第17話:アンファンテリブルズ
おそらく、治療を受けながら、ヴィタリなどから報告を受けていたのだろう、彼はさらに距離を取ったまま部隊を展開させていた。
百を超える聖光騎士団の屍を挟んで、アダムやイヴと、クラークを含んだ残りの騎士とが見合う形になる。
すでに
「……開始!」
クラークが腕を振り下ろした瞬間、無数の矢が解き放たれた。
それらは一直線にアダムとイヴの二人へと向かっていく。
だが、大剣を小枝のように軽く振り回すイヴに、降り注ぐ矢の雨はあっさりと防がれてしまう。
「イヴ、頑張った、褒めて褒めて」
「使える妹をもって、お兄ちゃんは嬉しいよ」
「でも、面倒」
「そうだね、少しお仕置きしないとな~」
アダムが狡猾な笑みを見せた瞬間、最前線に陣取っていた数十名の射手――弓騎兵だろう、の隊列が大きく乱れた。
また、だ。
アダムの
もはや矢を射るどころではなくなっていた。
「残念~」
苦しそうに呻く彼らを見て、アダムは嬉しそうに眼を見開く。
「化け物どもめ……この距離でも届くというのか……」
クラークには変化はない。
おそらく、どういう理由かでアダムが彼を対象に指定していないようだ。
「子供恐怖症なんだからさ、その子供が視界に入っちゃ結局ダメでしょ?」
無茶苦茶だ。
おそらく、クラークはアダムの
だが、視界に入れてしまうと、アダムやイヴを見てしまうと、その
弓で狙うにしろ、魔法で狙うにしろ、敵を見ないことには攻撃はできない。
事実上、狙って仕留めることは不可能だ。
「要は、見なければいいのだろう? では、辺り一帯を火の海にしてお前らごと燃やしてしまえばよい!」
クラークの指示に従って、後方にいた騎士たちが一斉に空へと手をかざした。
かれらは騎士であり、同時に魔法士でもあるようだ。
カール村の人々を燃やしたであろう、地獄行きの炎が彼らの手のひらに浮かび上がる。
無数の炎弾を打ち上げる、そう思ったが、その前に、アダムが大声で叫んだ。
「でも、耳は塞げないんじゃない?」
途端、騎士たちは崩れるように膝をつき、ある者は呆けたように涎を垂らし、ある者はそのまま地面へと倒れていった。
僕の声ってそんなに怖いかなぁ、とアダムはへらへらと笑っている。
彼が声を大きく上げるたびに、騎士たちが次々と地面に突っ伏していった。
「そんな……馬鹿な……」
さすがに状況が悪いと判断したのだろう、クラークが焦ったように後ずさりした。
彼の焦燥も理解できる。
状況はアダムに一方的に有利だった。
彼の
「ねぇ、おじさんも、一回経験しとく?」
アダムが口元を歪めると、クラークに如実に変化が現れる。
ふらふらと足元がおぼつかなくなり、隣に立っていた別の騎士にもたれかかる。
だが、その騎士もすでに影響を受けており、クラークを支えきれずに二人して地面に膝をつけた。
クラークは自らの剣を支柱に、どうにか体勢を保っている状況になった。
「ね、そのままではおじさんに勝ち目はないよ」
弱者をいたぶるアダムの瞳には、憐憫の情は感じられない。
ただ、彼らに格の違いを、事実を突きつけているだけだ。
「使徒である……我ら聖光……騎士団が、こんなところで、こんな子供に……」
息も絶え絶えに、クラークは呟く。
だが、彼の眼光の鋭さはまだ消えていない。まだ、諦めていない様子だ。
それを見てか、アダムは嬉しそうに微笑む。
「勝ちたい?」
ちょこんと首を傾げて訊ねるアダムに、クラークは大きく舌打ちした。
「勝ちたい……だと? 勝た……ねばならぬ、そうでなければ……神シルヴァに……あわせる顔が」
それはアダムに向けられたわけではなく、自らに言い聞かせるようだった。
そうでもないと意識を保っていられないのかもしれない。
折れそうになる心を、どうにか鼓舞することで戦意を維持しているに違いなかった。
だが、アダムは火中でもがく彼の心すら、遊びの一環として弄ぶ。
「じゃあ、せっかくだから、おじさんにヒントをあげると、僕ら厄災の子は人間は殺せないんだよ。あんたら聖光騎士団が人ならざる使徒だから殺せるけどね」
は?
アダムの突然の暴露に、私は自然と疑問の声を上げる。
なぜそんなことを言う?
どうして秘密を明かすのだ?
それは今の戦況をひっくり返す意味合いがあるのに。
「どう……いう……意味だ?」
当たり前だろう、アダムやイブと、彼ら聖光騎士団の今の関係は、奇妙な契約関係の上に成り立っているのだ。
ネタを明かされてもすぐには理解できるはずがない。
「そのままの意味だって。おじさんたちが、自分は使徒ではありません、ただの人間ですって言ったらさ、僕ら厄災の子は殺せない、そういう
アダムの視線につられて、クラークが呆けた様子で私を見る。
私ではない、そう言いたかったが、そんなことを言っても意味がないことは分かっている。
問題は、そういう拘束が存在するかどうか、なのだ。
だが、そもそも、主メイソンが
アダムにも効果がある?
しかし、それを確かめる術が私にはない。
「貴……様、我ら……に神シルヴァの恩寵を……捨て……させようというつもりか」
口元から泡を吐きながら、汗だくのクラークが叫ぶ。
おそらくもう限界のはずだ。
支柱にしている剣を握る手も、小刻みに震えている。
姿勢を保っているのもやっとといった感じだ。
「え、そんなこと一言も言ってないけど。敬虔な教徒である騎士の皆さんは、きっと高尚な――使徒のまま死んでいくんでいいんじゃないの? 神シルヴァとやらの元にさっさと召されればいいじゃん。本望でしょ? 幸せでしょ? 知らないけどさ」
アダムが興味なさげな様子でへらへらと笑う。
「クソ……ガキ……が!」
クラークの怒気がこちらまで伝わってくる。
使徒であることはクラークにとって、彼ら聖光騎士団にとっての誇りであり、存在価値であるはずなのだ。
それを捨てろ、そう遊び半分かのように言われて、はい、そうですか、と納得できるはずがない。
だが、私は腑に落ちていなかった。
そもそも、アダムは彼らを殺しているわけではない、実際に殺しているのはイヴだ。
聖光騎士団を無力化しているのはもちろんアダムだが、
ただ一つ分かることは、アダムは彼らで遊んでいる、それだけだった。
それほどに、彼の表情は悦に満ちていた。
「どっちでもいいよ、僕としては、ね?」
戦場に奇妙な静寂が訪れた。
クラークの沈黙の長さが、そのまま彼の葛藤の強さを示していた。
イヴは心底どうでもいいといった様子で、自ら殺した死体の上をぴょんぴょんと飛び跳ねている。
どれぐらいの時が経ったのだろう、それはふいに訪れた。
「まあ、せっかくのプレゼントだ。大人として、一つ、そちらに合わせてやろうではないか」
急にクラークが饒舌になった。
「あ、元気になった!?」
自らばらしたくせに、アダムはひどく驚いた様子を見せる。それはまるで演技をしているようにしか感じられなかった。
「素晴らしい、たったこれだけのことでよいのか」
クラークは体の状態を確認するかのように、何度も手を握りなおし、自らの剣を振った。
「人間であることを認めたの?」
思い通りになったことを喜んでいるのか、アダムは瞳をきらきらと輝かせながら言う。
狂っているとしか思えない。
これでイヴでさえ、彼らを殺すことはできなくなったのだ。
戦況はひっくり返るはずなのに、それをさも嬉しそうに語る。
「まぁ、そう急かすな。我らの魂は神シルヴァに捧げたもの、故に、それは人にあらず、神の使徒であることに違いはなく。しかし、その器は、現世での肉体は、人のものであることもまた相違ないのだ」
狡猾な笑みを浮かべ、クラークが語る。
「面白い~体は汚いけど、心は奇麗ってことだね、おじさん!」
アダムの挑発は止まらない。
笑いが止まらないのか、お腹が痛い、とひぃひぃ言っていた。
「好きに言え。我らの魂はすでに浄化済みなのだから」
クラークは明らかに苛ついた様子だったが、先ほどのまでの混乱からは立ち直っているように見える。
「でもさ、世俗にまみれたその体で、聖地シュタインに入っていいの? 司教様に訊いてあげようか? 死んで魂だけになったほうがいいって言われるかもよ? 知らないけど」
きゃははは、と狂ったように笑う。
「……クソガキが。聞け、わが同胞たちよ。我らの器は人間である。ただ、それを自ら認めるだけでよい。それにより、奴らの状態異常は我らには効果を示さぬ。これで仕留めることができるのだ。魂は常に神シルヴァの御許にあり!」
クラークの宣言と同時に、周囲の騎士たちが続々と体を起こしていく。
「あは、死にたくない一心でさ、使徒であることを捨てた愚かな聖光騎士団の皆さん、どんな気持ち?」
すでにアダムの問いかけは、クラークだけではなく、すべての騎士たちに向けられていた。
返すように、殺気のこもった無数の視線が飛んでくる。
「ガキが! 必ず殺してやる!」
聖光騎士団の陣が再築されていく。
だが、それを生み出した当の本人は、慌てる様子は微塵もない。
「どうしよう、レイさん、僕ら、殺されちゃうよ」
明らかに演技と思える嘘くさい言葉を吐きながら、アダムが私に駆け寄ってくる。
自らでこの状況を作り出しておきながら、まるで他人事のような声色で。
だが、次の言葉が私を混沌に叩き落した。
「レイさん、どうにかして」
ちょこんと首を傾げ、当たり前のことかのように頼んでくる。
「私が、私がどうにかできるわけがないだろう!」
「ほんとに?」
「何が……言いたいんだ!」
「使っちゃいなよ、
身の毛がよだつ。
知っているはずのない事実に、私が
「何を……」
しどろもどろになりながら、私は視線を散らせた。
「あるんでしょ、とっておきのやつ」
厄災の碧眼が、興味深げに私を覗き込む。
「それは……」
言葉が続かない。先を聞きたくない。
「ほら、後ろを見てみなよ、いっぱい人が死んでるよ」
彼につられて、自然と振り返る。
そこには、カール村の人々が山積みになっているのだ。
そんなことは承知の上だった。
だが、今の私は、それを単なる死体の山として見ることはできなかった。
「なぜ、そんなことを……」
視線を戻し、アダムを見つめる。
彼の口元は歪んで、私の心の奥底を覗き込むかのように見つめ返してくる。
「前を見てみなよ、百人以上の騎士の死体が転がってるんだよ。百だよ、百。十分だよね?」
彼の言葉の意味が分からない。
いや、何を言いたいのかが理解できている自分が怖かった。
分からないのは、なぜ、彼がそんなことを言うのか、その一点だった。
「だから……それは」
全身の毛穴から汗が噴き出す。
ただ、怖い。怖い。
「僕の推測が正しければ、それは――レイさんの
アダムの言葉は私をどんどん追いつめていく。
彼の口ぶりは、すべてを知っているものの言葉だ。
「どうして……」
そう、疑問はそこに集約される。
「レイさんは僕やイヴの保護者なんだからさ~調べるよね、どんな人なのかさ、徹底的にね」
そう言いながら、顎をしゃくってアダムはイヴに指示を出した。
彼女は再び顕現させたその大剣で、後ろ手に縛られていた縄を断ち切る。
今までのやり取りから察するに、二人は、会話しなくても意思疎通ができるのだろう。
「調べた……?」
すでに、縛られていた手首の痛みすら気にならなかった。
確かにアダムの存在を私は知らなかった。主メイソンも把握していないだろう。
だからと言って、彼が自由だったからといって、この一週間ほどの間に何ができたのだというのだろう。
「そうそう、大人は僕の言うことに逆らえないからさ、ちょっとラグナーの聞き込みをしてもらったり」
記憶の底に封印していた、あの村の名前を出されて、私は大きく身震いをした。
あぁ、そういうことか。
そして、この少年はすべてを知ったうえで、それでこの筋書きを考えたのか。
とても面白い遊びを見つけたと。
ひた隠しにしていた、私の秘密は面白そうだ、と。
「何をごちゃごちゃしゃべっている! さっさと死ね!」
クラークが叫ぶと同時に、私を取り巻く隊列がうねりをもって動き出した。
騎士たちが剣を構え、矢をつがい、手のひらから炎を生み出す。
複数の濃い光が剣にまとわりつき、その切っ先が私たちに向けられた。
「ほらほら、早くしないとさ、あのおじさんたちが殺しにきちゃうよ、助けて、レイさん! 僕もイヴもどうしようもないよ、だって聖光騎士団は人間なんだからさ、もう殺せないもの」
アダムにとっての『おもちゃ』は、彼ら聖光騎士団だけではなかったのだ。
彼は先ほどまでの戦いを、前座だと、そう言っていた。
それは言葉通りだったのだ。
ただ、このために、下ごしらえのために死体を増やしていただけだった。
やろうと思えば、そのまま自らの
すべて、このためだったのだ。
厄災の称号、アンファンテリブル。
――別名、恐るべき子供たち。
一つ、彼らは大人を等しく恐怖に陥れる。
一つ、彼らは異常な残虐性を持つ。
一つ、彼らは子供ゆえの無邪気さを併せ持つ。
眩しいほどの笑顔を見せるアダムを睨みながら、自らの右手を左眼にやった。
私のこの忌まわしき
それを取り除けば、ただ、後は一言、口にするだけだ。
聖光騎士団に使徒である誇りを捨てさせたのと同じように、ただ、私を弄ぶだけの、無邪気な彼らの遊戯に巻き込まれて。
ラグナーでの恐怖から逃れるために、二度と使うまいと決めていた、自らの戒めを破る。
私はアダムが怖い。
だが、もっと、もっと、私自身が怖いのだ。
夜はまだ明けそうにない。
――Slave after Death
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます