第9話:強襲

 遺跡の大祭壇の前で、私は途方に暮れていた。

 あまりの衝撃的な事実に、立っているのもやっとという精神状態だ。


「グランツさん、アンバーさん、あなた方も、でしょうか……」

「えぇ。何も感じませんが?」

「私も兄さんと同じ」


 あり得ない。

 いや、可能性としてはあるのだが、そんなことが想定されているのであれば、私はここに派遣されていない。


「レイさん、顔が真っ青ですが、何か問題でも?」


 グランツの問いかけに、私は何も答える余裕がなかった。

 問題があるどころではない、これではグレイトノワール遺跡まで来た意味がない。

 いざ、反召喚の儀にとりかかろうとしてみれば、その原資となる魔力をかけらも感じないのだ。


 何もない。

 魔力を全く感じない。


 もちろん、私は左目の魔晶石を通じて、魔力の存在を感知するわけだが、視界に何の影響もない。


 念のため、グランツとアンバーに確認してみたが、二人とも、大気中にも地面からも溜まっていたはずの魔力を感じないという。


「ここは本当にグレイトノワール遺跡なんですよね?」

「ジョシュの言う通り来ましたし、位置的に間違いないと思いますが。それに、こんな巨大な建築物を間違うことはないでしょうし」


 何が問題なのか? と言わんばかりのグランツの表情に対し、私は頭を抱えるしかなかった。

 これでは反召喚の儀を行うことができない。


 なぜ、何もない?


 誰かが、何らかの儀式魔術を行使したとしか思えない。そうでなければ、本来膨大にあったはずの遺跡の魔力が枯渇するはずはない。問題は、誰がそれをやったかではない。どこの誰がやったかなど、どうでもいい。結果、反召喚の儀を行うだけの魔力がなくなってしまったことが問題なのだ。


 どうする?


 魔力の補充などできない。グランツとアンバーの体内魔力などたかが知れている。王都で再度行おうとしている召喚の儀には、数百人分の魔法士の魔力を使うのだ。反召喚の儀にも同程度の魔力が必要だ。


 予定を変更して他の遺跡に向かうか?


 自然と私は首を振った。不可能だ。王都から最も近い場所が、このグレイトノワール遺跡であり、他の遺跡など片道で何週間、何か月かかるか分かったものではない。そもそも、旅費も護衛費もない。


 一旦王都に戻り、主メイソンの指示を仰がなければならない。


 だが、イヴの存在が頭痛の種になる。王都から引き離すことも目的の一つだったのだ。反召喚の儀ができませんでした、と言ってすぐに納得してもらえるとは思えない。


 いっそのこと、イヴをカール村に置いていくか?


 他の遺跡で反召喚の儀を行うにしても、少しの間、預かってもらえるだけで、王都に連れて帰るよりはよいと思われるかもしれない。


 理由だ、一応、イヴは私の妹ということになっている。妹だけをカール村に置きざりにする表向きの理由が必要だ。


 明かり一つない遺跡の神殿の最深部で、私は頭を抱えてうずくまった。


「レイさん、一体何があったんです?」


 心配そうに声をかけてくれるグランツの優しさも思考の邪魔になる。


「ちょっとほっといてください。予定外のことがあって、これからのことを考えているんです……」


 あてもなくふらふらと歩き回りながら、今後のことを考える。

 駄目だ、妙案は浮かんでこない。


 主メイソンの怒りは承知の上で、一度王都に戻るしかない。イヴをどうするか、それが問題だが。


「レイさん、ここでどうするんです? もう少し説明をして頂かないと……」

「兄さん!」

「どうした、アンバー?」

風の精霊シルキーに妙な反応があるわ」


 刹那、グランツとロックが私とイヴを取り囲むように円陣を組む。

 私たちは大祭壇の中央で、朽ちた神殿を支える円柱に取り囲まれる状況になっている。

 彼らは三百六十度すべてにに注意を払わなければならない状態だ。


「三時の方向!」


 矢をつがえながら、アンバーが叫ぶ。


「あら、見つかってしまったわね。意外と優秀なのかしら」


 声のしたほうに目をやると、近くの円柱から、黒い影がゆっくりと姿を現した。


「誰だ?」


 グランツの声に対して、その黒い影は慌てた様子もなく、ゆっくりと近づいてくる。

 その黒い影は人の形をしており、月の明かりを浴びて、それが女であることが明確になる。


 闇夜の中から現れたのは、いたって普通の姿をした、妙齢の女性だった。


「あんた……カール村の……」

「ヨエルさんの妻じゃったかの」


 グランツとロックが驚いた様子で訊ねる。が、女はその質問を無視した。


「今の時代のAランク冒険者って、それなりにやるようね」


「どういう意味だ?」


「そのままの意味なんだけど……ところで、さっきから何をしているの? ここに何か用があったんじゃないの? 期待してきてみれば、ただふらふらと歩き回るぐらいで、何をしているのか分からなくて苛々しちゃって、つい気配を消すのが疎かになってしまったわ」


 グランツが無言で私に視線をやる。

 私も無言のまま、首を横に振る。反召喚の儀のことを教えるわけにはいかない。


 いつの間にか、グランツは音もなく剣を抜いていた。その切っ先を彼女に向ける。


「冒険者が遺跡に来るのなんざ、いたって普通のことだろ? だから冒険者なんだろうが」


「そうかしら? そこのレイさんという人は冒険者ではなさそうだし、子連れの冒険者なんているのかしら」


「それよりも、単なる村人であるあんたが、こんな夜中に遺跡に姿を現すほうが不審だと思わないか?」


「ごもっとも」


 女の口元が三日月になる。ふいに、月が雲に隠れ、彼女の姿が再び闇夜に消える。

 再び雲の合間から月が姿を現したとき、女の姿は変貌していた。


「おい、嘘だろ……」

「何をそんなに驚ているのかしら?」


 グランツの驚愕は、すぐに私やロック、アンバーにも伝染する。だが、目の前の出来事を直視できない。ただ、グランツの後ろで、状況を見守ることしかできなかった。


 その女の背中からは、黒い翼が生えていた。いや、翼というよりは羽といったほうが正しいだろう。いわゆる、蝙蝠の羽に近い。


 彼女の瞳は魔力に染まり、深紅に光っていた。


吸血鬼ヴァンパイアッ!?」


 グランツの反応が面白かったのか、女は口元を歪めて笑った。その割れた口元から、尖った歯が見える。


「半分正解、半分不正解」

「不正解?」


「だって、私は単なる吸血鬼ヴァンパイアではなくて、あの御方からマーズ・テラ・ノーブルの名を頂いた特別な存在なのだから」

「ノーブルだと……まさか、残滓じゃ……」


 その言葉で悪寒が走る。


 単眼の夜の女王ワンアイズナイトクイーンが血を分け与えた吸血鬼ヴァンパイアには、ノーブルのファミリネームが同時に与えられたことは子供でも知っている有名な話だった。私が生まれてから十数年は王国内で残滓が見つかったという報告はない。だが、三、四十年前にはまだ頻繁に残滓狩りが行われていたというのは誰でも知っていることだった。


 曰く、一体で百の兵士を簡単に屠ったという。

 曰く、笑いながら街を血の海にしたという。

 曰く、それに見初められたものは人間ではなくなるという。


 目の前に、その恐怖の象徴がいる。


「グランツ、間違いない、あれは残滓じゃ。わしは実際に見たことがある」


 震える声でロックが断言する。


「あら、残滓って言い方は私、好きじゃないの。私たちはあの御方の搾りかすではないのよ。正統な血族なのだから」

「何で……何でこんなところに、おかしいだろッ」


 グランツは責めるような視線で私を見た。

 それは私が言いたい。


「そんなことより、ねぇ、なぜ、あなたたちはここに来たの? 私を追ってきたってわけでもなさそうだし、最初から遺跡に用があったのよね? その割には何もしないし。あなたたち、ここの魔力が突然消えたのと関係あるのかしら?」


 その言葉に私は少し引っ掛かったが、口を挟める状況ではなかった。頭に言葉は浮かんでいても、口が動いてくれない。


 このマーズという吸血鬼ヴァンパイアは、グレイトノワール遺跡の魔力枯渇の原因を探りにきたのか?


 なぜ?


「ロック、俺たち三人でやれるのか?」

「分からん、残滓といっても、血の濃さで強さは一と百ほども違う」


「一なら?」

「手間じゃが、追い払うのはさほど問題はないはずじゃ」


「百ならどうだ?」

「単純な戦闘力なら五分五分といったところじゃが、三十分持つかどうかといったところか。中長期戦になれば間違いなく負けるじゃろうな。相手はいくら斬ろうとも何度も再生する。武器主体のわしらとは相性が悪いんじゃ。普通は、複数の魔法使いの魔法で滅却するのが常套手段だからの」


 グランツとロックの会話の中には、私の護衛のことがすっかり抜けている。

 おそらく、護衛なんか抜きにして、単に三対一で勝てるかどうか、という計算なのだろう。


 最悪だ、と私は心の中で毒づいた。


「ねぇ、ぶつぶつ内輪で相談していないで、さっさと教えてくれるかしら?」


 マーズは首をちょこんと傾げ、妖艶な視線をこちらに浴びせながら訊ねた。


「それをレイさんがお前に教えたら、あんたは俺らを見逃してくれるのか?」

「さぁ、どうかしたら、答えによるかも?」


 恍惚な笑みを浮かべるマーズに、グランツは大きく舌打ちした。


「レイさん、俺も知りたい、何でこの遺跡に用があったんです? 残滓が興味を持ちそうな、危ない案件だったのか?」


 グランツの鋭い視線を浴びて、私は一歩後ずさりした。

 反召喚の儀とは答えられない。それはイヴの存在が異世界からの来訪者であることを認めてしまうことになるからだ。


 だが、単なる調査だと答えたところで、信用してもらえるとは思えない。

 堂々巡りになって私は頭を抱えた。


「さっさと答えないなら、みんな殺しちゃおうかしら。あ、眷属にしてしまえば、無理やり答えを引き出せるのよね、そういえば」


 マーズがゆっくりと近づいてくる。脅しを込めているのか、目を細め、私に対する威圧を増して。


 駄目だ、殺される。

 そして、私は一つの答えをひねり出した。


「召喚の儀のため……」

「え、あんた、召喚士なの?」


 マーズの表情が驚愕に変わる。彼女が残滓だというならば、百年以上生きているということになる。知らないということはないはずだ。


「……見習い」


「何よそれ。ともかく、王国の召喚士っていえば、御方の仇じゃない、あのうっとおしい勇者を百年前に召喚したのはあんたらでしょう?」


「いや、私じゃない、私はまだ生まれていない」


「そんなことは分かってるわよ、馬鹿じゃないの」


 明らかに苛立った様子でマーズは眉間に皺を寄せた。


 グランツやアンバー、ロックが目を見開いて私を見ている。驚かれても仕方がないだろう、召喚士など彼らにとってみれば、その存在を聞いたことがある程度の職業だ。直接目にするのは初めてのはずだ。


「まだ召喚はしてないのよね? ずっと見ていたけど、その様子はなかったものね」

「そもそもこの遺跡に魔力がなくて、困っていたんだ」


 マーズは心底楽しそうに、けらけらと笑う。


「あぁ、そういうこと。私と同じようにこの遺跡の魔力を当てにしてきたけど、空振りだったってわけね」


 私と同じ?


 彼女もこの遺跡に蓄積された魔力を使おうと思っていたということだろうか?


 何のために?


 残滓の悲願は、主人である単眼の夜の女王ワンアイズナイトクイーンの復活だと聞いたことがある。だが、百年前の戦争のときは、連合軍のほとんどの魔法士の魔力を注ぎ込んでやっと封印できたとされている。遺跡の神殿一つや二つ程度の魔力で封印が解けるものなのか?


 それとも、何か別の用途があったのか……。

 私の思考がまとまらないうちに、グランツが恐る恐るといった様子で口を開く。


「レイさんは答えたんだ、これでいいだろう?」


「そうね、でも、いつかあの御方が復活されたときに、召喚士は邪魔かしら。ねぇ、ここで消しておいたほうがいいわよね」


「見逃してはくれないのかッ」


 悲壮感のこもった声でグランツが叫ぶ。

 完全に臨戦態勢をとったアンバーが、すり足で射線のとれる位置へとゆっくりと動いていた。

 ロックは私とイヴを守るように、背中をこちらに向ける。


「あぁ、あなたたちも抵抗するの? そこのレイさんだけ置いていってもらえれば見逃してあげてもいいけど?」


「グランツ、どうするんじゃ、賭けにしては分が悪い」

「しかしッ」


 相対したまま、膠着状態が続く。


 切っ先をマーズに向けたまま、グランツは、ちらりと私のほうへと視線をやる。


 まさか、悩んでいるのか?


 これはまずい、まだ悩んでいるとはいえ、私を差し出すのが事態を打開する方法の一つだと考えられているのは間違いなかった。


 だったら、一か八かだ。

 目には目を、歯には歯を、毒には毒を。


「イヴ、命令だ、あの吸血鬼ヴァンパイア祝福ギフトで追い払え!」


 驚いたように、四人が私を見る。


「お兄ちゃん、知ってるよ、吸血鬼ヴァンパイアは元は人なんでしょ」

「元だ、元、今は人じゃない!」

「じゃあ、イヴでも殺せるの?」

「問題ない! さっさと祝福ギフトを発動させろ!」

「イヴ、一人でできるかなぁ」

「早く!」

「お兄ちゃんの祝福ギフトも使って」


 え?

 何でイヴが私の祝福ギフトのことを知っている?

 話したことはないはずだ。主メイソン以外がこの秘密を知っているはずなどないのに。


「私は……」


 ここが遺跡であるという事実から、私の祝福ギフトを使えば、ある程度の効果は期待できるかもしれない。吸血鬼ヴァンパイアに勝つことはできなくとも、逃げるための時間は稼げるかもしれない。しかし、銀の鷹シルバーホークの面々に知られるのはまずい。


 どうしても、今、あれを使わないといけないのか。決断ができない。


「お兄ちゃんもイヴと一緒に戦ってくれるのね!」

「いや、ちょっと……私はまだ……」


「あら、まさか、あんたたち、そこの少女を戦わせるの?」


 私の逡巡など待ってくれず、マーズが両腕を広げた。その両手にボールサイズの赤い球体が浮かび上がる。


「なら、イヴ、頑張る――Waltz of Massacre」


 そして、二人の忌むべきものたちの戦いが始まった。

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