第11話:逃走

 グレイトノワール遺跡の大祭壇で、私は何も考えることができず、ただ、その場に座り込んでいた。


 銀の鷹シルバーホークの面々は、体の調子を確かめながら、警戒を続けていた。


「レイさん、色々と訊きたいことはありますが、いったん、この場を離れましょう」


 グランツの提案に、私は一も二もなく賛同した。


 いつ、あのマーズという名の吸血鬼ヴァンパイアが戻ってくるか分からない。今回は、イヴのおかげでどうにかなったが、次がどうなるかは分からないのだ。


「今回の目的の調査――という名目の召喚の儀でしたか、それは達成できていないようですが……」

「分かっています、もうそれどころではないことぐらい」


 そもそも、遺跡に蓄えられていたとされる魔力は存在しない。

 反召喚の儀は遂行できない。


 それ以前に、私は、私自身の命が大事だった。


 彼らの準備が整って、私たち五人は逃げるように神殿から抜け出した。息を殺しながら、細心の注意を払って遺跡を後にする。走っては止まり、周囲を警戒し、また走って、を何度も繰り返す。精神が削り落とされていくのが分かった。結局、抜け出すのに、何時間かかったか分からない。


「イヴ嬢ちゃんがいなければ、やばかったのぉ」


 もはや私の護衛など考慮していないのか、先行しているロックが呟く。


 不幸中の幸いとでもいうのだろうか、結果的には、反召喚の儀ができなかったことで、イヴという戦力を維持することができたのだ。もしも、反召喚の儀を執り行ってイヴを送還した後に、マーズに襲われていれば、私の命は潰えていただろう。


 そして、改めて、厄災の称号持ちの恐ろしさを知ることになる。


 もちろん、イヴの祝福ギフトがあってこそだが、各国が必死に探して騎士団を当てるほどの存在――残滓とやりあって、一方的に蹂躙できるほどの潜在能力を示したのだ。


 反召喚の儀は失敗したが、このまま王都へ連れて帰ってもよいのではないかとすら考えていた。


 正直なところ、イヴとのコミュニケーションはうまくいっているとは言えない。だが、拘束契約バインド・コントラクトにより、命令を下すことができる。彼女は、それに従い、敵を追い払うことができたのだ。戦力として申し分なく、十分に役に立つといえる。


 もちろん、第一拘束に従って、イヴは人を殺すことはできない。だが、軍部でイヴを活用できなくとも、対魔獣や、今回のように吸血鬼ヴァンパイア相手なら、その力を遺憾なく発揮することができるのだ。


 主メイソンにとっては完全に満足できないかもしれないが、残滓狩りや、王都周辺の魔獣狩りには従事させることができる。


 もちろん、それは召喚士の仕事ではないし、中央騎士団に預けることになるが、それでも十分な借りを彼らに作ることができ、召喚士としての面目は保たれるかもしれない。


 反召喚の儀ができないと知ったときは、目の前が真っ暗になり、カール村に置き去りにしようとも考えたが、その必要はないかもしれない。


 目下の問題がうまく回避できそうだと思い、私は少し気分が楽になっていた。


 常時最大の警戒をしているため、イヴを除く全員に疲労の色が見える。特にアンバーの疲れは私の目から見ても酷いものだった。イヴだけは何の問題もないといった様子でついてくる。昨日から一睡もしていないのだが、愚痴一つどころか、何も話さず、黙々と私たちについてくる。


「朝が……」


 泣くような声でアンバーが言う。

 先ほどまで黒を敷き詰めたような空が、少しずつ白み始めていた。


「このまま、魔獣の区域を抜けるところまで休憩なしでいけますか?」


 グランツに問われて、私は首を横に振った。すでに足が棒のようになって、膝は痛みを訴えている。


 そもそも、気を張って慎重に進んでいるため、精神疲労も酷い状態だ。

 が、グランツは、イヴのことは問題ないと思っているらしい。


 仕方がないだろう、今、戦力にならないのは、足手まといになっているのはイヴではなく、私であることが明白だったからだ。


 グランツは相当不満そうであったが、まだ魔獣の生息領域にも関わらず、三十分ほど休憩を取ることになる。


 木々の向こうから、朝日が昇り始めていた。


 アンバーが風の精霊シルキーを周囲に飛ばす。私のためだと思うと申し訳ないと思い、自らの体力のなさを恨んだ。


「昼までにはこの生息領域を抜けようと思います。そうすれば、日が落ちる前にはカール村に着けますから」


「ずっと警戒を続けながら、だと、かなり厳しいのぉ」


「分かってる、だが、カール村につけば一息もつけるだろう?」


「それじゃが、カール村に戻るのはちとリスクが高くはないかの」


 グランツの提案に、ロックが異を唱える。


「理由は?」


「あの吸血鬼ヴァンパイアは、ヨエルという村長の奥さんの姿をしておった。最悪、カール村全体が乗っ取られておる可能性があるしの」


 その言葉に、全員が押し黙った。

 相手は吸血鬼ヴァンパイアなのだ。血を分け与えた眷属が潜んでいるかもしれない、ということだ。


「ロックさん、あいつらは日の下でも活動できるのですか?」


「あんたが言うとるのは、太陽を克服したものデイ・ウォーカーか? さっき相手したのがそれほどの格のものじゃったら、わしらは生きておらんよ」


 それを聞いて少し安堵する。あの走り回っていた可愛い子供たちが眷属であるなど、考えたくもなかった。


「ということは、外を歩いていた人たちは、少なくとも吸血鬼ヴァンパイアではない、ということですね?」


「昼間は室内におるかもしれんの。実際、彼女がそうだったように、じゃ」


 最初に挨拶に行ったときのことを思いだす。確かに、部屋の窓は締め切られ、太陽の光は遮られていた。体調がすぐれないという説明を聞いて、特に気にも留めなかったのだ。


「分かった。じゃあ、こうしよう。日が落ちるまでに何としてでもカール村に着こう。すぐに水と食料を補給して、そのまま村を抜ければいい」


「明日の朝にカール村に入るのは……さすがに無理か」


「あぁ、それだと、最悪の場合、遺跡から逃げ出したさっきの吸血鬼ヴァンパイアと、カール村に潜んでいる吸血鬼ヴァンパイアの挟み撃ちに合う可能性がある。それだけは避けたい」


「カール村を避けて、回り道をするのはどうじゃ?」


「ロックはここらへんの地理に詳しいのか? 俺とアンバーはさっぱりだ。土地勘があるのはあいつらのほうだぞ」


「駄目じゃな。ということは、結局、強行軍しかないということか。あとは、レイさんの体力次第じゃな」


 グランツとロックが示し合わせたように私の顔を覗き込む。死にたくないですから頑張りますよ、と自信なく答える。


 今後の相談をしている間、イヴは小さな岩によじ登って飛び降りる遊びを延々と繰り返していた。


 睡眠もとらず、食事もできていない。にもかかわらず、あの元気さはどこから出てくるのだろう、と不思議に思いながら眺める。


 グランツも彼女の様子を眺めながら、思い出したように口を開いた。


「ところで、イヴさんは一体何者なのです? ブラッドベアを倒したときも思いましたが、普通じゃない」


「召喚の儀のことは訊かないのですね」


「それは今、知る必要のないことです。知りたいのは、戦力となるイヴさんのことです。彼女のことを私たちはもっと知る必要がある。生き残るために」


「生き残るため……」


「ええ。そうでなければ、私たちはここで依頼を放棄しなければならないかもしれない」


 それはAランク冒険者としては致命的な失態だろう。王国からの直接依頼である護衛を放棄するのだ。最悪、ランク降格すらあるかもしれない。それほどまでに、グランツはリーダーとして追い詰められているのだろう。


 確かに、一度、残滓を追い払うことはできた。

 だが、次はどうなるか分からない。


 そもそも、ロックが指摘したように、カール村に他の残滓が潜んでいるかもしれないのだ。


 銀の鷹シルバーホークの信頼を回復することは、王都に帰りつくためには必須といえた。


 明かすことに問題はない、そう、あの一点だけ伏せれば。


「私の妹というのは嘘です。血のつながりはありませんし、家族でもありません」


 でしょうね、とグランツは笑った。


「命令を出していたことからすると、隷属契約スレイヴ・コントラクト下にあるのですか?」

「いえ、違いますが、まあ、似たようなものです」


 隷属契約スレイヴ・コントラクトに似てはいるが、根本的に目的が異なる。


 拘束契約バインド・コントラクトは思考や行動を縛ることに主眼が置かれているため、極端な話、契約下にあっても拘束されていない思考や行動についてはかなり自由に行うことができる。

 

 例えば、私が指示をしなければ、イヴはいつでも、どこにでも自ら行くことができるのだ。その代わり、制限される事項については、強固な縛りがかけられて不可能になる。第一拘束の「この世界の人間を殺してはならない」などがそれにあたる。たとえ私の元からイヴが逃げ出したとしても、彼女は人間を殺すことはできない。


 一方で、隷属契約スレイヴ・コントラクトは、主と従の関係を維持することを目的としている。したがって、指示をしなくても、契約下にある者は勝手に主の元を離れることはできない。

 

 だが、思考や行動の制限は拘束契約バインド・コントラクトほど強固ではない。それ故に、追い詰められれば主に反抗する――場合によっては主を殺そうとすることもありうるのだ。


「私が召喚士であることは――まあ、まだ見習いですが――先ほどの戦闘の時に明らかになったと思いますが」


「えぇ、我々一般人からすれば、噂でしか聞いたことがない職業ですがね。ロックは?」


「わしも会うのは初めてじゃな」


「ですので――ご想像がつくとは思いますが、イヴは異世界から召喚した子供です」


 ほぅ、とグラント、ロック、アンバーが同時に息を吐いた。


「何のために、と訊くのは……」


「別に問題ありませんよ。特に理由はありませんから。国の役に立つ人材を異世界から徴用する、召喚士の仕事とはただそれだけですから」


「なるほど」


「まあ、役に立つか立たないかで判断するなら、もう十分役に立っとるわな、残滓を追い払ったんじゃし」


 そうだ、その成果があれば、反召喚の儀などできなくとも、主メイソンの怒りを買うことはないだろう。


「それが、あの異常な祝福ギフトということですかね?」


「信用してもらえないかもしれませんが、祝福ギフトについては私もよく分かっていないんですよ」


 今、イヴは祝福ギフトを発現していない。


 にも拘わらず、十歳の体力とは思えない。異世界人だから、と言ってしまえばそれまでだが、もともとの基礎体力がこの世界の人間よりも遥かに上なのか、もしくは、常時発動型で体力向上のバフがかかっているか、どちらかだろう、とロックが推察した。


 彼女の祝福ギフト「Waltz of Massacre」の全貌については、すべて分かっているとは言い難い。何より、本人との意思疎通に困っている状態なのだ。自らの口で説明してくれれば済むのだが、と私はグランツやロックに愚痴を吐き出した。


「あのマーズとかいう吸血鬼ヴァンパイア、戦闘中に状態異常をかけられとるようなことを口走っとったが、それも嬢ちゃんの祝福ギフトかの?」


「確かに、痺れるとか、震えが止まらないとか言ってましたが……私にはさっぱり」


 そう言いながら、無邪気に飛び跳ねるイヴの様子を眺める。


 たしか、王都を出てすぐに盗賊もどきに襲われた際も、襲撃者の一人は状態異常の魔法をかけられたかのうような反応を見せていた。だが、あのとき、イヴは祝福ギフトを発動していない。


 常時発動型の祝福ギフトなら、私たちやカール村の人の誰かには影響が出ているはずだ。敵だと認定した場合にだけ、対象を絞るような細かな発動がありうるのだろうか? イヴにはそのような所作は見られなかった。


 そもそも、王宮の鑑定士によれば、イヴの祝福ギフトは「Waltz of Massacre」ただ一つなのだ。稀に複数の祝福ギフトを持つものがいるが、彼らは厄災の称号の確認のために、複数で、さらに何度も鑑定を行っている。ミスを起こしたとは思えない。これは明らかに宣言型で、その言葉を発することにより、二つの大剣が生み出されていることから、常時発動型ではないのだ。


「まあ、とりあえず、次にまた相対するようなことがあれば、最初から嬢ちゃんに活躍してもらわんとな」


 ロックがおどけて言う。冗談めかして言わないと、子供を前に出すように頼むのは精神的に堪えるのかもしれない。


「レイさん、よろしくお願いします」


 私はただ命令するだけなのですが、と答えると、グランツは、逆に命令がなければ戦ってもらえないのでしょう? と自嘲気味に笑った。


 休憩を挟んで、再び魔獣の生息領域を抜けようと、黙々と進む。

 悲鳴を上げる足を無理やり動かし、先を急いだ。


 途中、ブラッドベアやブラッドウルフ、そして謎の男たちの死骸を再び見つけたが、特に変わりはなかった。


 開けた場所を避け、警戒を続けたまま進むのは、行きとは完全に違う疲れを私にもたらしたが、どうにか、太陽が真上に差し掛かる前に、目印となる道しるべの前まで到達することができた。


 だが、そこに迎えのジョシュはいなかった。

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