第5話:カール村

 王都を出た当日に盗賊らしき男たちに襲われた後は、旅は順調に進んだ。


 四日目の昼過ぎ、私たちはカール村に到着した。

 馬車を使うのはここまでということになる。この村で一泊してから食料などを準備し、徒歩で二日かけてグレイトノワール遺跡まで行くことになる。大人だけであれば一日で行ける距離だということだが、イヴの歩行速度に合わせると、ゆっくり進んで丸二日はかかるだろうということだった。


「アンバーには少し村の周囲の様子を確認させるので、その間に我々は村長に挨拶だけしておきましょうか」


 グランツによれば、よそ者がうろうろしていると色々と面倒ごとになるそうだ。


 カール村は二百人ほどの人が暮らす小さな村で、村長の名前はヨエルというようだった。彼は、村長という割にはまだ若く、年齢は五十手前といった風貌をしている。


 奥の部屋には、彼の妻だという女性が姿を見せた。窓を閉め切っており、暗くてよく見えない。どうも、病気がちであるとのことで、一瞬だけ姿を見せると、そのまま部屋に戻ってしまった。


 ヨエルは、私と視線が合うと、一瞬だけ顔に陰りを見せた。いつものことだと思い、心の中でため息をつく。


「本当に子連れで遺跡に行くんで?」


 こちらの言うことを信用していないというよりは、無謀なことを私たちが言っているかのように感じたらしい。


「私とイヴはともかく、銀の鷹シルバーホークの面々は何と言ってもAランク冒険者ですから」

「そりゃ、魔獣が出ても冒険者のみなさんでどうにかなるんでしょうけどね、心配しているのはそっちじゃなくて、単に道のことなんですが」


 それほど険しい道なのですか、と問うと、彼は眉間に皺を寄せた。


「遺跡発見時に整備されてから、もうかれこれ十数年経ってますからねぇ。獣道ってほどではないにしろ、私ら村のものも、遺跡のある森の入り口までしか行きませんから、奥がどうなっているやら」


 そう心配されて、私はただ苦笑を返した。そればかりはどうしようもない、私たちにはどのみち行くという選択肢しかないのだ。


 グランツが森に出る魔獣の種類を訊くと、ブラッドウルフやブラッドベアが主で、人型の魔獣は見たことがないという。


 魔獣とは、魔力を長年浴びて変異した獣のことを指す。蓄積した魔力は赤い光を発することが多く、大抵の魔獣の瞳は真紅に染まる。それゆえに、名称に血を示すブラッドと名付けられることが多かった。


 魔獣は、元の獣に比べて、俊敏性や凶暴性が増すことになる。これは体内に蓄積された魔力により、精神に異常をきたしているのではないか、と言われていた。


 グレイトノワール遺跡に関わらず、魔力溜まりと言われる場所の近くには、溢れ出た魔力に影響されて、魔獣が跋扈するのだ。


「荷物持ちで、一人、村のものを雇えるとありがたいのじゃが。報酬は期待してもらって構わん」


 どうやらロックが持つというわけではないようだ。往復で四日分、それなりの量になるから、護衛の邪魔になると判断したのだろうか。


「ジョシュというやつがいます。昔、調査が行われたときも色々と国の手伝いをしていたやつですから、遺跡への道も詳しいはずです、まだ覚えていれば、ですがね」


 少し経って、ヨエルに呼ばれてジョシュという男がやってきた。年は三十半ばといったところだろうか。短髪の筋肉隆々の男で、私なんかよりも遥かに遺跡探索に向いていた。前回の遺跡の調査が十数年前ということだから、かなり若いときに遺跡調査の手伝いをしていたのだろう。


 彼は普段は狩りをして生計を立てているということで、弓や剣もそれなりに扱えるということだった。稀に、森から溢れた魔獣退治もするということで、単に荷物持ちというだけではなく、戦力としても期待できそうだった。


 ヨエル村長との話が一通り終わると、グランツはアンバーの様子を見てくると言って、席を外した。


 私も、村の様子を見たいと言い、イヴと散策をすることにした。王都から出るのは何年ぶりになるだろうか、主メイソンより指令を受けているとはいえ、旅行気分を味わっても文句は言われまい。


 ただ村人の私を見る目は、あまり心地よいものではなかった。

 それは、ヨエルもジョシュも同じだった。きっと、赤い左目のことが気になるのだろう。それは私にとって慣れた日常の風景ではあるため、特段気にはならなかったが。


 カール村は、ひどく牧歌的で、やはり農耕と狩猟で暮らしているようだった。特に目立った特産品があるわけでもなく、自給自足が基本であり、狩りでとれた獣類などを時折、周囲の村や街に売ったり、物々交換を行う程度の交易があるだけだった。


 兄弟と思しき子供たちが、私の横を駆け抜けていく。

 その向こうでは、老夫婦が仲睦まじく畑の手入れを行っていた。

 遠くで、牛の鳴き声が聞こえてくる。


 ふと、思う。

 主メイソンの下で生きてきたこの数年間、それは私にとって厳しくはあるが、ある種、平穏な日常ではあった。だが、もしも、生まれ育った土地がこのような場所であったなら、もっと違った、一般人としての普通の生活になっていたのだろうか。


 追い立てられるように朝早く起きる必要もなく、古文書に囲まれて頭を悩ませることもなく、主メイソンの庇護を受け続けるために彼の一挙手一投足に気を払う。才能もないのに、召喚士として生き続けるために、努力を永劫に続けなければならない人生。


 ため息を一つ、吐く。


 そのような人生は望むべくもない。


 生まれてから、私の人生は最悪といってよかった。

 周囲から浴びせられる奇異と恐れの眼差し。それは、この村の人々でさえ、変わらない。

 生きるためには、周りのすべての人々に機嫌を損ねないよう、彼らにとって私という存在が危険でないことを示さなければならなかった。


 願わくば、この村の人々に、私の得ることのできなかった穏やかな日々が続くように。


 ふいに、イヴが村の外を指さした。見ると、小高い丘が見える。


「あそこに何かあるのか?」


 歩いて三十分ほどはかかりそうだ。日が落ちるまでまだ時間はあるので、散歩と考えれば悪くはないが。


「お兄ちゃん、知りたい?」

「何を?」

「もっと、もっと、村のこと、場所のこと、あそこなら、もっと見れる?」

「確かに、景色もよさそうだし、村の全体を見るにはちょうどいいかもしれないが……」

「イヴ、歩くと疲れるけど、お兄ちゃんのためなら頑張る」


 相変わらず、話がずれているように思える。私が見たいと言ったわけではないのだが。

 とはいえ、村人の私を見る奇異の目にも辟易していたところだったので、イヴの言う通り、少し遠出をして、丘の上の風に当たるのも悪くはないと思った。


 村を出て、二人で丘に向かって歩き出す。

 途中で、道端の木を見上げ、イヴがぽつりと呟く。


「お兄ちゃん、蜂の巣がある」

「あぁ、蜂だね、危ないな」

「分かった、イヴ、頑張る」

「何を?」


 私の問いには答えようとせず、蜂の巣を見上げて、イヴはぼーっと突っ立ったままだ。

 そして、不思議そうに自らの両手を見る。

 手のひらを握ったり、開いたりを何度か繰り返し、不思議そうに首を傾げた。


「出ない」

「だから、何が?」

「分かった、お兄ちゃん」

「え?」

「――Waltz of Massacre」


 は?

 完全に意表をつかれた。彼女が祝福ギフトを発現させるなど、想定外だったからだ。

 すでに彼女の周囲からは黒い靄が浮かび上がっている。


「待て、イヴ、どうして……」


 しどろもどろになりながら、私は静止するように呼び掛ける。だが、その命令は役に立たなかった。


 彼女の両手に大剣が生成される。王都の地下神殿で、彼女を召喚したときに見たものと全く同じ、身巾のひどく広い、私の身長を超える長さの両刃の刀剣。


「ちょっと待て……イヴ、これは命令……」


 恐怖が全身を支配する。彼女の行動の意図が明確ではなかったからだ。そもそも、なぜ命令が効果を示さない?


 そこまで考えて、第一拘束のことを思い出す。


――異世界人は、この世界の人間を殺してはならない。また、その危険を看過してはならない。


 つまり、私が「危ない」と口にしたことで、第一拘束に抵触し、たかが蜂であれ、その危険を見過ごさないことになったのだ。


――異世界人は、この世界の人間から与えられた命令に服従しなければならない。ただし、与えられた命令が、第一拘束に反する場合を除く。


 そして、それは第二拘よりも優先される。私の「待て」という命令が、第一拘束に反しているからだ。


 私はあまりの急展開に意識がついていかず、腰を抜かして尻もちをついた。何か得体のしれないものに対する恐れを感じて、少しずつ後ずさる。


 彼女はその威力や強度を確かめるように、その二本の大剣を地面に何度も叩きつけていた。

 体の芯に響くような、激しい音が鳴り響く。

 そのようなことをしているのに、まるで遊んでいるかのように嬉しそうだ。

 剣は想定以上に頑丈なのか、亀裂一つ入らない。


「いけそう」

「な、何が?」


 イヴのその視線は私を見ていない。一点、目の前の蜂の巣に向けられている。


 彼女は両手の剣を体に水平に構えると、次の瞬間、宙へと舞い上がった。

 まるで巨大な竜巻が現れたかのように、イヴが体を回転させるとともに、その大剣を真横に振り回す。


 轟音とともに、蜂の巣ごと大木が一刀両断にされた。いや、奇麗に斬られたというよりは、身巾の部分で吹き飛ばされたというほうが適切だろう。


 飛び散る木片を目にして、慌てて両手で顔を覆う。

 瞼を開いたとき、すでにイヴの両手からは大剣が消えていた。


「イヴは蜂をやっつけた!」


 えいえい、と彼女は両手を宙へと掲げる。


 一瞬の出来事に、私は呆けるしかなかった。

 深呼吸を何度かして平静を取り戻すと、どうにか立ち上がることができた。


「イヴ、祝福ギフトを使うときは、一言、言ってくれないと……」


 震える声で、どうにか指示を出す。


「言わないと、剣、出ない」

「それはそうだが……」


 祝福ギフトを口にすることで、私に伝えているつもりなのだろうか。


「イヴ、これからは、剣を出す前に、出します、って私に言うんだ、いいね?」


 不承不承といった感じで、彼女は頬を膨らませる。

 本人が嫌だったとしても、これは絶対だ。彼女に拒否権などない。


「散々な目に合った……」


 目の前の惨状を改めて確認する。大木は蜂の巣ごと水平に真っ二つにへし折られていた。蜂の巣はもはや、どこにいったのかすら分からないほど、粉々にされてしまっている。周囲に多少の蜂は飛んでいたはずだが、風圧でどこかへ吹き飛ばされてしまったのかもしれない。


 これが人間に向けられることを想像すると、ぞっとする。人間を斬るとか、そういう次元の話ではなく、上半身を丸ごと吹き飛ばしてしまうレベルだ。


 これは、安易に「危ない」とか口にはできないな、と一人ごちた。


 私の気分は最悪だったが、当の本人のイヴは、まるで気にしない風に、軽やかな足取りで丘へと向かっていく。私も、仕方なく、彼女の後をついていった。


 道中、蛙に対してまた祝福ギフトを使おうとしたイヴを止めたり、蝶を追いかけて道を外れる彼女を探したり、散々な目にあったが、どうにか丘の上に到着した。


 そこはとても見晴らしがよく、カール村の全景が見えた。

 空は晴れ、夏の終わりの風は心地よいものだった。

 いくつもの家屋が並び、畑や田んぼが広がっていた。遠くには、放牧されている家畜の姿も目にすることができた。


 イヴは、興味深そうに丘の上から村を眺めていた。時折、家の数を数えたり、両腕を広げて村の大きさを測るような仕草を見せた。


 私は何となく、草の上で寝転がった。

 日が落ちるまでには、まだ数時間ある。

 青く広がる空をぼーっと眺めていると、まるでここが別世界のように思えた。王都の研究室に閉じこもって文献を漁ったり、他の召喚士と魔力溜まりについて調べていた生活が嘘のようだった。


 解放感に包まれて、うとうととしかけた頃だった。


「で、護衛をほったらかしにして、あなたは何をしてるんです?」


 気が付けば、アンバーが私の顔を覗き込んでいた。


「いや、散歩を、ね」


 いたずらが見つかった子供のように、私は顔を紅潮させて釈明する。


「このあたりには魔獣がいないとはいえ、護衛対象にふらふらされると困るんですけど」

「おーけーおーけー、村に戻るよ」


 立ち上がりながら、体についた草を払う。


「そうそう、今日泊まる宿のことなんですけど、私は交代で番をするので兄さんとロックと同じ部屋を使いますけど、レイさんとイヴさんはどうします? 私たちと同じ部屋はまずいですよね? やっぱり別の部屋をとりますか?」

「そうですね、別でお願いします」


「ですよねー」

「そこまで金銭的に困っているわけではないですし」


 それだけのやり取りでアンバーは理解をしてくれた。


「で、あの子は何をしてるんです?」


 ふと見ると、イヴは突っ立ったまま、カール村をずっと見つめていた。


「帰るよ」


 私が声をかけたにもかかわらず、イヴは村のほうに視線をやったまま、こちらを向こうともしなかった。


「お兄ちゃんはこの村が大好き」

「あぁ、好きだね」

「お兄ちゃんが好きなものは、イヴも大好き」


 そのときに見せた表情は、満面の笑みだった。そこに、ひどく歪な感情を感じたのは、彼女が厄災の称号持ちだという認識が私にあるからだろうか。それが純粋な笑顔であることを祈って、私は彼女の手を取った。

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