第2話 鶏に乗られ少女を乗せる

 急ブレーキがかかる――

 グローブボックスにぶつかりそうになって文句を言えば,シートベルトをしないからだと非難して車を出ていく。戻ってくれば矮鶏チャボを抱いている。片肢がなかった。「刃物で切断されたみたいだ」誠皇晋が車に乗りこみ,舌で口蓋を打ち鳴らすと,矮鶏は目を細めてくぐもった喉音を漏らした。

「それ,うちのです」少女が車のまえに立っている。

 誠皇晋が車から出ようとするなり,矮鶏はけたたましい声を発して車内を飛びまわり,挙げ句の果てに僕の頭にとまった。片肢の蹴爪が頭皮に食いこんでくる。どうしても車からも頭からもおりようとしない。

「小動物に好かれるんだよ。優しい性格なのが分かるんだろうな――俺だけにはヤンチャ坊主なんだけど」誠皇晋が助手席に一瞥を投げ,家まで送ることになった牡丹萬華 かなえに笑いかけた。

「分かる,分かる!」いかにも利発そうな物怖じしない瞳を輝かせ,運転席と助手席との間に首を突きだしてくる。「思いどおりになりそうって感じする!」

 彼女の一瞬の見立ては的確だった。とにかく気の弱い性質たちなのだ。他人に理不尽な言動をされても反撃も抵抗もできない。誠皇晋がそばにいた小・中の時代には学校生活を全うすることもできたが,高校になると庇護者と離ればなれになって入学2箇月で不登校になった。8年間ひきこもり,親と死別するなり財産を尽く親族から略奪され,ホームレスとなった。炊きだしボランティアに来た誠皇晋と再会し,彼に拾われたが,ほどなく中学時代の憧憬対象に誘われ,彼女がママをする店でボーイとして働いた。2年も順調だった。生きていけると仄かな自信すらわきはじめた矢先,事は起こった。帰る場所すら失い,2週間まえに誠皇晋のもとに転がりこんだきり蛆みたいに息を潜めて日々をやり過ごしてきた。誠皇晋がいなければ間違いなく僕は死ぬ。死にたいくせに死ぬのが恐い,情けなく覇気もない惨めな自分が嫌いでたまらない――

「俺は好きだよ」前方を見据えたままはっきりと言う。「スポンジみたいにぐにゃぐにゃして何ものにもぶつからないところに癒やされる。まえの仕事を辞めたときも,こいつがいたから自棄を起こさないで済んだ」

 誠皇晋は新聞記者だったが,国会議員の逆鱗に触れたために,辞職という手続きが本人抜きで進められ,いつの間にか解雇されていた。誠皇晋が議員の事務所に乗りこもうとしたとき,ホームレスが1人死ぬだろうと僕は呟いた。それは我が身の明日を憂えるエゴの塊をちらつかせたに過ぎなかったが,結果的に友を思いとどまらせる言葉となったのだった。

「2人はいいな……本当の友だちがいて」叶が首をひっこめ後部座席に身を沈めた。「あたしには誰もいない」そう言うなり再び頭を挿しこみ囁きかける。「おじさんたちの彼女になってあげる――」目がまともにかちあった。潤んだ瞳が凄みを帯びてくる。「だから村からつれだしてよ。ねえ,いいでしょ……」

 誠皇晋が叶の額を軽く押しかえした。お河童頭の髪がさらさらと揺れる。「何よ――あたし,レベル高いほうだと思うけど」

「レベル高い子は自分から売りこんだりしない」誠皇晋の忠告に,叶は頰を膨らませ,窓外へと視線を流した。目つきの大人っぽさにどきりとした。

 後方へと過ぎる風景が俄に速送りされた。車が加速したのだ。矮鶏がクワックワックワッと興奮しはじめた。ポロリと膝に何かが落ちてくる――卵だ。スラックスの生地を通して熱が伝わった。

「おまえ,すげぇな。頭で産卵さしてんでやんの――普通なくねぇ? マジうけるわ」

 車内が笑いにつつまれた。

 樹林がとぎれて盆地をなす地形に集落が広がりを見せた。山形に組みあわさる屋根の傾斜面を茅葺きする民家が散在している。ほかを圧倒する巨大な屋根を構える民家は石垣を土台とした土塀に囲まれている。集落のなかで唯一塀を巡らせる一棟を指さし,叶は車をつけるようにと指示した。

 門前に黒塗りのベンツが停車していた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る