第37話 四人と一人の放課後

「ショートは火曜日までなんじゃ。じゃけえ、今日は部活に出れるよ」


 教室に戻ったあと、ニコニコしながら尾崎が言った。川内は少し首を傾げて言う。


「大丈夫? 無理せんでええよ?」

「無理なんかしよらんよー。がんばるけえね!」


 そう言って、腕を上げて力こぶを作ってみせる。


「ほいじゃが、もうそんなにがんばることはないで?」


 肩をすくめて木下が言う。


「花壇はチューリップ植えるの待ちじゃし、畑はもう耕して苗も植えとるし、温室の花の水やりは朝、川内がやりよるし、プランターは芽が出るの待ちじゃし」

「そうなん?」


 少しがっかりしたように、尾崎が言う。

 男子二人としては、力仕事がなくなって楽になってきた、という感じなのだが、張り切っていた尾崎としては肩透かしといったところだろう。


「まあ、畑とか温室とか様子を見に行くんでもええんじゃない? なんもなけりゃ帰りゃいいんじゃし」


 そう言うと尾崎は肩を落とした。


「なんじゃあ。張り切っとったのになあ」

「でも毎日様子を見るんは大事なよ? 一緒に行こ」


 川内がそう言うと、尾崎はうん、とうなずいた。

 あんなに気が強いのに、相変わらず尾崎は川内の言うことだけはよく聞く。


          ◇


 結局、特にやることもなく、放課後は温室内でワイワイとしゃべるだけになってしまう。

 そこに浦辺先生がやってきて、尾崎の顔を見て嬉しそうに笑った。


「四人、揃ったのう」

「じいちゃんが施設に入居したら、また毎日部活に来れるよ。あと少し」


 と尾崎がニコニコとして返した。敬語などどこにもないが、それに注意する気も失せたらしい。

 浦辺先生はその答えに小さく笑って、そして続けた。


「ほうか、そりゃあ良かったのう」

「うん、良かったわ」

「いうか、尾崎は案外、真面目じゃのう」

「案外って」

「最初は、名前だけの幽霊部員になるんか思いよったで」


 腰に手を当てて浦辺先生はそう言う。


「昔は、園芸部員もいっぱいおったみたいなが、ほとんど幽霊部員じゃったらしいんじゃ」

「へえー」

「まあワシが赴任する前の話じゃけえ、ようわからんが。ワシが山ノ神に来てからは、部員が一人か二人のときしか知らんのう」


 それは顧問が浦辺先生だからでは……と思ったが、口には出さなかった。

 そのとき、あ、と思いつく。なるほど。それは先生自身もそう思っていて、だから顧問が誰か黙っておけという話になったのか。

 それで、「騙されたー!」と叫ばずにはいられない事態になったのだ。


「でもお前ら全員二年生じゃけえ、三年になって引退したら、園芸部がまたなくなるで」

「あー……そっか」


 またなくなる。それはちょっと寂しい。

 俺は川内目当てのようなものだけれど、それでも畑を耕したり花壇を整えたりして、それなりに愛着もあるのだ。

 あれらがまた草ぼうぼうになって元の姿に戻ってしまうのは、ちょっと嫌だな、と思う。


「一年生、勧誘せんと」

「とりあえず、ポスターとか書く?」

「野菜育ててバーベキューやるいうて書いたら、釣られるヤツもおるんじゃないか」

「……それは……止めとけ。非公式なけえ」

「あっ、今までのポスターあるよ。たぶん生徒会室にある」


 川内が立ち上がりながらそう言った。


「保存されとるんか」

「うん、参考にしようと思うて、一回、見してもろうたことある。取ってくる」


 言うが早いか、川内は踵を返して温室を出て行った。どうやら張り切っている様子だ。

 その背中を見送っていると、ちょいちょい、と尾崎が俺の肩を指で叩いた。


「え、なに?」


 振り返ると、尾崎が神妙な顔をして口を開いた。


「あのあとさあ、あの三人に会わんかった?」


 不安げな声音で、そう言う。どうやらずっと気になっていたのだろう。川内がいなくなるタイミングを計っていたのかもしれない。


「ああ、うん、会わんかった」

「ほうなん? ほいならええけど」


 尾崎がほっと息を吐く。


「なんか感じ悪かったじゃん? じゃけえ、心配じゃって。ハルちゃん、なんかあっても我慢しそうじゃし」


 それを聞いた木下が、肩をすくめる。


「心配しすぎなんじゃないんか。ちぃとちょっと過保護で?」

「ほうかもしれんけどー」


 尾崎が口を尖らせる。


「ハルちゃん、なんか言われても言い返しそうにないし、心配にもなるわ」

「まあ、わかるけどのう」


 そう言って、三人で黙り込む。

 確かに、少し心配ではある。俺は、小学校、中学校時代の話も聞いたし、それで泣いていたのも見た。

 俺の知らないところで、またからかわれたりしているのではないかと、不安にはなる。

 そして川内は、たぶん、それを誰にも相談してこない気がする。


 すると、それを黙って聞いていた浦辺先生が、ふいに言った。


「お前らって、全員、中途半端なんよな」

「え……」


 いったいなんの話が始まったのかと、三人とも浦辺先生のほうに振り返る。

 先生は、腕を組むと、続けた。


「ワシはいろんな高校に行っとるけえ、そう思うんじゃが、学校自体が中途半端な立ち位置じゃけえかのう。ものすごい進学校でもないし、落ちこぼれとるわけでもないけえ、まあそういう生徒が集まっとると言われればそうなんじゃが」


 ……ひどい言われようの気がする。

 というか、先生はどうして今、この話をし始めたのだろう。


「規則が厳しいだの、シャトルバスを出せだの、ブーブー言う割に、何もせんのんよな。生徒会を通して、みんなでそういう要望を出せばええのに、そういうことはやらん。ブーブー言うばっかりよ」

「だって……」


 そうすると、心証が悪くなる気もするし、学校生活になんらかの影響があるかもしれない。

 なにより面倒だ。

 皆の意見を取りまとめ、学校に対して意見する、その労力はいかばかりか。

 それなら三年間、我慢したほうが楽だ。


「気持ちはわからんでもないが、張り合いはないよのう」


 ため息混じりに、そう言う。


「じゃあ、言うたところで先生らに張り合われるん?」

「そりゃそうじゃろ。まあ、何もせんほうが、ワシらは楽で?」


 楽なら文句を言わないで欲しい。

 しかし、浦辺は続けた。


「でも、川内はワシのところに来たで」

「えっ」

「園芸部はもうないんですか、って。昔はあったのに、どうしてないんですか、って」


 その言葉に温室内は、しん、となる。

 一年のときは園芸部の部員はたった一人だった。先輩もいなかった。

 川内は一年間、ただ一人の部員として、活動していたのだ。


「部員がおらんだけじゃけえ、別に復活させてもええで、言うたら、じゃあ入るから復活させてください、言うたで。あれは大人しそうじゃけど、けっこう強い子じゃわ」


 そう言って、うんうん、とうなずく。

 確かに。

 もし俺だったら、たぶん、何もしない。仮にやりたいことがあったとしても、もうないのなら、と諦める。


「芯が強い、いうのはああいう子のことよ。強そうに見えて弱いとか、弱そうに見えて強い、いうのはいくらでもあるんじゃけえ、決めつけるなよ」


 尾崎はその言葉に、少し目を伏せた。

 気の強い尾崎。向かうところ敵なし、といった感じの彼女だけれど、お母さんが倒れたと聞いて、明らかに動揺して、冷静さを失っていた。もちろんお母さんが倒れただなんて大変なことだけれど、いつもの尾崎からは考えられないような狼狽えようだった。

 そのことを思い出しているのかもしれない。


「ただ、助けを求められたら、絶対に手を貸せ。友だちて、そういうもんじゃろ」


 言われて、俺たちは顔を上げる。

 そして顔を見合わせてうなずいた。

 それは大丈夫。絶対に見捨てたりしない、と無言で確認し合った。


 浦辺先生はその様子を見て、口の端を上げた。


「あと、お前らでどうにもならんようになったら、ワシに言え」


 そう言って胸を張る。

 浦辺先生は怖いけど、頼もしい。確かに、なにかあったらなんとかしてくれそうな気がする。

 なんだか少し、見直した。やっぱりちゃんと敬語を使うべきなのかも、という気にもなった。


「去年と一昨年のしかなかったー」


 そのとき、川内が温室に帰ってきて、その話は終わりとなった。

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