第20話:旅の終わり

 ザクセン王国王都クレヴィルの中央神殿、主メイソンの私室に私は呼ばれていた。


 主メイソンは手にしていた書類を乱暴に放り投げると、指先で机をとんとんと叩いた。


 私は膝をつき、首を垂れて彼の言葉を待つ。


「大変だったようだな、レイよ」


「はい、まさか聖光騎士団と残滓の戦いに巻き込まれるとは思わず」


 当たり前じゃ、と彼はくつくつと笑った。


「教会は蜂の巣をつついたような騒ぎで、大変なようだぞ。無理もなかろうて。虎の子の第七聖騎士団が一人も生きて帰らなかったそうじゃからの」


「一人も、ですか」


「あぁ、一人も生きて帰らんかったということだ」


「そうですか」


 最悪の中の最良の答えをもらって、安堵の思いで心が満ち溢れる。


 これで私の祝福ギフトの使用を知るものは、アダムとイヴしかいないということになる。


 あの夜の真実を知るものは、同じく、その存在を知られてはならぬ化け物だけだ。


「第七聖騎士団といえば、序列では最下位、とはいえ、使徒の名を冠する騎士で構成されておる部隊じゃ。それが残滓にやられたとあっては教会の面子は丸つぶれだからな」


 あの部隊が教会の持ちうる武力の中で最も弱い集団なのか。


 何とも言えぬ気分で、私は彼の言葉を聞いていた。

 どう表現していいか分からなかったからだ。


 教会が正式に認める、使徒と呼ばれる騎士たちで構成される部隊を、アダムとイヴは簡単にあしらった。一方で、それでも彼らは教会の中では最も弱いのだという。アダムとイヴが恐ろしすぎるのか、それとも、単にクラークたちが弱すぎたのか。どのみち、私に推し量れるような話ではなかった。どちらも等しく、私の思考の埒外のものたちなのだ。


「で、中央騎士団と軍部はどうなってると思う?」


「さて、私にはさっぱり」


 政治の話はまったく分からない。

 私には中央騎士団にも軍部にも伝手はないのだから。


「中央騎士団は息まいておるよ、なんせすぐ近くに残滓が現れたのだから。王都を守るのがきゃつらの役目。まあ、これ幸いにと手柄を立てようと吠えておる者ばかりだがな」


 アダムのおもちゃに選ばれなければいいな、と心の中で呟いた。


 主メイソンはあの少年の存在を知らない。


 中央騎士団の力がどの程度のものかは私には想像もつかないが、対大人に対しては、アダムの祝福ギフトは圧倒的な効果を発する。四百はいた聖光騎士団が手も足もでなかったのだ。たとえ中央騎士団とて、無傷というわけにはいかないだろう。


 そもそも、あの少年は異常だ。正攻法で中央騎士団とぶつかるわけもない。


 あの狂った聖光騎士団がアダムに滅ぼされようとも、私の生活には一切影響はないが、ザクセン王国の騎士団や軍が被害を受けるのはやめてほしかった。南にはバスティール帝国が存在する。王国が弱体化すれば、かならず侵攻してくるに違いない。


 私のそんな思いを知ることもなく、主メイソンは愉快そうに話を続ける。


「外交部と軍部は笑い転げておる。もともと百年前の化石のような戦後処理の盟約に引きずられて、教会の越境を許さざるを得なかったわけだからな。それがこの有様だ。あとは王国で対処しますよ、と教会に宣言したそうだ。まあ、教会とてやられっぱなしで、はい、そうですか、と引き下がれるわけもないだろうが、かといって、他の騎士団は各地に散らばっておる。そちらを片付けてから王国の残滓に手を付けるのにはどうしても時間がかかる。それまでには中央騎士団が、軍部の手伝いを受けて、死に物狂いで残滓狩りを行うだろう」


 すべてが好都合だった。

 うまく行き過ぎて、逆に恐ろしいほどだった。


 残滓狩りを行えば、いずれあのマーズという吸血鬼ヴァンパイアも見つかるだろう。そこに嘘はない。たしかに残滓は存在するのだ。そうであれば、あの夜の、カール村での出来事は完全な信ぴょう性をもつ。


「で、あの厄災の称号の子は、イヴとかいう少女も巻き込まれて死んだ、と」


 吸血鬼ヴァンパイアの襲撃により反召喚の儀は行えなかった、そう告げても、彼は特に反応を示さなかった。


 状況はすべて、私の味方をしている。


 銀の鷹シルバーホークを詰問すれば、グレイトノワール遺跡に魔力がなかったときの私の様子が伝えられるかもしれない。いや、すでに、そのことを主メイソンは知っているかもしれなかった。


 しかし、それすら、あの吸血鬼ヴァンパイアのせいにすることができる。


 魔力はすでに使われてしまった後だった、私はそう推察する、それで押し通すことができるのだ。


 実際、彼はその意見に口を挟もうとはしなかった。


「はっ、残念なことに。死体は確認しておりませんが、生き残った者は私たち四人のみ、よって死んだものかと」


「残念か、そうだな」


 主メイソンの笑顔は、嬉しさから滲み出たもののようではなかった。


 まるで、私を値踏みするかのような視線だったからだ。


「な、何か?」


「北に別の遺跡がある。お前はそこに向かえ」


 突然の指令に、思考が散漫になる。


 今回のことですべては片付いたはずだ。

 何も問題はない。

 なのに、どうして……。


「は、どういう意味でしょう?」


「決まっておろうが。叶わなかった反召喚の儀のためだ」


 ぞわり、と背筋に寒気が走る。


 なぜここで反召喚の儀の話が出てくるのだ。


 イヴはすでにいない。


 誰のことを指している?


 私が不在の間に、誰か別の者を中央神殿で召喚した?


 それはない、早すぎる。


 国中の魔法士をかき集めて魔力を充填したとしても、次の召喚まで半年はかかると言っていたはずだ。


 だが、次の言葉ですべてが明らかになる。


「あぁ、そうだ、あの少女だがな、まだ血の臭いを纏いすぎておる。風呂にでも一緒に入ってこい」


 予想外の内容に、激しい吐き気を催す。


 すでにイヴは王都に戻ってきていた。


 残念だ、というのは、イヴが死んで残念だという皮肉ではなく、生きて帰ってきたというそのままの意味だったのだ。


 アダムは……あの少年の話が出てきていない。


 あいつは何を考えている?


 どうしてイヴを私のもとに返してきたのだ。


 混乱する私を楽しそうに眺めながら、主メイソンはさらに言葉を紡いだ。


「あぁ、それとな、もう一つお前に伝えることがあった」


「何なりと」


「聖光騎士団と関わってしまったのだ。もはや知らぬより、知っておいたほうがよいと思ってな」


 何を……と訊く前に、彼は一つの事実を告げた。


 頭が真っ白になり、穏やかだった景色が反転する。


 たとえ祝福ギフトの存在がばれても、それを隠してどこかへ逃げればいいと思っていた。


 あれさえ使わなければ、平穏に暮らせるものだと、そう思い込んでいた。


 だが、この世界は、すでに私にとって安住の地ではなかった。


「ゆめゆめ、忘れるな。お前の味方は、世界に私、メイソン・アルブリットンしかいないということを、な」




 主メイソンの私室を出てすぐ、扉を閉めるなり、私はその場に崩れ落ちた。


 荒れた息を整える。


 鼓動は激しく脈打ち、私の心を乱れさせた。


 主メイソンの最後の言葉が頭にこびりついて離れない。


 王都に戻ってから、私に鑑定がかけられたことはなかったはずだ。だとすると、主メイソンは最初から、ラグナーで一人生き残った私を引き取ったときから、知っていたことになる。つまり、その称号がついたのは、カール村の夜ではなく、あのラグナーの夜の時に違いなかった。


 震える足でどうにか立ちながら、イヴがいるであろう隣室へと向かう。


 ただ、彼女を風呂に入れなければならない、それだけを呟きながら。


 王国召喚士には男しかいない。


 唯一の例外を除いて。


 だから、この仕事は私にしかできない。


 単眼の夜の女王ワンアイズナイトクイーンの称号を持つ、しがない見習い召喚士の女である私だけ。


 こうして、私の旅は終わった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

隻眼の召喚士 和希羅ナオ @wakira

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ