2月8日
俺が学生の時に不自然だと思ったことは、大学で盛んに叫ばれている「多様性」である。新しい時代の教育において「多様性」は確実に必要である。だから別にそれが不要だといいたいわけじゃない。
学生は大学に入るまで、基本的には多様性を求められてこなかった。小学校から高校まで、少なくとも普通のレベルの公立学校や私立学校では多様性は剥奪された。
校則で頭髪の色やスカートの短さ、そもそも制服の着用の強制など、各所で多様性を奪われている。容姿に関わる事だけでなく、学習においてもそうかもしれない。解を導き出す方法だけ教え、答えさえ出せればよいのだとする。最終目標が「正解すること」になっているのである。地歴公民においては詰込みを強要される。事柄さえ覚えておけば良しとされている。その出来事が起きた理由や背景について解説があるにはあるが、非常に側面的で単一の視点にとどまっている。
とにかく、十数年多様性を押し殺されていた若者が、大学に入ったとたんに多様性を求められる。多様性の発現のさせ方なんてとうに忘れているのに。
しかし大人は多様性を求めてくる。そうはいってもやり方を忘れている。じゃあどうするかとなった時に、髪を染めたり奇抜なファッションをしたり酒豪めいてみせたりするのだ。「これは私の個性です」と無理やり作り上げるしかないのだ。
別にこれは悪いことじゃない。仕方がなかったことだ。
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