第8話:幕間 王都にて

 ザクセン王国王都クレヴィルの中央神殿の一室に、グレッグは数度ノックをして入った。


 扉の先には、重厚な机に向かい、事務手続きを処理するメイソンの姿があった。机の上には、書類が山積みされている。


「何の用だ?」


 メイソンは視線をグレッグにはよこさず、手元の紙に落としたままだ。彼は召喚士の長であるがゆえに、研究そのものよりも、政治ごとを処理することに忙しかった。各方面への根回し、金策、組織運営、時には後ろ暗い手段を取ることもある。


「鼠より定時連絡がありましたので、ご報告まで、と」

「レイか?」


 ページがめくられる。現時点ではあまり興味はなさそうだ、とグレッグは判断する。手短に済ませて問題ないだろう。


「はい、今朝、カール村を出発して遺跡へと向かったとのことです。時間的にみて、早ければ今晩には到達するでしょう」


「明日には反召喚の儀が終わるかもしれないな」


「おっしゃるとおりです。次回の定時報告にはお望みの結果がもたらされるかと」


 そこでグレッグがメイソンに分からないように小さくため息をついた。本題はこれではない、別にあるのだ。その内容を伝えることを想像すると、ひどく気が重くなった。


「それから、もう一つ、お伝えしたいことが……使徒を王国へ派遣した、と聖光教会から通達がありました」

「は?」

「外交ルートからの正式連絡です」

「使徒――つまり、聖光騎士団どもの越境を許したというのか?」


 聖光教会とは、唯一神シルヴァを信仰する一神教の一つである。この大陸の最大宗教派閥であり、ザクセン王国の東側にある都市国家シュタインを総本山としていた。シュタイン自体の人口は十数万人とされているが、聖地巡礼のために出入りする信徒が多く、詳細なことは分かっていない。しかし、信徒は各国に根深く広がっており、ザクセン王国の国民の七割は聖光教会の信徒であると推定されていた。大陸全体でみれば、数千万に上る数であり、実質的に聖光教会およびシュタインは、各国にとってのタブー扱いとなっている。


 そして、教会のもつ最大武力が聖光騎士団であり、彼らは自らをシルヴァの使徒と称していた。


「外交部は何をしている?」

「事後連絡とのこと。時間的にみて、すでに国内に到達している可能性があります」


 メイソンはグレッグに聞かせるかのように舌打ちをした。バスティール帝国のように聖光教会の信徒が国内に少なければ(正確には少なくするために弾圧をかけているのだが)、そのような干渉は受けないのだが、残念なことにザクセン王国には信徒が多い。それは貴族にも根を張っており、敵対行動をとるようなことは不可能であった。


「目的は、あいつらの越境の目的は表向きどうなっとる?」

単眼の夜の女王ワンアイズナイトクイーンの残滓の掃討が理由とのことです」


 百年前の戦争の後、単眼の夜の女王ワンアイズナイトクイーンは封印されたが、彼女の血を、祝福ギフトを分け与えられた直属の部隊は、各地へ散って逃げていった。聖光教会を含む各国は、その直属部隊のことを「残滓」と呼び、以降、捜索と捕縛・処理を共同して行うことになった。なぜならば、単眼の夜の女王ワンアイズナイトクイーンの封印を解くことが「残滓」の悲願であったからだ。


「そんなもの、聖光教会の力を借りんでも、国内でどうにかできるだろう。外交部は大人しく引き下がったのか?」

「聖光教会の言い分では、事は火急を要すると。ザクセンはザクセンで自ら動いて、残滓狩りを行うのでよいと言われたそうです」


「相変わらずの上から目線じゃの。大義名分があり、正統性があれば内政干渉も許容されるか」

「百年前の戦後処理はまだ生きております故、単眼の夜の女王ワンアイズナイトクイーンの残滓掃討は、最優先事項となり、国境を越えても行うことができるとされておりますから」


「つまり、聖光教会は、今回の残滓の動きを確実に把握しとるということか」

「ご推察のとおりかと」


 メイソンは会話を続けながら、ドンっと印を押した。事務手続きを同時に処理できるほどには、聖光教会の越境の件自体は重要ではないらしいとグレッグは理解する。


「まあ、中央騎士団や軍部どもは激怒しとるかもしれんが、我らとは関係ない。放置しておけばよい」

「ですが問題が一つ、彼らは王国の東部一帯で残滓狩りをすると通達してきています」


「東だと?」

「はい、グレイトノワール遺跡もカール村も間違いなく調査対象地域に入ります、しかも数日中に」


 室内の空気が一変した。押しつぶされそうな重圧の中、やはりこうなったか、とグレッグは心の中で呟く。


「それはいかん、それはまずいぞ」


 だが、続いてメイソンの口から発せられたのは、グレッグの予想を裏切るものだった。


「――わしがレイを匿っていたとばれるのはまずい」

「あの厄災の少女――イヴではなく?」


 目下、メイソンの頭痛の種は、あの厄災の子であったはずだ。余計な金銭を捻出してA級冒険者を雇い、表向き召喚士として認定されていないレイを派遣してまで解決したかった厄介ごとのはずなのだが。


「イヴ? あぁ、そっちは単なる国内問題だ。最悪どうとでも握りつぶせる。だが、レイの存在は違う」


 おかしい。レイを匿っているとはどういう意味なのかと、グレッグは頭をひねる。

 単なるメイソンの奴隷兼小間使いではなかったのか。


「差し支えなければ、なぜレイの存在が問題なのでしょうか?」

「問題なのはレイの称号よ」

「レイが称号持ちなど、初めて聞かせていただくことですが……」


 グレッグに限らず、他の召喚士たちも、レイが称号持ちなどとは知らなかった。レイ自信が口にしたこともない。


「当たり前だ! あれの称号は口にできぬもの、そして祝福ギフトは禁忌の御業なのだ。存在を簡単に公にすることはできぬ。ましてや、聖光教会には絶対に知られるわけにはいかぬのだ」


 尋常な様子ではない。ザクセン王国の召喚士の長メイソンをもってして口にできないと言わせるのはよほどのことなのだろう。


「それは私が知ってよいことなのでしょうか?」

「何の称号であるかを知らないままでいればよい」


「しかし、なぜそのような危険なものをお傍に? そもそも、レイは忌み子とされていたはずでは?」


 メイソンは超がつくほどの保守的な人物だ。

 レイのみでグレイトノワール遺跡での反召喚の儀を遂行させるよう一見無謀な命令を出しているようには見えるが、実際は鼠と呼ばれる者を配置しており、いつでも、どうとでもできるように手を回している。おそらく、その鼠が処理に失敗することも見越して、さらなる手を打っているとグレッグは想像していた。


 そのような人物像と、身を滅ぼしかねない存在を長年身近に置いておいたという現実の行動が、うまく紐づかずに混乱していた。


 もともと、生まれ育った村で忌み子とされていたレイを拾って、傍に置いたのはメイソンだった。召喚士は忌み子などという迷信を信じることはないから、グレッグはメイソンの酔狂の一つとしか理解していなかった。


 厄災の称号のように、文献に記録としてきちんと残っているのであればいざ知らず、忌み子と呼ばれたものたちは、他と異なる外見によりそのように扱われているだけであり、それらは時に特殊な髪色であったり、異なる眼の色であったり、肥大した体の部位であったりしただけだ。それらが、天災や不幸と紐づいている事実などは存在しなかった。故に、研究者の間では、そのような迷信に騙されるものなどはいなかった。


 だが、レイがそのような祝福ギフトを持っているとなれば話は別だ。それ故に、忌み子とされていた、そう判断できる。


「危険かどうかは、それを制御できるかどうかによる。それが明かせぬ称号で、忌まわしき結果を生む祝福ギフト持ちであったとしても、レイは完全にわしの隷属化にあり、暴発することもない。いざというときの保険として置いておいたのだ。そう、敵がどのような手を打ったとしても、その盤面をひっくり返せるほどの、それほどの代物なのだよ」


 そこまで言われれば、グレッグとてレイの持つ祝福ギフトとやらに興味がないわけではなかった。だが、知り過ぎたることは身を滅ぼす。ましてや、レイの主人ではないグレッグには。


 やるべきことはメイソンの利益につながることだけだ。それが、ひいてはグレッグの利益へとつながる。

 レイの称号には希少な価値があるらしい。しかし――。


「ゆえに、聖光教会に知られてはならぬと」

「然り。まずい、絶対に」


 メイソンが断言するのであれば、それは間違いないのだろう。

 聖光教会の信仰は苛烈だ。唯一神シルヴァのみを信奉するが故に、多神教の他宗教とぶつかることも多々ある。


 レイの持つ何かが禁忌であると判断されるのであれば、それを知りつつ保護していたメイソンも異端裁判にかけられるだろう。


 たとえ、メイソンがザクセン王国の召喚士の頂点であっても、おそらくは避けられない。

 最悪の場合、待っているのは拷問と死刑だ。


 メイソンがここまで恐れるのであれば、きっと禁忌の程度も、教会から許容されるレベルではないに違いない。


「しかし、レイがその祝福ギフトとやらを使わねば、称号も露見しないのでしょう? 我々とてこの数年ずっとそばで働いていても気づきもしなかったのですから」


「そもそも、レイは自らの称号を知らぬ」


「知らない?」


「あぁ、称号は祝福ギフトとは違い、自ら知ることはできぬのは知っておろう。あれは、行動の結果により神より付与されるもの。レイは、ある時を境に、恐るべき称号を得たのだ」


「なるほど。称号は鑑定でしか知りえぬこと故、それは理解できます。しかし、祝福ギフトは神より授けられた時点で本人は自覚しておりますから、レイが使うリスクがあるのでは?」


「やつが祝福ギフトを自ら望んで使うことなどありえぬ。使った時点であれは誰からも恐れられ、避けられ、一人になってしまうことをあれ自身が身をもって知っておるからな。待っておるのは、消されるか、せいぜい国の道具としての扱いのみよ。故に、安心しきってしまったわ。何もないまま長く傍に置きすぎたせいで、わしの感覚も鈍ってしまっておったらしい」


「では問題ないのでは? 鑑定にかけられることなど稀でしょうし」


「そのような懸念があるだけで、おちおち寝てもおられぬ。お前らにしろ、国内であれば露見しようともいくらでも握りつぶせるが、教会だけはどうにもならん。手元から離したのは失敗であった」


 メイソンの言い分には首肯せざるを得なかった。

 問題なのは、相手が堅物の教会であるというところだ。露見した場合のリスクが大きすぎる。


「して、どのような手はずで?」

「寝た虎を起こす必要はない。聖光騎士団には手を出すな」


「分かりました。では、もし仮にかの手に落ちた場合のみ、レイには消えてもらうことにします。レイの運が良ければ、聖光騎士団と鉢合わせすることもないでしょうが……」


「まあ、運が良いなら、あのような称号をもって生まれはせぬ」

「なるほど。ですが、自身に危害が加えられるのであれば、その危険な祝福ギフトを行使するのでは?」


「心配せずとも、あれの持つ祝福ギフトは暗殺を防げるような代物ではない。単体の戦闘向きのものではないからの」

「分かりました。鼠に伝えておきます」


 メイソンは興味を失ったように、再び机へと視線を落とした。


「グレッグ、お前もレイが称号持ちということを知ってしまったな」

「まことに」


 グレッグはそれだけ言い残すと、メイソンの部屋を出た。


 冷や汗が背中を伝う。

 仮に失敗した場合、聖光教会の裁判にかけられるのは、メイソンだけではなくなってしまったという意味だろう。一連托生、であれば、グレッグもミス一つ許されなくなったということだ。


 額に浮き出る汗をぬぐうと、グレッグは速足で神殿の奥部へと向かった。

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