊してくる。

 違う。誰かが松明を掲げて近づいてくるのだ。波打った長い髪,その髪がかぶさり時折垣間見える顔面の頰はひどくけて落ち窪んだ目は異様な趣を含みながら虚空の一点を凝視している。横穴上部に頭が達しそうになると身を屈めて松明を足もとに突きさし,姿勢を戻しながら踝まで隠す外套を片腕で翻した――ドラキュラ伯爵。映画で見た吸血鬼さながらの男だった。

「あなたですか,吸血鬼は」自分でも驚くくらい大胆だった。

 完全に視線があった。

「堪忍して!」後ろから声がする。白髪頭を乱した老女が岩塊を振りおろそうとしている。だが――岩塊を制御しきれずよろめいて転倒してしまう。体勢を整え再び岩塊を抱えようとするが,突如激しく咳きこみ,口もとを押さえたまま身を丸めて両膝を折る。手指の隙間から赤いものが流れおち岩塊を染めていく。

 症状が落ちついてから守里まもりを背負って河原の藪道を歩きだした。

「何代も医者をしてきた薬師くすし家の頭領ですよ。それに自分の体です。息子らは感冒だの肺炎だのとごまかしておりますけれど末期の癌です。今すぐ逝ってもおかしゅうはない最末期の癌でございますよ」朗らかに笑ってから深い呼吸をした。「あれも息子です。1人だけ医者になれませんで,色々あって村からも爪弾きされておるのです。人一倍優しいために気苦労の絶えない不憫な子です――」

 守里の全身に緊張の漲るのが背に伝わった。藪のなかに隠れろと言う。河川敷にそわせて築いた堤防の上を大勢の人間が走っていく。守里の手引で獣道や脇道を通って集落に戻ったころには夜の帳につつまれていた。薬師家の浴場を抜け,蔵の裏へ回りこめば土塀がのびている――牡丹萬華邸の土塀だ。出入りできそうな石垣の崩れがある。

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