第15話:イヴ
あれが、あの流暢に語る少女が、本当にイヴだというのか?
シルヴァ? シュタイン? 私は彼女の前で聖光教会の話をしたことはない。彼らが崇める唯一神のことも、その総本山である都市国家についても口にしたことはないのだ。イヴが知りえたとするならば、それは私が眠っている間に、目の前のクラークから聞かされたということになる。それが初めてだったはずだ。ずっと行きたかった、ずっと願っていた? 彼女は一体何を言っている?
「レイさん、もう何も心配しなくていいんだよ、ここには数百の十分な武力があるんだから」
そう語るイヴは、まるで別人だ。
私のことを「レイさん」と呼ぶことも。
十以上の数を口にすることができることも。
「イヴの言う通りだ。遺跡に現れた
「ふ、ふざけ……」
アンバーが言い割らないうちに、ディタリが彼女の鳩尾を蹴り上げる。悶絶の声とともに、彼女は気を失ったようだった。
「レイさん、しかも、クラーク団長は何と、シルヴァの使徒なんだよ! これこそ、正に僥倖とは思わない? 私たちが助かる唯一の道なんだよ!」
月の光を浴びて、まるで舞台に立つ主演女優のようにイヴは光り輝く。
「使徒?」
「あぁ、レイとか言ったか、君は本当に無知なのだな。召喚士という貴重な人材とはいえ、所詮は卑しい王国の民ということか。これからその体にきっちり教え込まないといけないな」
「そうだよ、クラーク団長は、聖光騎士団はそこらへんの低俗な人間とは違うんだよ。神シルヴァに選ばれた特別な存在、それが使徒なんだって!」
何がイヴの琴線に触れたのか、嬉々として語る。
だが、それどころではない。状況は最悪だ。
このまま私やアンバーを待っているのは、きっと拷問と強制労働だろう。もっと酷い扱いがまっているかもしれない。王国から連れ出され、都市国家シュタインまで連行されるか、その途中で殺されてしまうのだろう。私は見習いとはいえ、召喚士であることが知られてしまったため、利用価値を見出されて生かされるようだが、待っているのは飼い殺しの日々だ。
メイソン様との隷属契約があるとはいえ、はるかに王都での生活のほうがマシなはずだ。
鼻をつく臭いに、ふと、起死回生の一手を思いつく。
アレを使えば、逃げ出すことはできるかもしれない。いや、その可能性が高い。
できれば、アレは使いたくなかった。
アレの存在を誰かに知られてしまえば、私はもう王国のどこにもいられなくなる。いや、王国以外にも手配されて、世界を敵に回して一生追われる人生になってしまう。
幸いにも、アンバーやグランツは暴行を受けて気を失っている。ロックはおそらく、スープ二杯分の過剰な睡眠薬のせいで、まだ眠りこけたままなのだろう。であれば、王国側に目撃者はいない。イヴは第一拘束に従って、言わないように口留めすればいいだけだ。
だが、四百を超える聖光騎士団は不可能だ。逃げることはできても、彼らは永遠に私を追い続けるだろう。
進んでも地獄、引いても地獄。
八方塞がりだ。
私は絶望に打ちひしがれ、地面に額をこすりつけた。
「レイさん、レイさんってば。何、それ、懇願のつもり? そんなことをしても何の解決にもならないよ。なぜ行動しないの? 条件はすべて揃っているじゃない? ねえってば?」
畳みかけるように話すイヴのことがクラーク同様恐ろしく、私は何も考えられなくなっていた。
何が言いたい?
条件が揃ったとはどういう意味だ?
「イヴ、君は一体、そんな子じゃなかったはずなのに……」
咽びながら疑問を口にする。
私の名を呼ぶことなど、今まで一度もなかったはずだ。
「そんな子? レイさんはイヴのことをどう思っていたの? 優しい子? 可愛い子? それとも何でも言うことを聞いてくれる物わかりの良い子? ずっと、厄災の子供だと怖がっていたはずなんじゃないの?」
「厄災の子だと……何の話をしている?」
クラークが眉を顰め、様子を伺うように問うた。だが、イヴはまったく関係ないといった様子で、私から目を逸らそうとしない。
「ねぇ、賢いレイさんなら分かるでしょう? 彼らは使徒なんだよ。分かる? 選民の儀を経て唯一神シルヴァに仕えることになった使徒だけが騎士団に入団することが許されるんだって。ねぇ、分かるよね? 彼らはすでに愚かな人間であることを捨てたんだって」
「おい、さっきから何の話をしている?」
ついにクラークがイヴの肩を掴み、怒声を浴びせた。普通の子供ならそれだけで泣き出してしまいそうな状況でも、イヴは邪悪な笑みを浮かべたままだ。
そして、やっと、私にもイヴの笑みの理由が理解できた。
「まさか、殺せるのか……イヴ」
――第一拘束 地球人は、この世界の人間を殺してはならない
「ねぇ、逆にできない理由を教えてよ、レイさん」
――つまり、イヴは、対象が人間でなければ殺すことができる
「貴様らッ、一体何の話を……」
――そう、対象が自らを人間であると認識しておらず、かつ、イヴも人間だと認識しなければ
「なら、今すぐやってくれ、私たちを助けてくれ!」
「いい加減にしろ、お前らッ、一体どういうつもりだ!」
「本当は自分でどうにかしてほしかったんだけどねぇ、まあ、仕方がないなぁ……うん、分かった、イヴ、
――Waltz of Massacre
大剣が出現した瞬間、イヴの肩を掴んでいたクラークの右腕が吹き飛んだ。
「ぐぉ、何だ、
刹那、クラークは後方へとすでに跳躍していた。
さすがにそこらの雑兵とは違うようだ。
私たちを取り囲むように展開していた騎士たちが、単なる傍観者から、抜刀した部隊へと瞬時に変わる。
「あの少女を殺せ!」
クラークの絶叫とともに、イヴの背後にいた騎士が剣を振り下ろす。
だが、火花を散らしてイヴの大剣がぶつかり、彼の剣のほうだけが真っ二つに折れてしまった。
「え?」
それが彼の最後の言葉となった。
次の瞬間、イヴの持つもう一つの大剣が切り上げられ、彼の体は斜めに両断されてしまった。
「なんだ、あれは……どういう
クラークの号令とともに、イヴの左右から騎士が斬りかかってくる。
だが、彼女は体を捻りながら跳躍し、両の大剣を同時に横薙ぎに振るう。宙で一回転したイヴの放つ剣戟を防ぎきれず、騎士二人は剣ごと体を大きく吹き飛ばされた。
息をつく間もなく、次の騎士が着地した瞬間の彼女の脳天に刃を振り下ろす。
イヴはそれを器用に大剣で受け流すと、返す刀で彼の首を刈り取った。
「きゃははッ!」
飛び散る血飛沫。
狂気の声を上げながら、眼前の騎士に向かって、低く滑り込むように突進する。
迎え撃とうとした騎士三人は、松明の中、地面すれすれで突っ込んでくる小さな子供を捉えきれなかったのか、瞬き一つする間に両足を切断された。
「な、何をしているッ、たかがガキだぞッ」
「しかし、対象が小さすぎて……」
「聖翼の陣でいけ! あの化け物を討ち取るんだ!」
四人の騎士が、イヴの前後左右を取り囲む。四十五度ずらした外側にさらに四人の騎士が陣取った。それはまるで、イヴを取り囲む歪な八芒星の形に見えた。
騎士の咆哮が闇夜に響く。
後方から振り下ろされた剣戟を、振り返りもせずに右手の大剣を後方に払い、相手の体ごと吹き飛ばした。
刹那、左右から寸分違わぬ袈裟斬りがイヴを襲う。だが、二つの切っ先は空を切り、地面に突き刺さる。扇を広げたように、宙から左右垂直に斬り下ろされた大剣が、二人の騎士を頭から真っ二つにした。
再び着地の無防備な機会を狙って、四方から槍が突きだされる。だが、すでにそこに彼女の姿はなかった。
「どこだッ!」
「どこに行った?」
「見えないぞ」
「探せ……グゥ」
男は言葉を最後まで口にすることができなかった。飛んできた大剣に頭蓋の上部を吹っ飛ばされたからだ。
大剣を拾いに姿を現したイヴに向かって、再び槍が突き出される。だが、槍頭はすべてイヴの大剣に弾かれた。次の瞬間には、イヴが地を這うように回り込んで、回転しながら二人の騎士を切って捨てた。
流れるように、回転して飛来した大剣が、残り一人の槍持ちを襲う。彼は体の両断こそ防げたものの、防御に使った両腕を失った。
残るは、前方の二刀流の騎士一名のみだった。
ぶつぶつと何かを呟いている。
いつの間にか、彼が両手に持つ長剣は、濃い光を帯びていた。
おそらく、残りの七人はこのための時間稼ぎだったのかもしれない。
――
騎士の長剣は宣誓とともに、一気に強烈な光を帯びて輝いた。
イヴは、ちょうど投げた大剣を拾って、その最後の一人の騎士に視線を移したところだった。
一瞬、その騎士が動きを止めたように見えた。
しかし、すぐにその騎士は、光り輝く二つの刃をイヴに向かって振り下ろした。
「死ねッ!」
彼の前方にいた他の騎士たちは、すでに射線から消えていた。
それはその名の通り、天使の両翼が地面に叩きつけられたかのようだった。
轟音とともに、凄まじい光の奔流が地面を抉りながらイヴを襲う。
「イヴ!」
土煙がおさまった後、そこには一本の大剣が地面に突き刺さっていた。
大剣の後ろから、何事もなかったようにイヴが姿を見せる。
「馬鹿な……
身巾の広い、刀身二メートルの大剣は、彼女の盾となるのに十分な大きさにみえた。
そして、あの大剣の強度は、聖光騎士団の技では傷一つつけることができなかった。
「え?」
誰が発したのだろうか、驚きの声があがる。
見ると、
おそらく、イヴが相手の技の発動直後に投擲していたのだろう。
「そんな……こんなことが」
斬り落とされた腕を紐で縛られながら、クラークが顔を苦痛に歪めている。
「距離を取って、弓と魔法で牽制しろッ! こちらはまだ四百以上いるんだぞ。数で押し潰せッ!」
後方に下がるクラークの代わりに、ヴィタリが前に出て檄を飛ばす。
対象のイヴは的が小さすぎる上に、尋常ではないスピードで走り回っている。
松明のみの明かりの中で、聖光騎士団は、矢や魔法で彼女を狙うのにも苦労していた。
うまく当てることができても大剣を盾にされてしまい、彼女に傷一つ与えることができてはいなかった。
次の矢を番えている一瞬の間に、イヴは眼前に現れ、二つの大剣を振るう。
両腕を閉じるようにして放たれる斬撃で、並んだ四人の男が一刀両断にされた。
それはまるで、幅五メートルの大きな鋏が迫ってくるように彼らには見えたかもしれない。
剣を横に振るえば、滑り込むように避けられ、さらに低い位置から大剣が振るわれて腰から下で切り離される。
袈裟懸けに斬りかかれば、剣ごと真っ二つにされた。運が良くても、吹き飛ばされる。
わずか数分で、二、三十名の命が消えた。
「なんだ、あの化け物はッ!」
打つ手がなくなったのか、ヴィタリたちはイヴと一定の距離を維持したまま硬直状態に陥った。
イヴを囲む者たちが死んだとしても、さらに外側から波のように増えてくる。
ふぅふぅ、と荒い息だけが闇夜に響く。
イヴが一歩前に進めば、目の前の聖光騎士団は一歩後ろに下がる。
彼女が止まれば、彼らも止まる。
そんな状態が何秒、いや、何分続いたのだろう。見ているだけでも耐えきれないほどの長い時間、彼らは見合ったままだった。
「お兄ちゃん、イヴ、疲れた」
ふいに、イヴが大剣の切っ先を地面に下ろす。
「何を言って……まだ騎士に囲まれているんだぞ、せめてクラークとヴィタリを……いや、もう少し倒せば撤退してくれるはず……」
心から願った私の叫びも、イヴにはまったく響かない。
後から考えれば、第二拘束に従ってきちんと命令をしておけばよかったのかもしれないが、疲れ切った頭はそこまで回ってはくれなかった。
「もう、やだ、寝る」
煙が風でかき消されるように、両手の大剣は姿を消してしまう。
「何をやっている!?」
「お兄ちゃん、自分でやれば、いいでしょ!」
「私には……できない…んだ」
何をしゃべっているんだ、私は。
できない、と断言できない。それが心苦しい。嘘をついているわけではないのだけれど。
イヴは当たり前のことを言っているに過ぎない。
なのに、何だ、この違和感は。
「このままだとお前も殺されるんだぞ!」
第一拘束に従えば、私に対する危険を看過してはならない。だから、率先して私を守るはずなのだ。
第三拘束が機能すれば、イヴは自己を守らなければならない。だから、放っておいても戦うはずなのだ。
それでも、何か私の人知の及ばない、得体のしれない状況に陥ってしまっているような気がして。
「やだ、お兄ちゃん、命令してばっかり、あれ言え、これ言えって」
全身に強烈な寒気が走る。
命令してばっかり?
いつ、誰が?
私はいつ「言え」と命令した?
いや、それよりも、彼女はどこを見ている?
「おい、イヴ……お前、一体誰と……しゃべっている?」
その視線の先を追うように、私はゆっくりと振り返る。
私の眼前に向かって歩いてきたのは、愉悦に満ちた表情をした、イヴと瓜二つの子供の姿だった。
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