第7話 初美と美岬の初めての

「あ」


 何かあったのかと美岬を見るとどうやら通路に置いた私の竿を見ている様子。


「これって、『当たってる』ってやつじゃないですか?」


 二人でカタカタ動く竿をつかんで釣り上げると、結構大きなニジマスだった。連れた瞬間二人で通路へ仰向けに転がり、ニジマスが通路の上でピチピチはねている。


「やったー!」


「やりましたよー」


 仰向けに寝転がったままようやく釣れた喜びに浸っていた。


「ふふふ……」


 すると美岬の声が、今まで聞いた事のない口調の美岬の声が聞こえてきた。


「初美、先輩」


「ん、なに?」


 夕陽を浴びた小さな黒い影が私の上にぬうっと乗ってきた。美岬だった。


「えっ、あっ、なにっ!」


「せん、ぱい……」


「っ! みっみさっ!」


 私が驚いてるのも束の間、切なげな表情をした美岬の顔がゆっくり私の顔に近づいてくる。怖かった。怖かった、けどどうしても払いのけることができなかった。払いのける気になれなかった。美岬と目が合う。ああ、なんてかわいいんだこの子。


 そして唇と唇が触れる。ちゅ、と小さな音がする。初めてのキスだった。しばらくキスを続けるうち、私は美岬をころっと転がして上下逆さまになる。美岬がきゅっとしがみ付いてくる。そして私たちは我を忘れてキスを続けた。ああ、キスが甘いってこういう事か。頭が痺れるような感じ。


 そんなことをしていたのは五分だろうか十分だろうか。はっ! っと気づいて唇を放した。いくらなんでも誰か来るかもしれないのに、こんなことを私は。だが当の美岬はきょとんとした顔をするだけだった。


 私はふっと美岬に笑って言った。


「帰ろか」


「はいっ」


 そのあとはアクィラ(※)で晩ご飯を食べてうちに帰ることにした。どちらも少し口数は少なくなっていたけど、美岬もそして多分私も笑顔だったと思う。お互いの顔を見ているだけで気持ちが晴れやかになる、そんな気分だった。


 帰りのトラムの中、美岬は私に寄りかかるようにして寝てしまった。その姿もまた愛おしい。そう、愛おしい。佑希ゆうきに想いを寄せていた時、私はそんな感情を持ち合わせていなかった。ただ佑希から与えてもらいたくて仕方なかった。私は佑希に何も与えてはいなかったのに。

 私は気づいた。あれは、佑希への想いは、ただの“執着”だったんだと。あのまま行ったらどちらも不幸になってたかもしれない。

 だから今はこの想いを大切にしよう。


「センパイ」


 目を覚ました美岬が寝ぼけ眼でこっちを見ている。


「ん?」


「センパイの気持ち、私聞いてませんよ?」


 またお得意のいたずらっぽい声でひそひそっとけしかけてくる。


「そっ、そんな、判り切ってるでしょっ」


 私もひそひそ声で返す。


「じゃ、その判り切ってる言葉、聞かせて下さい」


「……」


 さすがにトラムの中で言えるような言葉じゃない。私は口ごもってしまった。


「あれぇ?」


 美岬がとぼけたにやにや顔でこっちを見ている。

 私は覚悟を決めた。美岬の耳元でそっと囁く。


「大好き。一番大好き」


「んふー。ごうかくです」


「ふふっ」


 美岬はまた幸せそうな顔をして、私の腕にしがみ付いてまた寝りについた。満たされた表情だった。



▼用語

※アクィラ:

安くておいしくてボリューム満点のイタリアンファミリーレストラン。老若男女を問わず大人気で、行列ができることも。

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