第10話:死闘
マーズの放った赤い球体が、弧を描くようにこちらへと向かってくる。
一つはグランツとアンバーのほうへと放たれたが、二人は一瞬で軌道を見切ったのか、飛び跳ねるようにして回避した。
もう一つは私の眼前でロックがラウンドシールドを掲げて防いだ。
凄まじい爆風が辺りを吹き飛ばす。
おそらく、魔力の塊をそのまま飛ばしているのだろう。
「なら、もう一回」
マーズが再び球体を生み出した次の瞬間、両手に大剣を持ったイヴが突進する。
「ちょ……」
慌てた様子で彼女はその二つの球体をイヴへめがけて放った。
それを想定していたのか、イヴは軽く跳躍し、空中で体を捻りながら、向かってきたそれらを器用に避ける。
「え?」
マーズの表情が驚愕の二文字に変わる。
標的を失った魔力弾は、地面に着弾して再び爆音を響かせた。
彼女が両腕を交差して防御態勢に入ったときには、すでに眼前でイヴが大剣を水平に振りかぶっていた。
「イヴ、頑張る!」
風を斬る轟音とともに、イヴが二本の大剣をマーズの右横腹から左へと振り払って、マーズの体が両断される。
刹那、彼女の上半身だけが、羽を使い空中へと舞い上がった。ぼこぼこと奇妙な音を立てながら、腰から足が生えてくる。
「何なのよ、その子は!」
憤怒に満ちた顔で、マーズが空中高くから私たちを見下ろす。
しかし、そこにイヴの姿はなかった。
すでに大剣を地面に突き刺し、反動で自らの体をばねのように空中へと跳躍させていた。
「させる、かッ!」
それに気づいたマーズが、三度、両手から生み出した赤い球体をイヴへと放った。
イブが大剣を目の前で交差させ、魔力弾を防いだ。
爆風で彼女の体が後方へと吹き飛ばされるが、宙でくるくると体を回転させ、何事もなかったように着地した。
「ノーブルの名をもらった私が、後手? ありえない、その子は、何、ヒト? 違うわね、召喚士がいるなら、なら、その子は……」
マーズが言い終わる前に、その眉間に矢が刺さる。その衝撃で、彼女の顔は大きく後ろへと仰け反った。
「兄さん、もうやるしかないって」
そう言ったアンバーは、次の矢をつがえ、マーズをすでに狙いに定めていた。
第二の矢がマーズを襲うが、効果のほどが測れない。
「くそったれ、やっぱりロックの言う通りだった、この報酬が異常に高いから止めろってな」
そう言いながら、グランツは左手で持っていた剣の刀身を撫でる。彼の長剣に炎が宿る。
「レイさん、あんたも多少は魔法が使えるんじゃろ、手数を増やしたい、頼めるの?」
「やれるだけやってみます!」
もはや、護衛をしてもらって後ろで隠れているわけにもいかなくなった。
呪文を唱え、マーズへ向かって火球を飛ばす。しかし、マーズが腕を振り払っただけであっさりとかき消されてしまう。
だが、それで意識が逸れたのだろう、振り払った一瞬の隙を狙って、アンバーの矢がマーズの右目を撃ち抜いた。
「ゴミどもがァ! 皆殺しにしてやる!」
怒り狂ったマーズが両腕をかざすと、今度は数十の魔力弾が周囲に浮かび上がった。
「やばい、ロック!」
「分かっとるわ!」
ロックの背後にいた私の元へ、ロックとアンバーが駆け寄ってくる。
次の瞬間、ロックの目の前に
「死ね!」
放たれた魔力弾の豪雨が、ロックの眼前で爆裂する。
凄まじい爆風に、私たちは身をかがめるしかなかった。ロックの生み出した壁がなければ、四人ともやられていたかもしれない。
「兄さんッ」
「クソッ」
「これ以上は持たんぞい」
マーズが犬歯をむき出しにし、怒りに狂って吠える。
「その程度の障壁などッ」
再び無数の魔力弾が彼女の周囲に生み出される。さらに数は増大し、マーズは高らかに笑う。
だが、すでに彼女の背後にイヴが迫っていた。
「お手玉遊び!」
イヴは今度は二つの大剣を振りかぶり、袈裟懸けにマーズを斬り下ろした。大剣はマーズの右肩から入り、左の太ももまでを真っ二つに斬り割いた。
片翼をもがれたため空中での体制を維持できなくなったのか、マーズが落ちてくる。
「アンバー、援護!」
直進するグランツの背後から放たれた矢は、地面に墜落したマーズの左腕に刺さる。
咆哮するマーズの周囲には、いつの間にか無数の蝙蝠が飛び交っていた。見ると、分かたれたはずの右半身から産み出されている。
その蝙蝠たちが集合し、再び彼女の右半身として結合したのと同時に、グランツが滑り込むように彼女の脇を通り抜けて両足を斬り割いた。
「ちょこまかとッ!」
再び宙に浮くマーズの足元に、また蝙蝠たちが集まり、両足を形成する。
また浮かび上がった無数の魔力弾が、豪雨のようにグランツへと襲いかかる。彼はそのまま円柱の陰に隠れて、マーズの猛攻を凌いでいた。
「きゃははッ!」
何が楽しいのか、イヴの嬌声が響き渡る。
マーズが振り返った時、すでに大剣を振りかぶったイヴと相対していた。
彼女の両腕が形を変えて鋭く尖り、イヴの大剣を防ごうとする。
「な、体が硬直するッ、このガキ、何をッ」
一瞬の出来事だった。
完全に無防備になったマーズを、脳天からイヴの二つの大剣が斬り下ろす。
彼女は真っ二つになって、また地上へと落ちていった。
「やったのか?」
グランツが息を切らしながら呟く。
だが、イヴはとことことマーズの半身へと近づいていき、大剣を振りかぶる。
「みじん切りッ!」
ガンガンと何度も大剣が地面とぶつかる。
ぐちゃぐちゃと、肉が潰される音が大祭壇に広がった。
「ミンチッ! ミンチッ! ミンチッ!」
イヴが歌うように、リズムよく大剣を振り下ろす。
そのたびに、ぐちゃりという気味悪い音と、大剣が祭壇の床を削り取るガンッガンッという音が同時に響いた。
「兄さん、大丈夫?」
「あぁ、どうにか。ロック、そっちは?」
「わしは問題ない。しかし、終わったのかの?」
イヴはまだ狂ったように歌いながら、大剣でマーズの体を潰している。
だが、次の瞬間、マーズの体が黒い霧へと姿を変えた。それらは少しづつ濃さを増して形を成していき、無数の蝙蝠が天井を覆った。
「兄さん……」
「まだ、だ!」
「やはり、あの程度で終わるわけはなかったってことじゃな」
蝙蝠たちは、私たちの遥か頭上で一つの黒い塊となり、その中から、またマーズが姿を現した。
「その子よ、その子は何なの」
その顔には先ほどのまでの憤怒の様子はなかった。燃えるような眼ではなく、冷たい赤のように思える。
相当警戒しているのか、天井近くに位置どったまま、私たちと距離を取っていた。
「答えろッ!」
誰も答えない。
グランツやアンバー、ロックがちらりと私を見るが、私も説明しようがないので、何も言えない。
冷や汗で背中がぐっしょりと濡れていた。
とりあえず、イヴがマーズを圧倒しているのだけは分かった。おそらく、
相手にしてみれば、両手で大剣を振り回す十歳かそこらの少女の存在は想定外だったろう。
「
状態異常?
ぽつりと呟き、グランツやアンバーの顔色を伺う。彼らが精霊魔法で援護していたのかと思ったのだ。
だが、二人とも見合って、不思議そうな顔をしている。お互いに何かやったのか? と目線で答え合わせをしているようだ。
マーズがイヴを見下ろす。
「まさか、恐怖? 私があの子供に恐れを抱いているというの?」
マーズの両目の深紅の輝きが増していく。
「ありえない、そんなことは」
それは濃さを増し、どんどん黒くなっていった。
「認めない、私はノーブルの名を与えられたものぞ」
ミシミシと音をたてて、マーズの体が変貌していく。
彼女の体がどんどん膨張し、いたるところから毛が生えてくる。両手両足には鋭い爪が形作られた。背中の羽を飲み込むように、体長が増加していき、最終的に狼のような姿になる。
そのまま落下し、地響きを立てて着地する。
「おいおい、マジかよ……」
「兄さん、これって」
「第二ラウンドといったところかの」
「ワンちゃんッ!」
後ずさる
巨大な魔獣へと変身したマーズは、四つ足でバックステップし、イヴと一定の距離を保つ。
「ぎざま、に、ごれが――」
「アンバー、ロック、何か来るぞッ!」
「――ふぜげるがぁ」
魔獣と化したマーズの口が大きく開かれる。無数に並んだ牙の奥、喉の部分に魔力が渦を巻いて集中していくのが見えた。
その黒い球体がどんどん巨大化して口いっぱいに広がった瞬間、一気に小さくなった。
マーズは口を閉じてその黒い球体を飲み込む。
「グランツ! アンバー!
ロックが叫ぶ。
見ると、
グランツとロックが、アンバーの背後へと走り寄る。
何が起こるのかまったく分かっていない私は、ただ、円柱の陰へと走りこむことしかできなかった。
「ワン、ワン!」
まるでマーズをあざけるかのように、まったく無防備にイヴが跳ねる。お手、と言いながら、剣を置いて手を差し出した。
同時に、魔獣の形をとったマーズが大きく吠えた。
放たれる衝撃波。
耳をつんざく狼の咆哮が届いて私が両手で耳を塞いだ瞬間、ゴウゥという一陣の風がやってきた。
そして、静寂がやってくる。
「ご、めん、兄、さん、防ぎきれな……」
「クソッた、れ、動、け、動け」
「最、悪、じゃ、こい、つは……」
口がまともに動かない。断片的な言葉しか発することができない。
体が動かない。指先ならどうにかといったところだが、手足となるとぴくりともしない。
思考は正常なのに、身体に麻痺がかかったようだ。
目の前で、
頭の中で警報が鳴り続けていた。
もはやあれを使うしかない。今、すぐに
しかし、肝心の手が動かない。
あれを取り出さなければ、
動け、動け、と念じていると、視線の先でマーズがイヴの眼前で動きを止めたのが見えた。
「なぜだッ!」
マーズが魔獣の形態から、また人型へと戻る。
イヴも同様に動けないようだ。無言のまま、マーズと相対している。
「なぜお前を前にすると体が動かぬ? 近づけぬ! この痺れは何だ? 震えが止まらぬ!」
だが、次の瞬間、イヴが大剣を拾って跳躍した。
まるで宙で回る独楽のように、くるくると回転した。
遠心力をたっぷり加えた横薙ぎがマーズを襲う。
「体が万全なら、この程度の剣戟などッ」
瞬時にランスのように尖らせて硬化させた両腕を、彼女は交差させてイヴの攻撃に備えた。
だが、一瞬早く、イヴの大剣が彼女の腰を薙ぎ払う。
「ガキがッ! 貴様の存在が……」
だが、マーズの言葉は最後まで紡がれなかった。
流れるように今度はイヴの体が縦回転して、再びマーズの頭上から大剣が振られた。
マーズの両肩から二つの大剣が地面へと垂直に下ろされる。
声を発する間もなく、彼女の体は三つに泣き別れた。
「血を流しすぎた……このままでは、クソッ、クソッ……忘れぬ、次は……」
そして、無数の蝙蝠が宙へと舞った。
まるで私たちを中心に渦を巻くように天井へと向かっていき、窓から外へと逃げていった。
しばらくの間、静寂が祭壇を支配した。
誰も動けず、どうにか途切れ途切れの声を掛け合うことしかできなかった。
イヴだけが、大剣を地面にガンガンとぶつけて苛立ちを見せていた。
「ワンちゃん、消えちゃった……」
追い払ったのはおまえだろう、とか、そもそも犬でもないだろう、とか言いたいことは山ほどあったが、声も出せぬまま、ひたすら私は自分の体の麻痺と格闘を続けていた。
数分の後、どうにか、四人ともまともに動けるようになった。
「兄さん、動ける?」
アンバーがペタンと尻もちをつく。
「あぁ、助かったのか……」
グランツは支柱のように剣を床に立てて、ふらつく体を預けている。
「肝が冷えたわい」
ロックは手を何度も握りなおして、痺れが残っていないか確認しているようだ。
まだ、しゅんと落ち込んだままのイヴの姿を見て、私は、やっと、厄災という称号の意味を本当の意味で分かった気がした。
「怪我はないのか?」
「お兄ちゃん、イヴ、ワンちゃんの名前考えてたの。弱っちいから”クズ”ってどうかな?」
視線を合わせないまま、場違いなことを言うイヴに向かって、私は大きくため息をついた。
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