第18話:死した奴隷

 私が初めて『Slave after Death』を使ったのは、いつのことだったのだろう。


 記憶にあるのは、闇夜を徘徊するものども。


 死はすべての生物に平等に訪れる。


 人間も、動物も。


 ただ、夜が怖かった。


 あの頃、まだ義眼ではなかった左目は、空から、川から、土から微量の魔力を吸収し、放出されるまで赤く染まり続けた。


 そして、生まれ育ったラグナーの村の人々から、オッドアイの忌み子として扱われる日々。


 村はずれの、寂れた家屋で、母と二人、人目を避けるように生きていた。


 七年前の、あの運命の日が来るまでは。


 当時は、ただ、中央のほうから何百人もの兵士がやってきて、村に駐屯したという事実しか分かっていなかった。


 その治安部隊が、隣国バスティール帝国の侵攻に対処するものであったと知ったのは、すべてが終わった後のことだった。


 彼らにとっては、村で私や母がどのように扱われているかなど、まったく関係なかった。


 忌み子とされていたことすら、彼らが認知していたのか、何も分からない。


 ただ、周辺すべての人々がラグナー村へと集められ、女は兵士の食事の世話をしたり、男は堀を作らされたりしていた。そこに、例外がなかっただけのことだった。


 あの夜のことは鮮明に覚えている。


 数年間祝福ギフトを使用しなかった私の左目には魔力が十分に蓄積されたままで、真紅に染まっていた。


 痛みで眠れないこともあり、その日も、うつらうつらしていた。


 遠くのほうで喧騒が聞こえる、そう思っていたら、隣の家に火がついた。


 そこから先は、ただ、村の中を走り続け、逃げ回るだけだった。


 見たこともない鎧を着込んだ騎士が、馬に乗りながら村の中を駆け回っていた。


 ほとんどの家屋は焼け、隠れる場所などどこにもなかった。


 矢が雨のように降ってきて、同じように逃げていた人々がばたばたと死んでいった。


 その最中に、母を見失ってしまい、それからどうなったのかは分からない。


 煙に巻かれ、水をかぶりながら、私は死んだ村長の体を陰にして隠れていた。


 ラグナーに駐屯していた兵士たちは勇敢に戦っていたように見えたが、実際は村の四方が囲まれていたから、ただ逃げることができなかっただけかもしれない。


 降り注ぐ矢と、突っ込んでくる重装備の騎士たちの前に、成すすべもなく兵士たちは倒れていった。


 私はただ、地面に伏せながら、その様子を眺めていただけだ。


 悲鳴と嗚咽が聞こえなくなり、家屋が焼け落ちる音だけが響くようになったとき、生き残っているのは私と数十人だけだったように記憶している。


 当時は右も左も分からなかったが、帝国軍に指示されて村の入り口に集められ、死か奴隷になるかを座して待つだけの状態になった。


 だが、そのとき、左目がきりきりと痛んだ。


 目の奥が、まるで叫ぶように痛みを訴えた。


 私はあまりの痛みに泣き叫んだ。


 左目を掻きむしり、誰か助けて欲しい、痛みで死んでしまう、そう何度も声を上げた。


 捕虜になった村人や兵士も、捕まえた側の帝国軍も、誰も私の状態を理解していなかった。


 今思えば、数百の死が一気に満ち溢れたのに加え、帝国軍が四方八方で魔法を使ったことで、左目の蓄積できる魔力の許容量を超えてしまったのだろう。


 左目から血の涙が溢れた。


 そう、蓄積された魔力を、祝福ギフトという形で発現させて。


 代償として視力を失った。


 それから先は地獄だった。


 捕まっていた数十人の村人や兵士も、そして、帝国の兵士たちも、等しく『死』に無理やり対面させられた。


 私は眺めることしかできなかった。


 止める術も、何も分からなかったのだ。


 それは、今でも分かっていない。


 今、目の前であの時の再現が起ころうとしていた。




 最初に動き始めたのは、私の目の前にあった聖光騎士団の一人の騎士の死体だった。


 頭を失っていたソレは、転がっていた剣を拾うと、ないはずの顔を向けるかのように方向を変え、星光騎士団へ正対した。


 意思なきものが、意思があるかのように歩を進める。


 ふらふらと、獲物を求めるように。


 二体目、三体目のソレが起き上がり、それぞれがゆっくりと続いていった。


 ざわり、と言葉にならぬ騒めきが騎士たちの間に起こる。


 ぞり、ぞり、と地面を這う音が響いた。


 イヴによって下半身を失った騎士たちの死体が、遅れて匍匐前進を始める。


 首無し騎士が死した奴隷Slave after Deathたちの先陣を切り、半身の騎士が付き従うかのように続く。


「だよね~」


 アダムが両腕を組み、うんうん、と頷いている。


「ラグナーの戦闘の記録から導き出される、予想される結果はそうなるよね」


 彼の言い分に否定も肯定もしなかった。


 私はただ、七年前の再現となってしまったこの状況に流されるだけだった。

 死者の行進を止めず、ただ、彼らに獲物を与える、それしかできない。


「王国の治安部隊だけなら、帝国の兵士たちにすり潰されて終わり。だけど、そこにラグナーの村の人たちも戦力に加わったら? 一度死んだとしても、それが再び戦闘に加わったら? そして、殺した相手の兵士も、さらに戦力として取り込んでいったとしたら?」


 背後から、無数の足音が近づいてくる。


 カール村の死体の山から生まれたソレの群れは、私を無視するかのように横を通り抜け、一直線に聖光騎士団へと向かっていく。


 骨と焼け焦げた肉とで構成された死者は、先頭の首無し騎士を隊長とした軍団のように見えた。


「さあ、そっちの残りは三百! レイさんの死した奴隷Slave after Deathたちもカール村の村人と聖光騎士団先陣部隊を合わせて三百! 真っ向勝負だね!」


 両腕を水平に広げ、アダムが高らかに叫ぶ。

 きっとこれは彼の筋書き通りなのだろう、その表情は悦楽に満ちていた。


「アンデッドの軍団を呼び出すか。王国の召喚士には後でじっくり話を聞く必要があるな」


 相対するクラークには、まだ焦燥は感じられない。


 想定外の事態ではあるはずだが、相手がアンデッドということで、対処できる範囲だと思ったらしい。


「おぉ、おじさん、余裕だね」


「我らの敵と思うか?」


 咆哮とともに、聖光騎士団の隊列から飛び出た複数の騎士が、馬上から金色に輝く刃を振り下ろす。


 凄まじい光の発生の後には、首無し騎士が完全に跡形もなく消滅していた。


 後に残るのは、持ち主のいなくなった鎧と剣だけだ。


 ラグナーの再現になると思っていた私は、予想外に一方的な結末となったことに唖然とした。


 相手が単なる兵士ではなく、聖光教会から選ばれた騎士であることを今更ながら気づかされる。


 彼らには、聖光騎士団にとっては、私の祝福ギフトも大したことはないのかもしれない、そう思いかけた。


「おぉ、凄い! 簡単に消えてなくなっちゃった!」


 そう、アダムさえいなければ。


「当たり前だ、我らがアンデッドごときに……」


 彼の余裕は長くは続かない。


「だろうね、じゃあ、続けて頑張ってね!」


 あぁ、そうだろうな。


 アダムの高笑いとともに、三度崩れゆく聖光騎士団の様子を見て、私は一人納得をしていた。


 私とクラークには決定的な情報量の差がある。


 それは、イヴが、そしておそらくはアダムも、アンファンテリブル恐るべき子供たちという称号を持っているということだ。


 そしてその記録によれば、これもまた、アダムの無邪気な遊びの一つなのだ。


 だから、その残虐性ゆえに、クラークの思い通りの正面衝突にはならない。


 さらなる恐慌が欲しい。

 もっともっと混乱させたい。

 最高の狂騒を見たい。

 恐怖が好きなのだ。

 驚かせることが好きなのだ。

 相手を弄ぶことが好きなのだ。


 アダムの煌めく瞳の中に、私はそんな願望しか見いだせなかった。


「ぐぅ……これ……は……また……さっきの祝福ギフト……嘘だった……のか」


「いや、僕、間違ったこと言ってないし。僕もイヴも人間は殺せないけど、祝福ギフトは当然使えるし、効果は抜群なんだよね」


 天上の神シルヴァは、彼に手を差し伸べることができなかった。

 身寄りのない私は、ただ、流されることしかできなかった。


 すべては厄災の子らの手のひらの上で。


「謀った……のか!?」


「え? 嘘は言ってないもの。勝手に勘違いしたなら、それはおじさんの落ち度でしょ。知らないけどさ」


 へらへらと笑みを浮かべるアダムは、突き進む死者の軍団を満足そうに眺めている。


 アダムの祝福ギフトを受けて落馬した騎士に、這いずる死者が手をかける。落馬した時点ですでに聖なる光は消え、神シルヴァは味方をしていなかった。


 彼はがむしゃらに剣を振って、掴まれていた腕を斬り落としたが、抵抗もそこまでだった。ずりずりと乗りかかられて、首元に噛みつかれた。


 狂ったように暴れまわる彼に、さらに別の這いずる死者が襲い掛かる。おぞましい叫び声が辺り一帯に響き渡った。


 別の騎士はふらつきながらも、どうにか戦闘を続けていた。


 首無し騎士の剣筋は鈍く、アダムの祝福ギフトにより状態が最悪でも、どうにか善戦することができた。四肢を斬り落とし、一体、二体と続けて無効化することに成功する。


 だが、それも長くは続かなかった。三体目を前にして、握力を失い剣を落とすと、無防備になって斬り殺された。


 その弓騎兵は、後退しながら、迫りくる死者たちの足止めをしていた。すでに聖光騎士団はクラークの指揮下になく、独自の判断で個別に撤退を始めているようだった。


 味方が四つん這いになりながら下がっていくのを彼は横目で見ながら、必死になって抵抗を続けていた。


 だが、矢を番えている瞬間、足元に子供の死者が飛び掛かってきた。松明の明かりの中で、小さな子供の死者を見落としたのだろう。たとえそうであっても、本来ならどうとでもなる相手だったはずだ。


 不幸なことに、振り払っている間に、近くの騎士が死者へと変貌したことに気が付かなかった。背後から組みつかれ、あっさりと絞殺された。


 死した奴隷Slave after Deathたちの戦闘能力は常人のそれ以下だ。


 聖光騎士団が本来の力を発揮できていれば、何の問題もなく蹴散らせる相手なのだろう。


 だが、彼らの力はアダムの祝福ギフトによって抑えられてしまっている。


 腕を斬り落とされても痛みすらなく行動を続けるソレは、相手にとって厄介には違いない。


 加えて、やられた味方が、そのまま敵となって襲ってくる。


 もはや戦闘にはなっていなかった。


 四つん這いになり、這いつくばりながら、聖銀の鎧を着込んだ騎士たちが逃げようともがいていた。


 意思なき肉塊が足元に絡みつく。


 死と生の無様な綱引き。


 もはや、指揮をとっていたクラークの姿も見えなくなった。


「レイさん」


 眼前で行われる殺戮絵図に堪え切れず私が呆けていると、いつの間にかアダムが傍に来ていた。


「これで、いいのか?」


 少しの皮肉を込めて、それしかできない自分自身を自嘲する。


「大満足だね!」


 視界の端で、首無し騎士と格闘しているイヴの姿が見えた。


 すでに相手は死んでいるのだから、新たに殺すことにはならない。


 嬌声を上げながら走り回っている彼女の様子を見て、私は何ともいえぬため息を吐いた。


「それは良かった……」


 もはや、何も気にはならなかった。


 広がる無数の死の中で、私や銀の鷹シルバーホークはどうにか生を勝ち取れるのだろう。


 ただ、それだけでよいのだ。

 もはや、アダムやイヴがどう思おうが関係ない。


 朝を迎えて、温かいスープとパンが食べられれば、そして王都に帰ることができればそれでいい。


 そう思っていたのだが、彼はまだ私を許してはくれないらしい。


「でも、もう少し、頑張ったほうがいいよ?」

「……どういう……意味」

「レイさんさぁ、あいつらに逃げられたら困るんじゃないの?」


 どこまで追い詰めれば気が済むのだろう。


 聖光騎士団も、私も、すべてを極限の状態に追い込むまで終わらないらしい。


 アダムは理詰めで私たちの逃げ場をなくしてしまう。


「だけど、どうすれば……」


「いっぱいあるじゃん、例えば、遺跡の途中で転がっているやつとかさ、森の中には狼や熊の死骸とかいっぱい転がってるでしょ」


 私の左目はもう血の涙を流さない。


 ラグナーのときのような意図せぬ暴走を止めるために、主メイソンの指示により義眼に変えたからだ。


 魔晶石が蓄積できる魔力は膨大で、たとえ何百人が死んだとしても、周囲で大量の魔法が使われたとしても、勝手に祝福ギフトを発動することはなくなった。しかし、より多くの魔力を溜め込める分、発動時の威力は増す。


 さっきは、意図的に、カール村の人々と聖光騎士団にむけてしか、祝福ギフトを発動しなかった。


 だが本能的に、その射程範囲はもっと広いことを私は理解していた。


 それは、後で調べた記録でも明らかだった。あのときは、帝国軍は三千、王国の治安部隊は五百、さらにラグナーの村人を含めると四千近い人が争った戦場だ。


 今の、千にも満たない戦場よりも遥かに広い場所に対して、私の祝福ギフトは効果を示していたのだから。


「厄災の称号とはよく言ったものだね」

「それはレイさんもじゃない?」

「ははは、確かに」


 私は自らの称号など知らないが、きっと碌なものじゃないだろう。





――Slave after Death


 二度目の祝福ギフトは、すべての人間を――聖光騎士団の誰も逃がさぬために、見渡す限り視界のすべての死に向けて放った。


 夜が支配する限り、死した奴隷Slave after deathたちは生を貪り続けるだろう。


 いまだ、日は昇らない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る