第6話:魔獣

 翌日の朝、私とイブ、銀の鷹シルバーホークの面々、そして荷物持ちとして雇われたジョシュとともに、カール村を出発した。

 イヴの足を考慮して何度か休憩を挟んで、グレイトノワール遺跡に着くのは明日の昼過ぎになるとのことだった。


 歩き始めて数時間が経った頃、空気中の魔力が濃くなったのが分かった。


 私は初歩的な攻撃魔法や防御魔法が使えるものの、魔法士としての素養があるわけではない。なのに魔力の濃度を感じ取れることができるのも、ひとえに左目の魔晶石のおかげだ。空気中の魔力が濃くなれば、私の左目の魔晶石がそれを取り込もうとする。その際に、視界が急激に赤みがかるのだ。


 一方で、精霊魔法が使えるグランツやアンバーは、自らの体感として把握することができる。

 実際、彼らは警戒レベルを上げているようだった。


「ここから先は、魔獣の生息領域になります」


 ジョシュが立ててあった道しるべを指さす。


 魔力の濃さなどが分からないカール村の人々は、過去、王国の調査隊が訪れたときに、念のため目印を立てておいたのだという。その先には進んではならない、という警告のためだ。

 魔獣の一体、二体であれば、ジョシュなどの狩人でもどうにかなるが、特に足の速いブラッドウルフなどだと多数になれば逃げることすら難しくなるらしい。


「しばらくは低級な魔獣しか出ないでしょうから、精霊魔法での索敵は行いません。その代わり、急に茂みから何か出てくる可能性もありますから、ロックの傍にいてくださいね」


 グランツが念押しする。精霊魔法も無尽蔵に使えるというわけではないということだ。


「まあ、風の精霊シルキーに頼らなくても、私が気づかないなんてことはないけどね」


 アンバーにとっては、兄の言い分は納得いかないのだろう。


「しかし、イヴちゃんはすごいですね、これだけ歩いても文句ひとつ言わない」


 グランツがてくてくと軽快に歩くイヴを見て言う。

 確かに、と私は頷く。というよりも、むしろ一言も発さない彼女の様子が気味悪いほどだ。


 Aランク冒険者に、普段狩りをしている屈強な村人、彼らはともかく、十歳程度の子供にはこの行程はきついはずなのだが。


「たしかに、レイさんのほうが疲れてそう」


 くすくすとアンバーが笑う。

 実際、私はすでに膝が悲鳴を上げつつある。これがあと数時間も続くことを考えると、暗澹たる気分になった。


「イヴちゃんは我慢強いのかもしれないけど、きつくなったら遠慮なく言ってね」


 アンバーの優しい声かけにも、イヴは特に返事もせず、黙々と歩いていた。

 その寡黙な少女の様子をみて、銀の鷹シルバーホークの面々は、表情に怪訝な様子を見せる。


 正直なところ、イヴの身体能力は常人のそれを超えているのではないか、という確信、いや確証があった。

 大剣を両手に持って、空中で振り回す様を実際にこの目で見ているのだ。


 祝福ギフトのせいかもしれないが、その発動時だけに身体強化が行われているわけではなさそうだ。

 通常時も、何らかのバフがかかっているのかもしれない。


 干し肉などの軽い昼食を取って、さらに一時間ほど歩いたところで、急に先頭を歩いていたアンバーが立ち止まった。

 周囲をうかがうように注意を払い、視線が険しくなっている。


「兄さん、前方から血の臭い」


 アンバーの呟きに応じて、グランツが剣を抜く。ロックがラウンドシールドを前に掲げて、私とイヴの前に立つ。


 グランツが先頭に立ち、警戒しながらゆっくりと進む。ロックとジョシュとで私とイヴを挟むようにして、少し遅れて進んだ。


「近い」


 アンバーが叫んですぐ、我々の眼前には信じられないような光景が広がっていた。


 血だまり。

 数えきれないほどの狼のような獣の死骸。

 十数名の男や女たちの死体。


 そして、その中心に、へたり込むようにして座る一人の男。短く切りそろえられた髪は血に濡れ、右手には長剣を持ったままだ。彼は空を見上げて、何かをぶつぶつと呟いていた。


「アンバー、他には?」

「血の臭いが濃すぎて分からない!」

「なら、風の精霊シルキーを飛ばせ!」

「分かってるわよ、もう!」


 アンバーが呪文を唱えると、虹色の光が生まれ、その細かい粒は空へと飛んでいった。


「どういう状況じゃ、こりゃあ」


 ロックの呟きに、私は心の中で激しく同意する。

 遺跡へと続く道をふさぐように、獣と人間の死体が溢れかえっていた。


「これはブラッドウルフだな、ざっとみるだけでも二十以上はいる。そっちは?」


 グランツの問いに、死体を見分していたロックが「素人じゃとは思えんな、装備からして普通の冒険者とも思えん、盗賊の類か」と答える。


 そう言い合いながらも、二人は探索に意識を飛ばしているアンバーを守るように位置どっている。目の前に、まだ一人、生き残りがいるからだ。彼は、私や銀の鷹シルバーホークの存在に気が付いてすらいないようだ。


「おい、そこのやつ、聞こえるなら、剣を下ろせ」


 グランツが、警戒をしたまま声をかけた。

 男は反応しない。宙に視線をやったまま、ぶつぶつと何かを口にしている。


「ロック、どうする?」

「お前さんの相手にはならんだろうが、状況が異常じゃ、むやみに近づくのは得策じゃなかろう」


 二人は視線を交差させ、武装を解除せずに、さらに周囲の死体を確認していく。


「兄さん、北のほうに三体のブラッドウルフがいるわ。ここから逃げるように離れていっている。きっと同じ群れだったんじゃないかな」


 索敵が一通り終わったのか、アンバーが弓に矢をつがえていた。


「どうする? あいつに聞くしか……」


 そうグランツがいいかけたとき、その男がちらりとこちらをみた。なぜか、私と視線が合った。

 その瞬間、ぶるぶると震えだすと、口から泡を吹き始めた。

 痙攣を起こし、首を掻きむしるように横倒しになると、背を反らして地面の上で跳ね、すぐにぴくりとも動かなくなった。


「おい、アンバー、一体何が……」

「知らないわよ、毒の臭いはしないし、近づいても大丈夫だとは思うけど……」

「少し様子見じゃな」


 銀の鷹シルバーホークの中では答えが出ないようだ。


 私が口出しできる状況ではない。ロックの後ろに隠れて、イヴの手を握るぐらいしかできない。ちらりとジョシュのほうを見ると、彼は顔面蒼白になっていた。


「ジョシュさん、あの中に見知った顔はあるか? 村の関係者は?」


 彼はまともに答えられず、ただ、ぶるぶると顔を横に振って否定することしかしなかった。


「カール村で冒険者を雇って、ブラッドウルフの駆除を頼んでいたってことはないんだな?」


 グランツの問いに、まだ彼は声を発せず、ただ首を振ることで否定を示すだけだった。


「ロック、どう思う? 盗賊の類がたまたまブラッドウルフに襲われたってことか?」


「装備がちぐはぐで整備もされとらんしのぉ、ほら、そこの剣など刃こぼれしとるし、冒険者や傭兵じゃなかろう。カール村じゃなく、よその村の狩人って可能性はあるかもしれんが、十数人で動く狩人なんて聞いたこともないの。そもそも、カール村じゃないのなら、どこの村から来たっていうんじゃ」


「じゃあ、盗賊か? こいつら、カール村を襲うつもりでもいたのか?」

「わしらを待ち伏せしとったところに、偶然、ブラッドウルフに襲われたとか、かの」

「ロック、そりゃぁ、笑えねぇ話だな」


 グランツとロックは顔を見合わせ、そして私のほうに視線をやった。私とイヴを値踏みするように眺めている。おそらく、こう思っているのだろう、王都を出て襲われた盗賊も、意図的に私とイブを狙っていたのではないか、と。


 だが、私には心当たりがないのだ。


 ふと主メイソンの顔が浮かんだ。こういった荒事に長けた彼なら、敵対するもの、邪魔なものに対して刺客の一つや二つ、送ってきてもおかしくはない。少なくとも私やイヴがお荷物になっていることは間違いない。けれど、今回に限っていえば、こんな面倒なことをする必要はないのだ。わざわざAランク冒険者に護衛を頼んでおいて、無理に殺そうとしなくとも、王都の目の届く範囲で適当に殺してしまい、闇に葬ってしまえば済む話なのだ。私にもイヴにも家族も血縁者もいない。誰も真相を追求しようとするものなどいないからだ。


 むしろ、銀の鷹シルバーホークが狙われているのではないか、とすら私は推察していた。Aランク冒険者ともなれば、敵対するパーティやクランも存在するだろうし、疎ましく思っている人も多いだろう。


 だが、そんなことを説明しても、グランツやロックが納得してくれるかどうかは分からなかったし、下手に責任を向こうになすりつけて信頼を損なうのも避けたかった。


 どう話すべきか逡巡していると、アンバーが急に体を震わせた。


「兄さん!」


 彼女は視線をジョシュのほうへ、いや、さらに奥の茂みへとやった。


「まずいよ、血の臭いに誘われて大型のやつが猛スピードでこっちに向かってくる、後方、接敵まで……」


 そう言い終わらないうちに、ジョシュの背後の大木が粉々に飛び散った。その木片を体中に浴びながら、黒い魔獣が私たちのほうへと突き進んでくる。


 その体に似合わず、ロックの動きは俊敏だった。

 余りの出来事に微動だにできなかった私やジョシュをかばうように、深紅の眼をした黒い魔獣――ブラッドベアの前へと躍り出て、ラウンドシールドを掲げた。


 激しい衝撃音が鳴り響く。ロックとブラッドベアは、衝突した瞬間にお互いに反対方向へと吹き飛ばされた。


 ブラッドベアが起き上がり、態勢を整えた次の瞬間、その右目に矢が突き刺さる。私が振り返ったときには、すでにアンバーは次の矢をつがえている最中だった。

 ロックと入れ替わるようにグランツが前に出る。


 ブラッドベアは怒りに震え、口の端に泡を浮かべながら、彼を待ち受けるように両足で立ち上がった。ゆうに三メートルを超えるであろう巨体が、私たちを見下ろすようにそびえたつ。


 激しい咆哮。


 刹那、その鼻に追の矢が刺さる。

 低い体勢で滑り込むようにグランツが走り込み、ブラッドベアの右足に向かって剣を横になぎ払った。


「すまん、浅い!」


 グランツがそのままブラッドベアの後方に回り、また入れ替わるようにしてロックがラウンドシールドを掲げてブラッドベアと相対する。彼の後ろではアンバーが矢をつがえ、さらに私とイヴ、ジョシュが控えていた。


 ブラッドベアは一声、大きくわななくと、再び前足を地につけ、狙いを定めるように左右にゆらりと動き回った。その深紅の眼は、魔力に侵されているだけではなく、怒りに染まっているように見えた。


「突っ込んでくるぞい!」


 ロックが叫ぶ。


「ちゃんと止めなさいよっ!」


 背後でアンバーはさらに次の矢をつがえている。


「分かっとるわい。この程度のブラッドベアなぞ、後ろへ一歩もやるわけもなし」


 後方のグランツを無視するかのように、ブラッドベアは真っすぐにこちらを見てい

た。


 鋭い爪が砂煙を上げる。

 ヒュッと音がした瞬間に、その眉間に三つ目の矢傷ができていた。


 だが、それは致命傷とはならなかったようで、突進は止まらない。

 牙をむき出しにして、私たちを噛み千切らんと向かってくる。

 気が付けば、その巨体が眼前に迫っていた。


「し、死ぬ」


 後で思えば、この一言がまずかった。いや、結果的にいえば、この言葉のおかげで助かったのかもしれない。

 だが、私が銀の鷹シルバーホークを信頼しきれていなかったために口に出てしまった言葉だ。

 それは、彼女を再び動かす言葉ともなった。


「お兄ちゃん、私、頑張るね!」


 我が意を得たりといった表情のイヴが、視界の端に見えた。


「お……い」


 その先の言葉を発する間もなかった。すでに彼女はロックの前に走り出していた。


「嬢ちゃ……」


 ロックにも予想外の出来事だったようで、まったく反応できていなかった。


「あ、言わないといけないんだった。イヴ、出す――Waltz of Massacre」


 体を捻りながら、宙へと跳躍する。

 黒煙が彼女の周囲に現れた瞬間には、その両手には三度目の大剣が握られていた。

 そのままぐるぐると体を空中で回転させたまま、突進してきた巨体とぶつかる。


 いうなれば、横向きの小さな竜巻。

 それが黒い物体を巻き込んだ。

 彼女の小さな体は、魔獣を軽々と飛び越える。


 次の瞬間、両の大剣の回転により、ブラッドベアの首、胴、腰が切断された。

 血しぶきが舞い上がる。

 残ったのは、三つに断ち切られた魔獣の死骸だった。


「やたー! 森の熊さんをやっつけたー」


 えいえいおー、と大剣を持ったまま両手を掲げるイヴ。

 一瞬の出来事に、銀の鷹シルバーホークも、私もジョシュも、絶句するしかなかった。


「お兄ちゃん、褒めて褒めて」


 どこかに視線をやったまま、ぴょんぴょんと飛び跳ねる。

 愉悦にまみれるイヴの顔には、まだ無垢な少女のあどけなさが残っていた。

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