第16話:鏖殺

 いつからだ、いつから私は勘違いをしていた?


 全身を襲う寒気に抗いながら、道を間違えた時点に思いを巡らす。


――お兄ちゃん、ここは一体どこなの?


 イヴが召喚されてすぐ、私に向かって放った第一声がこれだった。


 そう、私に向かって言ったものだと思い込んでいた。


 身長や体格から判断して、年上の男性という意味で、お兄ちゃんという言葉を選んだのだと納得していた。


 あの状況下で、それが別の人物を指しているなど、あの場の誰も考えつかなかったはずだ。


――お兄ちゃん、イヴは言われたことに逆らえないみたい


――お兄ちゃん、イヴ、がんばるね!


――あーあ、お兄ちゃん、この人たち役立たずだー


――お兄ちゃん、褒めて褒めて


 今思えば、確かにその視線はどこかあらぬ方向へと向いていた。


 ずっと、ずっと彼女は私ではない誰かに向かって話しかけていたのか?


 考えれば考えるほど、寒気は酷くなる一方だ。


「レイさん、しょうがないから出てきたよ~」


 金髪碧眼の目の前の少年は、両腕を大きく広げながら、自らの存在を誇示するかのように近づいてくる。


 イヴと瓜二つな顔は、これ以上ないほどの愉悦に満ちていた。


 あぁ、と私は恐怖の淵で、先ほどまでの饒舌なイヴの言葉が、彼の借り物であることを理解する。


 イヴはただ、彼の言葉をそのまま口にしていたにすぎないのだろう。

 先ほどまでクラークや私と会話をしていたのは、イヴそのものではなく、眼前の少年がイヴにしゃべらせていたのだ。


「ねぇ、そんな顔しないでよ、もっと歓迎するもんじゃないの?」


 そう言われるほどに、私の顔は酷いのだろう。


「あり得ない、あの場に、召喚の儀にはイヴしかいなかったはずだ……」


「あぁ、そのこと? よく分からないけど、あの王都の神殿には確かにイヴしか召喚されなかったみたいだよ? 知らないけど」


「まさか……」

「僕がこの世界に初めて降り立ったのは、グレイトノワール遺跡だよ~」


 合点がいった。

 遺跡に蓄積されていた魔力は、彼を召喚するのにすべて使い果たされてしまったのだ。


「酷いよね、こんな幼い子供を、誰もいない遺跡に独りぼっちにするなんてさ……しくしく」


「誰が君を……いや、独りぼっち? 召喚士はいなかった?」


「そうだよ、誰もいない。イヴと一緒に召喚されたのに、どうして僕だけ遺跡なんだったんだろううね、偶然? 知らないけど」


 魔力は足りなかったのだ。


 王都の中央神殿の魔力だけでは、この厄災の子供二人を召喚するのに十分な容量がなかった。

 イヴの分だけで消費しつくしてしまったのだ。


 本来であれば、イヴを召喚するだけで終わるはずが、なぜか召喚対象として二人はセットであると判定された。


 だから、彼を召喚するために必要な魔力が足りず、自動的にその供給元が求められた。


 そして王都に最も近い、グレイトノワール遺跡の魔力が強制的に使用されたのだろう。


「君は……」


 言葉が続かない。


 称号は何だ?


 祝福ギフトは?


 二人でセットなら、拘束契約バインドコントラクトは彼にもかかっているのか?


 確認しなければいけないことは山ほどあるのに、それは口から出てくれない。


「はい、自己紹介が遅れました。イヴの双子の兄、アダムで~す」


 彼は両手を高く掲げ、ぴょんぴょんと飛び跳ねる。


 その視線の先には、すでに私はいない。


 もっと、遠く、そう気づいて振り返る。


 あまりにも想定外のことが起こったために、自らが置かれている状況をすっかり忘れていた。


「もう一人、ガキだと……」


 明らかに警戒した様子でヴィタリが言う。

 一部の騎士たちが、すでにその切っ先をアダムと名乗った少年に向けていた。


「一人も二人も同じだ、ガキはガキなんだ、数で押しつぶせば……相手がどんな祝福ギフトであろうとも……」


 ヴィタリの指示を受けて、聖光騎士団が二つに分かれ、その片方がアダムのほうへと焦点を定める。


 だが、アダムはただ、ニタニタと微笑むだけだ。


 彼はその両手に何も持っていない。

 服装も、ただの子供用のパンツとシャツを着ているに過ぎない。


 何か、イヴのような起死回生の一手となる祝福ギフトがあるのか、そう私が思ったとき、


――Fear of Child


 アダムが一言、そう唱えた。


 途端、聖光騎士団の一部がバタバタと倒れ始めた。


 ある者は四つん這いになり。


 ある者は地面に膝をつき。


 そうではない者も、剣を地面に突き刺して支柱とさせ、どうにか立ち続けることができる程度の状態だ。


 中には、弓を引き、アダムに狙いを定めようとしている者がいたが、その抵抗も無駄だったらしい。しばらくして彼は弓を落とし、突然嘔吐し始めた。


「僕の祝福ギフトはね、すべての大人に”子供恐怖症”を植え付けるんだ。僕ら子供を目の前にしたら、息切れがして、吐き気が酷くなり、震えが止まらなくなって、思考が散漫になってしまうんだって。あと何だろう、体温が上がる? 頭痛がする? 知らないけど。だって僕はかからないし」


 そう言いながら、アダムはゆっくりと歩みを進める。

 まるで、何も問題はない、そう自画自賛するかのように無防備のまま。


「状態……異常……だと……」

「解除しな……ければ」

「誰か……」


 騎士たちの呻き声の中には、まだ自我がしっかりと残っている者たちの声も混ざっていた。


 途端、散発的に複数の光が生まれ、消えた。

 状態異常の解除を試みたのだろう。

 だが、状況は好転したようには見えなかった。


「……何をやって……いる」

「薬を……」

「まだ体が動かな……」


 アダムは苦しみ呻く騎士たちを、憐れむような眼差しで見つめていた。


「無駄なんじゃない? 他の大人たちも試していたみたいだけど、誰も成功しなかったよ? 毒や麻痺とは作用が違うんじゃない? 知らないけど」


 状態異常ではない?

 アダムはさっきこう言った、彼の祝福ギフトは「子供恐怖症」だと。


 蜘蛛が異常に嫌いな者がいるとして、蜘蛛を目の前にしたときの状態の改善を魔法や薬で試みたとしても、それは通用しない。なぜならば、蜘蛛が嫌いな状態が正常であるからだ。蜘蛛がいなければ、その者の精神・体調に影響はない。だから、根本を取り除かないと解決しない。そう、蜘蛛を排除するしかないのだ。


 だとすると、アダムを視界から除去しなければ、彼らが陥った状態は改善しない、正常には戻らないということになる。


 魔法や薬ではどうにもならない。


 おそらく、吐き気を、頭痛を、寒気を、痙攣を抑える薬や魔法を個別に一つ一つかけていけばどうにかなる可能性はある。回復魔法なら、まだ症状を改善できるのかもしれないが、彼らはそこまで気づいていない。


「ヴァリァァァァ」


 言葉にならぬ叫びを発し、口から泡を吹きながら、一人の騎士が前へと走り出した。


 がむしゃらに剣を振るい、誰もいない空間を斬り割く。

 見えない敵と戦っているように、ぶんぶんと剣を振り回して、千鳥足のまま突進していく。


「だから無駄だってば。僕をまともに見れないんでしょ?」


 あと数メートルのところで、その騎士は歩みを止めた。

 剣を落とし、地面に突っ伏す。

 蛙が鳴くような声を出しながら、胃の中のものを盛大に吐き出した。


 アダムは心底残念そうな顔をしながら、彼に近づいていく。


「視界に入るだけでも駄目なのに、自分から近づいちゃ駄目でしょ、逆に距離取らないとさ」


 そう言いながら、うずくまって痙攣する騎士に顔を近づけた。


「ほら、こうやって耳元で声を直接かければ、恐怖で心臓が止まって死んでしまうことだってある」


 騎士は呻きながら胸を掻きむしっていたが、しばらくして動かなくなった。


「誰も逆らえない。大人は僕のおもちゃなんだよ」


 見える範囲がすべて、地獄と化していた。


 私たちを囲んでいた数十の騎士が、距離を詰めたアダムの影響を顕著に受けていた。


 突き立てた剣でどうにか体を支えるだけで、息も絶え絶えに虚ろな者。


 四つん這いのまま、嘔吐を繰り返し、涙と吐瀉物でぐちゃぐちゃになる者。


 ヴィタリの姿はすでにそこにはなかった。四つん這いになっているのをさっき見たが、這ったまま後方へと下がったのかもしれない。


 そこで、ふと気が付いた。


 私は、アダムに対して何の恐怖も感じない。もちろん、この体に異常はない。


「対象を選択できるのか……」


 その呟きは、彼に届いたようだった。アダムは私のほうをちらりと見ると、楽しそうにウインクをした。


 瞬間、視界が揺らいだ。


 光が瞬き、瞼を開いていられなくなった。


 全身が酷い寒気に襲われ、両足ががくがくと震えて立っていられなくなる。


 心臓が大きく跳ねる。脈が速くなり、破裂してしまうのではないかと怖くなった。


 脳を掻きむしりたいと思うほどの頭痛に襲われ、後ろで縛られた両腕を暴れさせる。


 胃の痙攣を感じ、吐き気を我慢できなくなったとき、ふっと症状が消えた。


 恐る恐る目を開くと、首をちょこんと傾げたアダムの顔があった。


「冗談、冗談~ちょっと体験してもらおうかと思っただけ」


 その表情には悪びれた様子はない。


 アダムに悪意は一切ない、無邪気な行為に違いなかった。

 イヴとは違うタイプの、純粋無垢な残虐性。


「レイさんには後で役割があるんだから、ね」


 ぐちゃぐちゃに乱れた思考に、その言葉は棘を刺すように響いた。


 何をさせられるのか。

 だが、それを想像できるほどの、対処できるほどの余裕はまだ私にはなかった。


「さて、じゃあ、後はよろしく~」


 いつのまにか、イヴがアダムの隣に来ていた。

 こうして並ぶと、双子であることがよく分かる。イヴのほうが少し髪が長いぐらいで、それを除けば区別がつかないほどにそっくりだった。


「イヴ、働き者! 祝福ギフト、出すの」


――Waltz of Massacre


 ゴオォと言う風の音とともに、彼女の大剣が大きく振るわれた。

 目の前の騎士の首が五つ同時に跳ねられ、転がっていく。


 始まりの合図として、鏖殺のワルツの名に恥じない一方的な蹂躙が始まった。


 それは戦いではなかった。

 無抵抗の騎士たちを、ただ、皆殺しにするだけの簡単な作業。


「助け……」

「いったん撤退し……」


 小さな子供が、ぱたぱたと走って、うずくまる騎士の首を簡単に刎ねる。

 薪を割るように、体が二つに斬り落とされる。


「誰か、どうにかし……」

「化……け物」


 血しぶきを何でもないかのように浴びる少女の姿。

 これが戦いであるとは、誰も思わないだろう。


「お願……許し……」

「援護はま……」


 イヴにとっては、それは単調な作業ではなかったのだろう。


 ある者に対しては、首を斬り落とすという単純な死を。


 ある者に対しては、まず斬り上げて腕を飛ばし、返す刀で頭を斬り落とした。


 ある者に対しては、腰から下を吹き飛ばすという攻撃を与えた。


 どれ一つとして、同じ死を与えはしなかった。


「団長……」

「助けて……くれ」


 時間とともに、死体がどんどん増えていく。

 抵抗の一切ない、虐殺行為。


 だが、イヴは鼻歌を奏でながら、足取り軽やかに屍を超えていく。

 血みどろの処刑場を、無垢な死神が舞っていた。


「もうちょっと待ってね、レイさん。もう少し、もう少し数が必要かなって。いや、どれぐらいって決まってるわけじゃないんだけど」


 アダムの話は要領を得ない。

 その意味を、意図を噛み砕けるほどの精神的な余裕は私にはなかった。


 だが、その言葉に対する質問をする暇はなかった。

 ふいに、複数の矢が飛んできて地面を穿った。


「危なっ」


 イヴは察知していたのか、すでに大きく跳躍していて、それらは牽制にしかならなかった。


 アダムが、おぉ、と少し驚いた表情をする。


「神シルヴァに牙をむく化け物どもが!」


 治療を終えたのか、右腕に包帯を巻いたクラークが、再びこの場へと戻ってきた。

 百を超える自らの部下たちの屍を前に、彼の表情は険しくなる。


「前座は終わり! さぁ、ここからが本当の遊びの始まりだよぉ、レイさん!」


 そう笑うアダムの視線を受けて、私はただ体を震わせることしかできなかった。


 これで恐怖はすべてだと、そう思っていた。


 厄災の称号の意味を完全に理解したつもりでいた。


 目の前に起こったすべてが、起こりうる災いを凝縮しつくしたものだと判断してしまっていた。


 けれど、彼らは厄災と総称される称号であって、厄災という称号ではなかった。


 そう、彼らの――アンファンテリブルズの本当の意味をまだ私は知らなかった。

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