第41話 踊り場で その1

 そのあと、作業を終わらせ、教室に戻る。


「おはよー」

「はよー」

「昨日、どうじゃったん?」

「うん、割とすんなり、引っ越しできたよ」

「よかったな」


 そんな話をして、席に着く。

 いつも通り。


 遅れて川内が教室に入ってきて、皆に声を掛ける。


「おはよう」

「おはよー」


 これもいつも通り。


「今日からまた復活するけえね。よろしくー」

「ホンマ? 無理せんでもええけえね」

「大丈夫よー」


 まるで、何事も起きていないかのような、朝の時間だった。


          ◇


 そうして、尾崎のじいちゃんが介護施設に入居して、園芸部の活動はまた四人に戻ることになった。


 サボテンはすくすくと育っていたし、畑のネギもピーマンもナスもあっという間にどんどん伸びていた。

 俺たちのプランターに植えられたコスモスやマリーゴールドも九月には花を咲かせるのではないかと思う。

 それから、部員募集のポスターを何枚か描いて、生徒会のハンコを貰って、掲示板に貼ってもらってもいる。


 なにも、問題はない。順調すぎるくらいだ。

 ただ、俺はあの翌日から、朝の温室に立ち寄らなくなっていた。

 放課後の部活も、俺は主に畑や花壇の雑草を抜いていて、温室には向かわなかった。


 なんとなくだが、あそこに今、立ち入りたくなかった。折れてしまったテーブルヤシがどうなったのかも見たくなかった。


 あの日の放課後、天窓に油を差すために一度だけ温室に向かった、それくらいだ。

 それも、黙々と脚立を立てて、折れてシナシナになったテーブルヤシが目に入らないように、視線を移さずに作業をしたという体たらくだ。

 俺のそんな様子になにか感じるものがあったのか、誰も俺に話し掛けてはこなかった。


 帰り道はいつものように、四人で帰る。俺は自転車を引き、カゴには四人分の荷物が乗せられている。

 けれど川内と俺は、必要最低限の言葉しか交わさなくなってしまった。


 最初、川内は自転車に荷物を乗せるのを躊躇していたが、俺が一言「乗せて」と言ったら、「あっ、うん、ありがと」と慌ててカゴの中にカバンを入れた。

 怖がらせているのかな、という気はしたけれど、だからといってフォローはしなかった。

 

 俺は、なにをしゃべればいいのかわからなかったし、元々そうだと言えばそうなのだが、川内も積極的に話し掛けてくることもなかった。


 ときどき、尾崎と木下は心配そうに俺たちを見ていたが、その視線には気付かないふりをして、数日を過ごした。


          ◇


 昼食は、サボテンの芽が出てからは温室で食べるようになっていたが、俺はあの日以来、教室で食べることにしていた。

 お一人様、再び、だ。


「いやもう、ホントに暑くて。俺、暑さに弱いんよ。ホント、ごめん」


 だのなんだの言ってなんとか逃れてきたのだが、ある日の昼休憩、温室に行く前、尾崎が俺の前に立った。


ちぃとちょっと話があるんじゃけど、ええ?」


 顔はニコニコと笑ってはいるが、目は笑っていない。これはご立腹だとすぐにわかった。


「先行っとこ。先」

「え、う、うん……」


 木下は川内を連れて教室を出て行く。

 それを見送ったあと、尾崎も俺を教室から連れ出した。

 そして階段の踊り場に俺を引っ張っていく。


 俺を壁際に置いてその前に立った尾崎は、いきなり足を振り上げて、ドン、と俺の横の壁に足の裏を押し付けた。

 ご立腹なんてレベルではないようだ。というか、これも壁ドンというものに含まれるのかな、とそんなバカなことを考えた。


「ウチは怒っとる」

「うん」


 見ればわかる。


「なにがあったか知らんけど、謝っときんさいね」


 その言葉に返事はしなかった。

 それが尾崎の怒りをさらに増幅させたらしい。


「なんなん? 謝る気はないん?」


 そう言って、さらに目を吊り上げてこちらを睨みつけてくる。


「それは、川内からなにか聞いて、それで俺が悪いと判断して言うとるん?」


 できるだけ冷静さを保った声でそう言い返すと尾崎は、はあ、とこれみよがしにため息をついたあと、足を下ろした。


「なんも聞いとらんよ」

「なのに俺が悪いと一方的に決めつけたん?」

「だって悪いに決まっとるもん」


 苦笑が漏れた。ここまでくると、さすが、としか言いようがない。


「まあ……俺が悪いよ」

「やっぱり」

「でも、どうしたらええかわからん……いうか」


 自分の中で、この感情をどう処理したらいいのかわからないのだ。そんな状態で謝ったって、それは意味のあることだとは思えない。

 尾崎は今度は腕を組んで、こちらを睨んでくる。


「ウチ、言うたよね?」

「……なにを」

「ハルちゃんと一緒におってって」


 言われた。確かに言われたけれど。


「あれは、尾崎が帰ってくるまでの話じゃないんか」

「そんなこと、一言も言うとらんのんじゃけど」


 そう言って、じっとこちらを見ている。

 どうやら、ご立腹なのはその約束を違えたからもあるらしい。


 そう思いながら尾崎の顔を見ていると、口元がゆっくりと動き出した。


「まさかアレ聞いて、痛いとか思うとるんじゃないよね?」

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