1月19日

 思想家が嫌いだ。


 「思想」という言葉を使う時点で、なにか自分は高尚なものであると言わんばかりのにおいがする。失礼、”自分の考えは”高尚なものだと言わんばかりのにおいがする。

 「思想」なんてお高く留まった言葉でおっしゃっていらっしゃるが、その内実はただの「考え」だ。いいと思うか、悪いと思うか。それだけのことを、いかにも自分の「考え」は論理的で学問的で芸術的で否定のしようがないと示すがごとく一丁前に思想なんて言葉を使う。


 資本主義共産主義自由主義全体主義あるいは拝金主義民族主義社会主義個人主義。この世界には無数の~主義が存在する。すべて白々しい。「自分は自由な競争が保障される社会が良いと思う」「自分は一人の独裁者が人々を導いたほうがいいと思う」。これだけでいいじゃないか。


 一番虫唾が走るのは、「私はどうして~主義者になったか」のような文章だ。こういうもののパターンは読めている。


 第一に、従来の”一般的な”「思想」を持った本人が存在する。その人は至極普通で、周囲に馴染み、まさに普通以外の言葉が見当たらないような人物である。

 そのような日常のなかで、「何か」と衝撃的もしくはロマンチックな出会いをする。その対象は本であったり、人物であったり、光景であったりする。その「何か」に心動かされた「本人」が、次第にこれまでの自分を内省し、見つめ、いわゆる「思想」を転じさせるのだ。


 俺は冷めた目でこれを眺めるほかない。

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