ep4.波に乗って

「なみねー!!なーみねっっ!!」

木更津屈指の名門レストラン“EATME”

そんな華やかな場所で華やかじゃない物を私は見た

からこんな華やかじゃない声の掛け方を彼女にした

「あ…冰沙子…ごめんボーッとしてた」

また増えてるし目が腫れてる

きっと昨夜は泣いたんだろう。

「隠せてないよー袖んとこ見えてる」

痛々しい心の傷が彼女の手首に浮かびあがってる

それをうっかり目撃された事に気付いた彼女はボーッとした表情から急に笑顔を作り

「大丈夫!飼い猫のノリがまた引っ掻いてきてね!やんちゃなの」

違う、この子はもうネコなんか飼ってない。

先日同居中…というか勝手に転がり込んできた

彼氏が猫アレルギーで嫌がって彼女の飼いネコを外に放したそうで


「戻ってこないかな元気にしてるかな新しい飼い主さん見つけてね」

って波音が漏らしていたというのを私と波音の専門学生時代の同級生のサチから耳にしていた。

「へー 帰って来たんだね、ノリ」

トントン…トントン…と2人の間に包丁を刻む音だけが響く、閉店後賄いを作ってる厨房。

「う、うん彼氏が捕まえてきたのっ!優しいんだーあの人」

「優しいのはアンタだよバカ」

「え?」

「ちゃんちゃらおかしいじゃんその男、自分でノリを勝手に外に放して自分で捕まえて帰ってくるの?なにそれどんな性癖よ」

「誰からその話聞いたの…?」

そう言った後作り笑顔が固まる彼女

「サチから」

「冰沙子〜私は波音ですよ?知らないよそんなの誰かの話と混ざってるんじゃ無い?」

苦しい、非常に苦しい。


「三ツ星レストランのshino haru辞めて職が無いからっていうから

折角ここ紹介してあげたのにそんな浮かない顔して仕事しないでくれる?」

「えー?浮かない顔かな?いつもの波音だよ」

「アンタその男と別れなよ、じゃないとアンタの調理人としての人生狂うし腐った顔で包丁握るアンタ見たくない」

「ごめん…」

とだけ波音の力無い声が響いた

「こっちこそなにもしてあげられなくてごめん」

私の声は彼女に響いてないだろう。

彼女は彼氏にDVを受けていて、殴られた次の日大体手首を切って出勤する、

仮にそれが見えなくてもこの正直な波音の顔にはすぐ出る、現に…今出てる。

「shino haru辞めた理由…私が家に帰らなかったら彼がお店に押しかけてきたの」

「だから?」

「言ってなかったよね…お店に迷惑かけれないから辞めた」

「なんだそれバカじゃねえの?」


アタシがこうやって声を荒らげるのは小門違いだ、そうしたいのは本来彼女のはず。

だって、shino haruは彼女が調理人を夢見たきっかけの素敵なお店だったから。

彼氏ならそれを知っているはず、それでもそんな事するなんて

人の想いをなんだと思ってるんだ…そいつは…そんで波音は優しすぎる。


「でもね怒った後はごめんねって抱きしめてくれるんだよ」

「それがダメなんだよ、抱きしめるだけなら誰でも出来るわ」

「彼じゃないと嫌なの」

「なにアンタ、そういう性癖…?」


なんて言葉を掛けたらいいのかわからなくて茶化した返しをしてみた普段なら私のノリに合わせて返してくるはず…だけど彼女はそれを無視して続ける


「でも今は彼が嫌なの、ワタシの家に勝手にきて半同棲、で1週間に1回彼の家に呼ばれて部屋を掃除させられてそういうことするの」

「やっぱ性癖じゃん…」

そうまた茶化しかけたがやめた方がいいと彼女の顔を見たらわかって包丁を握る手を止め彼女の話を聞く

話す間も彼女は食材を切る包丁をとめない、まったく健気だ。


「今日、彼の家に行く日」

「行くの?」

「行きたくないから携帯も無視してる、けどしつこく鳴ってるっぽい殴られるんだろうねきっと」


彼女は他人ごとのように言うが紛れもない

彼女の苦しみの話を聞いているはず

「アンタの家で待ってるんだろうねじゃあ波音、今夜家おいでよ」

「冰沙子の家はもう彼は知ってるはず、バレたら冰沙子にも迷惑掛かるよ」

「木更津のアタシの家じゃなくて横浜のアタシの実家ね、流石に向かいの海越えた所まで追ってこないし知らないでしょ」

「でも…」

「木更津からはいなくなっちゃっていいよ逃げようよ、誰かに迷惑とかいいから自分にだけ優しくしてあげようよ」

「木更津と横浜ってそんな離れてるの?」

「うん、保険証とか鍵とか万が一の時の家出キット アタシとの約束守って持ってるよね?」

「うん、それだったらバッチリだよ」

「なら今日の夜から、誰も知らないとこいっちゃいなよ」


アタシがそう言うと彼女は久しぶりに心からの笑顔を見せた

面白い時、楽しい時に見せる笑顔ではなく

“救われた”という文字を体現したような笑顔だ。


普段から従業員は彼女を愛し、彼女の境遇を知って不憫に思っていた

だから彼女がこの店を居なくなっても誰も責めないだろうし、むしろDV男を捨てたその勇気を褒め称えるだろう。

オーナーもいつ辞めるって言ってもいいんだよと日頃から好意で彼女に伝えていたしそこもオッケー


後は彼女の横浜での住まい…はアタシの実家

で決まり

そこにいる弟の彩乃深に

「鍵開けて、風呂沸かして、布団出して、後はアタシの寝巻き引っ張り出しといて」

とラインした当然「なんで?」との返信だが

「美人が波に乗って横浜に来るの、当面面倒見ておいて」

と送ると「やったね!!!」とのスタンプ

物わかりの良い弟が育ったものだ。


後は彼女の横浜での職場だ。

幼馴染みで元カレの直斗に電話すると直ぐ出る、こういう時のこいつは役に立つ


「なんですかなんですか夜ですよ〜今熱帯夜〜ですよ〜」

電話越しでも伝わるバカっぽい声

「あー、もう今年は海の家、営業し始めてんの?」

「ええそうです、夏の間、海の家熱帯夜との営業時間中はそこの実質オーナー

それ以外の時間はパピィー⤴︎の営むダイニングバー江ノ島でコック!シェフ!できる男!イケメンバーテンダー!そのどれかに当てはまる事をしています!!」

「うるせえなあブスがどれも当てはまんねえだろお前じゃ」

「開口一番元カレにそれですか?もしかしてまた都合の良い時だけワタシを利用しようとしてますか?」

「んーまあそうかも」

「おいてめえ素直だな、そういう所が俺は好きだったぞ」


きっしょくわるい…思わず声に出そうになったけどやめた、理由はないけど

「で用件は?」

「あのさー波に乗って遠い木更津から横浜に大事な荷物が届くから受け取ってくんない?」

「どういう荷物?実家じゃダメなアダァルトォォ↑なグッズ?」


アダルトの部分を巻き舌気味に言うし

そもそもこいつはいつもこうでうざいし

多分目の前にいたら殴っていたであろう

だが用件を伝える為一応言葉は交わす


「それがさぁー…人なんだよね…」

「は?」

そりゃそうなる、けど波音の顔を見ながらアタシは言った

「すっごい美人で良い子なの」

「えっ?ディズニープリンセスでいうとなに系?アリエル系?シンデレラ系?白雪姫系?」

「DVしないイケメンからの優しい口づけで目を覚ます白雪姫系かな…」

「はい、僕DVしないしキスうまいイケメンです」

「あーやっぱ相手間違えたかな…」


我慢ならず声に出た


「でなに?その子をどうしろって話なんすか?うちの店で雇えって?」

「あーそう話早いね」

「おっけー熱帯夜は女の子歓迎だし

パピィーの方にも掛け合ってそっちでも働けないか確認する

今俺居ない時1人で営業してるからオッケーだと思うけどな」

「アンタのそーいうところは好きだよアタシ」

「そーいうところはつったな?てめえ?でその子家は?どうすんの?」

「アンタよからぬ事考えてるよな?アタシの実家、あーやが面倒見るんだけど一応

アンタのお父さんとアンタにもそれ以外の時間は面倒見てもらえないかなって大事な子だから」

「おう、よからぬ事まみれだ、父も喜ぶさ直斗に嫁ができたって、あと立川弟が面倒見るなら心配はいらんな熱帯夜でもよく働くしっかり者だ」

「アンタの嫁にもならんしよからぬ事をしようものなら毒リンゴ、口にぶち込むから…

あとうちの弟はかわいい」

「立川弟は俺には生意気だけどな、16歳にして人生の先輩面してるぞ23歳の俺相手に」

「あいつのが精神年齢上だもんしゃあない」


とひとしきり幼馴染み兼元カレとのいつもの絡みをして交渉も成立、弟の安否確認も完了だ


「で?その大事なお荷物はどこで受け取ればいいんすか?」

「木更津駅に今からきて」

「隣の県ですけどぉぉぉぉー!?」


と強めの声量が返ってきたから反射的に電話を切ってしまった

「店閉めるから、2時間は待ってくれよ」

と直斗からのライン

「あざっす」とだけ返して波音の方を見た


聴く耳をしっかり立てていたから話はしっかり理解した様子だった

「とりあえずアタシの幼馴染みの店で雇ってくれるってさ…でもしばらく休みたかったら実家でゴロついてていいから」


と気遣いの言葉をかけると波音は子供の様にワクワクした様子の笑顔で

「ううん!!!明日から働く!!!」

「いや…明日からは流石に無理だろ…」


そう言って話は纏まり直斗が来るまでの間、波音にとってここでの最後の賄いを調理し食する事を済ませながら

オーナーに事情を説明して退職の意向は承諾頂いた。

「今日からワタシ自由なんだね!」

そうやって波音は笑顔を作っていた。

お世話になりましたと会釈をして自前の包丁一式と調理師免許を大事に持ちながら彼女はこの店を出て

約束の2時間後、直斗がボロボロのエスティマに乗り木更津駅に来て直斗の第一声が

「金髪ぅッ!!色白ぉッッ!フゥゥ⤴︎」

だったのが気持ち悪くて若干人選を間違えたかとも思ったが

念のため波音の家に3人で寄りクソ男がいないのを確認して必要な荷物を持ち出し車に積めた後


「これ波に乗って海を跨ぎ木更津から横浜に少女がやってきたんじゃなくて

車に乗って横浜から木更津まで直斗が少女を迎えにきてね?でも可愛いからゆるす!!」



と騒ぐ直斗を無視してアタシは

「来週の休日様子見にいくから」

とだけ伝えて波音を見送った。


長い長い旅路だったが

そうして波音は荒波に乗り木更津から海を跨いだ横浜に漂流したのだった。


ちなみに直斗に手を付けられてないか心配すぎてアタシは来週まで待てず

3日後有休を頂き横浜の海岸に一度戻った。


ら懐かしい海の家の景色と懐かしい男の背中と、騒ぐ見知ったメンツと、絵になる黄昏れ方で海を眺める波音を視界に入れた。

居心地が良すぎて半分くらい、戻ってきたのを後悔していたら


懐かしい男が波音に

「ねえーお姉ちゃんこの街の人じゃないよね?」

と言いながらビールジョッキを片手に

「絵になる黄昏れ方で海を眺める人は大体悩んでるんだよね〜」


と飄々と言って絡んでいた。

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