第5話 練馬の家

 昭和三十年代当時、四階建ての鉄筋コンクリートのアパートはまだ珍しかった。さえぎる様な高い建物が何もなかったから、よく晴れた朝には、家のある四階のベランダから、丹沢方面の山々や富士山がよく見えた。晃子は富士山と周りの山々の四季の絵を描いて、春の富士山を桃色に塗った。桜の花で一杯になるから、と言ったら、母は絶句した。


 家までは、正方形に上ってゆく階段を上がる。三階から四階の階段の天井は高くて、その天井にいつも大きなクモが三匹いた。それぞれに巣を張っていて、怖いから取ってくれと泣くと、祖母はベランダを掃くほうきで取ろうとしてくれたが、高すぎてとどかなかった。クモが降りてくることは一度もなかった。


 家の入口は鉄の扉で、内側に開くようになっていた。扉の開く時、開く側と反対側に隙間が出来るので、大人も子どもも、指をつめる事件が後を絶たなかった。


 間取りは6畳間が2つと小さなダイニングキッチン。風呂場とトイレ。


 6畳間一つが祖母と晃子が休む部屋で、もう一つにベッドがあり、両親が休む部屋だった。後に学校に上がって友だちが来たとき、これはシングルベッドと言って一人用なんだ、と言われた。


 風呂場はコンクリートの床にすのこを敷いた洗い場。風呂は木造で、ガス風呂だが直接湯舟の水を沸かすので、金属の煙突がついていた。これが丁度湯舟の横にあるので、大人も子どもも、やけどが絶えなかった。


 洗い場には、洗濯場を兼ねた大きな洗面台があって、普段はすのこでふたがしてあった。顔を洗ったり、歯を磨いたりするのもここだった。

 

 洗い場から一段高いところに洗濯機があった。脱水機はまだなくて、歯磨き粉のチューブを絞り出すローラーの大きいのがついていて、そこに洗濯物を挟み込んでローラーをハンドルで回し、脱水した。とうぜん洗濯物はせんべい状態になる。洗面台のすのこを外して洗濯物を入れ、一枚一枚伸ばして干す。

 

 トイレは和式。洋式のトイレはまだ珍しくて、母の病院にあった最新式の洋式のトイレには、どちらを向いて座ったらよいかわからなかった。

 

 後に引っ越すまで、十二年間をここで過ごした。時々無性に行ってみたくなることがあり、何年かに一度訪れるが、今はもうアパートは取り壊されて、広い公園になっている。


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