第26話 仲直り

 優介が公家だという嘘で納得してくれたのを見て取った飛鳥は、ほっと息を吐き出すと

「黙っていて悪かったな」

 いつもの調子に戻ってそう言った。

「いや、ははっ。それは簡単には言えないよ。それに、飛鳥さんが動揺した理由も解ったし」

 雨月は主の危機に思わず言ってしまったのだろうけど、バレると厄介なご身分の飛鳥は動揺して当然だった。藩主の落とし胤以上に江戸の裏長屋にいては駄目な人だったのだ。

「まさか藤本さんよりもややこしいなんて」

 優介はなあんだと酒を飲み、雅なお方かと飛鳥をもう一度見た。

 確かにそう言われると納得するところがある。普段は乱暴な言葉を使っているが、その割に下品な物言いはしない。それに立ち居振る舞いはどれも美しい。そのうえ博学である。もともと町人ではないだろうと思っていたが、いやはや、というところだった。

「そう言えば、藤本さんと言えば、お礼を貰ってないな」

 飛鳥はねぎまを摘まみつつ、どうなっているんだろうとそんなことを言う。

「あ、飛鳥さん。そんなにお金に困ってないんじゃあ」

「何言ってやがる。こっちでの生活のお足は自分で稼がなきゃいけないんだ。貰えるもんはちゃんと貰っておかないとな。大体、好きであんなボロ長屋に住んでいると思うのか」

「それは、そうか」

 江戸の物価は高く、公家は落ち目だ。飛鳥が好き勝手に使えるお金が少ないとしても無理はなかった。

「というわけで、高橋にちゃんと払えよって催促しておいてくれ」

「うっ。まあ、はいはい」

 優介は引っ越し準備に忙しい高橋のところに行くのかと嫌そうな顔をしたが、すぐにいつも通りに戻ってくれた飛鳥の態度が嬉しく、明日にでも行こうと決めていた。

「あらあら。本当に仲良しなんだから」

 そして、そんな和気藹々と飲み始めた二人を見て、五日も来なかったことに実は気を揉んでいた菫は、くすくすと笑ってしまうのだった。



「今度こそ年貢の納め時だと思ったのにな」

「まったく、やってくれるぜ」

 その日の夜、長屋に様子を窺いに来た雨月はつまらんという顔をしてくれた。それに飛鳥はやれやれと首を横に振る。

 いつか江戸を離れなければならないことは解っている。優介に真実を告げるにしろ告げないにしろ、別れなければならないのは解っている。しかし、その瞬間を勝手に決めないでもらいたかった。

「こちらは長々と次の長が出掛けていることで困っているんだよ」

「三年なんて鬼にとっては短い時間だろ」

「ふん。だとしても、次の長として様々な祭祀を学び、鬼たちを導かなければならないという自覚を持ってもらうには十分な時間だ」

「ふん」

 ああ言えばこう言うのは相変わらずだ。そしてあの一件を謝る気がないのも変わらないらしい。

「人間を知るのはもういいだろ。お前が知らなきゃいけないのは、鬼の長としての役目だ」

 そして雨月は重ねてそう言った。

「長の、父上の体調でも悪いのか」

 あまりに重ねて言うので、緊急事態なのかと飛鳥は真顔になる。しかし、それに関して雨月はあっさり否定してくれた。

「元気だよ。元気すぎてこちらが困るほどだ」

「はあ。なるほど。柳鬼にしょっちゅう見に行けと文を送ってくるわけか」

「そうだ。時に長、桜大鬼おうだいき様が俺の住まう庵にまでやって来るのだから困る」

「ううん。それは、元気すぎるな」

 すでに二百才のはずだけどなと、飛鳥も苦笑してしまう。しかも雨月は飛鳥の見張りのために江戸の近くに住んでいた。それが京の都からわざわざやって来るとなれば、鬼の足で五日の道のりとはいえ、かなり元気である。

 ちなみに息子が元服するまでは父が桜鬼を名乗っていた。今は飛鳥が桜鬼を名乗っているので区別するために桜大鬼と呼ばれている。

「ただ、人間に入れ込み過ぎることを危惧されているのは事実だ。鬼と人は交わりすぎてはいけない。これは鬼の間での鉄則だ。それを破って江戸に住んでいるのだから、早く戻れと言われるのは当然だろう。さっさとあの優男と別れる決意をしてくれ」

 雨月は言うべきことは言ったと、さっさと立ち上がった。しかし、飛鳥の顔をじっと見ると

「俺たちは人間になれないんだからな。どれだけ上手く化けても、鬼は鬼だ」

 真剣な顔を向けた。それに飛鳥は頷くと

「解ってるよ。それに、今回のことでよく解った。俺と優介は生きている場所が違いすぎる」

 そう付け加え、それでも人間と仲良くすることを諦められないんだよなと俯いていた。

 その昔、この土地の覇権を巡って争ったという人間と鬼。いや、最初はそんな区分ではなかった。自分たちの祖先が負けたから鬼と呼ばれるようになっただけだ。

 しかし、それは長い年月を経て、絶対に踏み越えられない境界になってしまっている。そんなことは解っている。自分たちの一族だけ生きる時間が違うことを、嫌というほど知っている。

「二つに分かれてしまったものは一つには戻らない。だから、もう少しだけ見逃してくれ」

 そっくりで別の生き物を知る時間を、優介と楽しく過ごす時間を、もう少しだけ。

 飛鳥の言葉に雨月は溜め息を吐いたが

「また来る」

 それだけ言って長屋を出て行った。

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