2月10日
人間の情緒はその生育過程において育まれるらしい。例えば、感情表現を抑制するような環境で育てば情緒の乏しい人間となり、周囲がその人間に対し寛容で感情表現に対し何の制限も掛けなければ情緒の豊かな人間となる。
もちろんそれでも個人差があることは言うまでもない。
俺が学生の時、非常に情緒が豊かな学友がいた。どんな事柄であっても、それにぴったりの言葉を探して持ってきて、「ああ、いいなあ」とつぶやく。もし頭の中でぴったりの言葉が見つからなければ、見つかるまで辞書で調べるのだ。自然と彼の語彙は豊富なものになる。
彼は俳句を好んだ。何かで入賞するくらいだったから、相当の腕ではあったのだと思う。彼のそのセンスを支えていたのは、やはり自分の情緒に気づく力と、圧倒的な語彙だったのだろうと思う。
俺には五七五という非常に短い字数で情景を語ることなど不可能だった。だからこうしてだらだらと文章を書いている。
一方で最近は、小説にも圧倒的な語彙と情緒が求められるのではないかと考えるに至った。言わずもがな小説であっても語彙が求められる。そうではなくて、「圧倒的な」語彙だ。
読者に伝わらなければ意味をなさないといえども、微妙な感情の機微をくみ取るには難解な語を用いることも必要である。俺はそこを怠っていた。
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