第43話 桜の木 その1

 尾崎と一緒に、ひとまず教室に帰る。

 後ろの扉から二人で入ると、なぜか教室内の他の生徒からの注目を浴びた。

 なんだろう、と首を傾げて考えてみるが、思い当たる節はない。


 尾崎はまったく気にならないようで、自分の机にさっさと足を進めると、弁当を取り出し、そしてそれを持ってまた出て行こうとする。

 その前に、一度、こちらに振り返った。


「じゃあ、明日からね」

「ああ、うん」

「逃げんさんなよ」


 低い声で、こちらを睨みつけながら、そう言う。


「……うん」


 もう、そう返すしかないので、こくこくとうなずいた。

 尾崎はそれを見て満足そうにひとつ大きくうなずくと、意気揚々と教室を出て行った。


 はあ、と息を吐く。

 そして自分の席に着いて、カバンの中から昼飯のパンを取り出そうとしたところで。


「おい、神崎……」


 ふと話し掛けられ、そちらに振り向く。クラスメートの男子三人で構成されているグループが、近くの机一つを囲んで座っている。それはいつもの昼休憩の光景だ。

 しかし一人が、椅子に座ったまま、少し身を乗り出すようにして、上目遣いでこちらをうかがっている。

 なんだなんだ。


 よく見ると、その三人だけでなく、何人かがこちらに耳をそばだてているのがわかった。

 なんだなんだ。


「お前……」

「うん?」

「お前、尾崎にシメられよったんか」

「えっ」

「大丈夫か?」


 本当に、心底心配しているような声音だった。


「いや、なんで?」


 どうしてそんなことを急に、とそう訊き返すと、一人がおずおずと口を開いた。


「いや……なんか、さっき……階段のところにおったのを見たヤツがおってのう」


 ……ああ、なるほど。

 その目撃したのが誰かは知らないが、ヤバいヤバいと教室に返ってきたのだろう。

 それで注目を浴びる事態になったのか。


 うーん、と考えてみる。

 シメられていた。

 まあそう言えなくもない……のか? 足で壁ドンされたし。

 いやいや、そんなことはないだろう。


「ああ、いや……見解の……相違? でちょっと言い争い? みたいになっただけ……いうか……そんな感じ?」


 どう説明したものかわからなかったので、そういう曖昧なことを言ってみた。

 すると、皆が一様にほっと息を吐いた。


「ほうよのう、お前ら、園芸部で仲がええもんのう」


 気が抜けたのか、明るい声でそう返される。

 しかし、階段に呼び出されて二人きりで話をしていたというのに、誰も、コクられていた、とは誤解しないのだな、とちょっと複雑な気分になった。

 しかも、男子が女子にシメられるって。情けなさ過ぎる誤解だ。


 いや、やっぱり足で壁ドンがいけない。

 きっとその場面を目撃されたのだ。うん、そういうことにしておこう。


「仮にシメられとったとしても、俺、一応男だし、そんな心配せんでも」


 ……いいよな? と少し不安になった。

 すると、一人がひらひらと手を振って言う。


「いやあいつ、三年の先輩にも仲いいのがおるけえ、怖いもんなしな感じするし」

「ふうん?」


 そうなのか。中学の先輩とかがそのままいるのだろうか。

 園芸部には先輩はいないし、仲がいい先輩というと、そんなところか。


「ああ、女子バレー部の先輩じゃろ?」

「三人組の」

「知っとる知っとる。前に話しよるの見たことあるわ」

「あれ、どういう繋がりなん? 中学の先輩じゃないで。ヤンキー繋がり?」


 そんなことを三人でワイワイと話している。

 すると。


「ヤンキーとかなんよー」


 なぜか近くの女子まで会話に加わってきた。

 確か、その子はバレー部だったと思うので、それでなにか知っているのだろう。


「先輩らはー、ちょっと厳しいけどー、そういうんじゃないよー」


 少しふてくされたように、そう言う。


「たぶんねー、あれよ。尾崎さん、なんか先輩に謝りよったことがあるけえ」

「謝る?」

「生意気ですみませんって」


 なんだその謝罪は。


「なんかー、わからんけどモメたんじゃないん? でも別に、普通なよ? 尾崎さん、すれ違ったらちゃんと挨拶しよるし、先輩も普通に返しよるよー」

「へえー」

「先輩らはー、そんなヤンキーとかじゃないんじゃけえ、変なこと言わんといてや」


 そう言って、唇を尖らせている。

 どうやらそれが気に入らなくて、話に割り込んできたらしい。


「尾崎さんも別に、言うほどヤンキーじゃないしー」


 ねえ? とこちらに向かって同意を求めるので、うなずく。


「まあ、格好は派手なけど、普通?」

「中学のころは、けっこう怖かったけどのう」

「よう呼び出されよったで」


 もしかして、家のこととかで中学のころは荒れていたのだろうか。

 そういえば、やけに喧嘩慣れしているようなところもあったし。

 そうだとしたら、落ち着いたようでなによりだ。


「ふーん。まあ、シメられた、とかじゃないんならええけど」


 そう言うので、とりあえずは納得してもらえたようだった。


 そこで、ふと、思いつく。

 バレー部の子のほうに向かって言った。


「その先輩の……謝ったとかいうの、いつぐらいの話?」

「え? いつぐらいかなー……二年になってすぐくらいじゃけえ……五月くらいじゃなかったかいねえ」

「そうなんか」


 つまり、トイレがどうのこうのでモメたという件で、謝ったということか。

 たぶん、川内を巻き込んでしまったから、事が大きくならないようにと謝罪したのだろう。

 本当に尾崎は、川内のためなら多少の無理はするんだな、と思った。義理堅いというか。

 あれか、ヤンキー特有の義理と人情というやつか。

 ……いや、考えないでおこう。


 あ、待て。

 じゃあ五月くらいには、もう話がついていたんじゃないのか。

 傍におってあげてって、あれ、どういうことだ。

 それなら、別にお願いされなくても大丈夫だったんじゃないのか。


 ……つまり、いらぬ世話を焼かれたわけだ。

 やっぱり尾崎は、過保護な姉だ。


 その場は、俺のことはもう関係なく、話がどんどん脇道に逸れていっていた。


「あれじゃん? 木下と付き合いよるけえ、落ち着いたんじゃないんか」

「えっ、あの二人、付き合いよるん?」

「付き合いよらんのん?」

「どうなん、そこんとこ」


 当然、こちらに確認してくる。

 皆の視線を受けて狼狽しつつも、なんとか答えた。


「いや、幼馴染で仲がいいのは聞いとるけど、付き合いよるとかは知らんで?」


 とりあえず、そう誤魔化す。


「ほうかー」

「まあそんな感じじゃないよのう」


 皆、それ以上は食いついてくることはなかったので、なんとか誤魔化せたらしい。

 秘密だ、と尾崎は言っていた。

 もしこれで二人が付き合っているとバレてしまったら、今度こそ、シメられる。

 壁ドンじゃなくて、身体ドンの憂き目に遭う。たぶん。


 とにかく教室でこのまま皆の中で一人で食べるのは、どうにも気まずいので。

 俺はパンを持って、校内をさまようことにしたのだった。

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