大江戸闇鬼譚~裏長屋に棲む鬼~
渋川宙
第1話 桜鬼
いつの時代も、
あるいは物の怪、あるいは怪異と呼ばれるものは存在する。
それは人の心の隙間に、あるいは町の隅に入り込み、当たり前のように存在している。
そしてここ、八百八町と言われる江戸の町の片隅にも、人成らざる者が住んでいる。しかもそれは、堂々と
さらにはどうやったのか、その者は裏長屋に部屋を借り、人間を友として生きている。
鬼であることをひた隠し、判じ物の先生なんて呼ばれたりしながら生きているのだ。
「暇だな。いや、暇ぐらいが丁度いい」
今日も裏長屋の狭苦しい部屋で、そいつはごろごろと寝転がり、人間とは面白いものだなと考えている。着崩した着流しも粋に見えるその男は、間違いなく人間ではないというのに、今は上手く化けて人間そのものだ。
しかし、その顔が異様なまでに整っていること、細身にしては付きすぎた筋肉が、ただの人ではないことを物語っている。これは化けても誤魔化し切れない部分ということか。
ともかく、上手く人間に紛れ込むことに成功したのは間違いない。
「
だが、それにいい顔をしないのは同族の鬼だ。今日も何とか連れ帰ろうとやって来た幼馴染みは、苦り切った顔で寝転ぶ鬼を見ている。
「今の俺は
桜鬼と呼ばれた鬼は、にやりと笑ってみせる。それに幼馴染みの鬼は溜め息だ。そんな彼も今は上手く化けて武士と変わらない姿だ。
「馬鹿馬鹿しい。そんなことをやって何になる。人間なんて脆弱でずる賢いばかりの存在だ。仲良くしたところで、我らが鬼だと解ればすぐに追い払われる。もしくは殺される運命だぞ。それに人間は我らよりも先に死ぬんだ。仲良くしても、そいつらはすぐにいなくなるんだぞ」
何とか諦めさせようと幼馴染みは説得する。が、桜鬼がそれに応じる様子はない。すでに三年。こうやって人間の振りをして生きている。そして幼馴染みもこの三年、度々江戸の町までやって来て説得する羽目になっている。
「お前は本当にそう思っているのか、
さらに桜鬼に考え方を変えてはどうだと逆に説得される羽目になる。全く以て、なんでこいつと幼馴染みなんだろうと、そんなことを考えてしまう理不尽さだ。
「人間の姿をしている時は
そして諦めてそう言うしかない自分に腹が立つ。
人間の振りをするだけでも嫌なのに。そう思っていても、この風変わりな幼馴染みは意にも介さないのだ。そして様子を見に来るのを当たり前だと思っている。そこがますます腹の立つことだ。
雨月が大きく溜め息を吐いた時、長屋の戸ががらりと開いた。
「おや、雨月さんもいらしてたんですか」
戸を開けたのは、なぜか飛鳥と連んでいる、
「すぐに出る」
こいつが来たら面倒だと、その穏やかだが何も考えていないような面構えの優介にうんざりとし、雨月は立ち上がった。実際、何も考えていないから飛鳥と連んでいるのだろうと、雨月はそう思っている。
「もっとゆっくりなさっては」
優介は追い出す形になってしまったのを気にしてそう言うが
「いや、用事は済んだ。じゃあ、飛鳥。また」
こんな四畳半の部屋に男三人がいてはむさ苦しくて仕方がない。しかも飛鳥も雨月も身の丈が一般よりも大きく、二人でいても圧迫感がある。無理な相談だ。
雨月はそそくさと退出する。その後ろ姿に飛鳥が
「今度来る時は酒でも持ってこい」
なんて声を掛ける。優介が苦手なことを解っていて遊んでいるのだ。
誰が持ってくるかと悪態を吐きたいところだが、雨月は手を振って振り向かずに帰っていく。
「いやあ、いつ見ても雨月さんは男前ですねえ。用心棒なんて荒くれ者の仕事、もったいない面構えですよ」
優介は雨月の後ろ姿を惚れ惚れと見送り、それから戸を閉めて飛鳥の前に座った。その飛鳥はまだ寝転んだままだ。
「あいつに惚れたのかい」
しかし、にやにや笑ってそうからかってくる。
「ま、まさか。っていうか、飛鳥さんも整った顔をしていて、羨ましい限りですよ。とはいえ、飛鳥さんと雨月さんは綺麗の種類が違うんですよね。飛鳥さんはどちらかというと中性的っていうか、まあ、美形ですよ。ところが、雨月さんは男らしい美形っていうか、言いたいこと、解ります?」
それに優介は大真面目にそう答えるのだから、からかっている飛鳥は溜め息を吐くしかない。
「おめえさん。そんな表現じゃあ戯作は売れないぜ」
だから、それだけ言って話を打ち切った。それに優介がこうやってやって来るのは、何か面白い話を仕入れたからだろう。自分たちの顔の評価よりもそっちが聞きたい。
「ああ、そうそう。今日はちょいと困ったことを耳に挟んだんだ。飛鳥さんの冴え渡る頭脳に期待しているよ」
そして優介は自分が貶されたことなんて気にせず、そう言ってへなっと笑うのだった。
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