第肆話 地区対抗ウグイ釣り大会、その3

 俺達は午後一時半くらいから釣りを再開した。

 釣り場を休めただけあって食い付きも良好だ。



「今頃天城田のやつ、ぜってぇ顔真っ赤らいな。妨害したってがんに負けてるんだすけ。アハハハ」



 バシャバシャバシャ



「こーら、弥夜癒ちゃん。さん付けてあげないと天城田さん可哀想でしょ……にゃはは」



「あんつぁんがんに、『さん』なんいらねぇてば」



 バシャバシャバシャ



「どうせまた午後からも、妨害してくるんだろうなーっと」



 バシャバシャバシャ



「シシシぃ、むしろ楽しみじゃねー? ガキ相手に良い大人がムキになってんだからー。ほいッ」



 バシャバシャバシャ



「昼愛倫ちゃん、世の中にはフラグというモノがあってですね。そういうことを言っていると現実になるモノだからやめた方がいいですよ」



「そのフラグをへし折るからカッコイイのだよー。ダメガネ君。ほいッ」



 バシャバシャバシャ



「ちょっと昼愛倫ちゃん!? 僕の服にウグイをつけようとしないで下さい」



「アハハハ、背中に入れられるよりは、マシらろー」



 バシャバシャバシャ



「もう姉妹揃ってこれなんですから!」



「はい、透璃隊長。取って下さいな」



「まともなのは暁葉さんだけですね。まったく」



「ほれ、ダメガネ君。俺のも取ってくれたまえ」



「……だから、僕はダメガネじゃないですよ!!」



 そんなこんなで三回目の集計の時間がやってきた。

 どうせまだ一位だろうと俺達は余裕だ。



「えーっと、一位が大滝、本町。三位が新宮です。上から十一、十キロになりますね」



「え、意外と差を詰めて来てんねっかな」



 休憩を予定より多めに取ったこともあり、多少追いつかれる事を覚悟はしていたが、まさか同率になっているとは思わなかった。



「すみませーん!!」



 腕に市の腕章をつけた係員が寄ってくる。



「あのですね…………」



「――――はぁぁあああ!!??」



 係員は『次の最終計測までの二時間は釣り場を変える事が急に決まった』と『特別ゲストでプロフィッシングアドバイザーを二地区につけた』と伝えに来てくれた。


 釣り場変更は、あの市長の事だからと別に気にも止めないが、まさかプロの釣り師を血税で召喚してまで優勝を阻止しようとは……本当に堕ちた男である。



 当然の如くみんなは激怒した。

 市の出身者ならわかる。

 外部の人を入れてまでやる事なのかと。



 だが、そうは言っても仕方無いので、俺達は川下へと移動を開始した。


 川中は既に人がごった返しているからだ。

 だが、それは俺達には都合が良かった。


 移動の最中、特に人混みが出来ているのを見掛けた。


 どうやら、例のアドバイザーが実演中らしい。

 興味本位で俺達は人の合間を縫って覗いた。



「この川中エリアではウキとオモリの間はこれくらいで、ハリはこれがベストです。エサはパンの白い部分をこうしてふわっとハリにかけてあげて、投げて反応があれば合わせて下さい」



「ミミズや川虫と違ってエサ持ちが悪いからな。エサは結構盗られると思うけど試行回数でカバーしてくれよな。ここの魚は上品みたいでパンを手で軽くこねて団子にすると食べないみたいだからそこは気を付けてくれな!」



 そこに居たのは先程インタビューに来た二人組だ。


 あたかも自分達が攻略法を見つけましたと言わんばかりに、堂々と素人に指南をしていて、金で魂を売った大人の成れの果てはこれかと、正直気持ちが悪い。


 しかし、俺達のところから情報を持ち出した不届き者が発言力の大きい輩だったのは、かなり追い風だった。


 みんなでそれを小さくせせら笑うと足速に川下エリアへと向かった。


 川下エリアは浅くて流れが緩く、水草等の障害物の多い地形だ。

 普通の仕掛けであればまず根掛かりと隣り合わせな環境である。


 しかし、俺達の仕掛けにはそんなものは関係なかった。


 ここでも時間いっぱいまで釣って釣って、釣りまくった。


 それはもう、腕に忍び寄る筋肉痛の気配を感じながら。



 ――――午後四時半、タイムアップの鐘が鳴る。



 俺達は意気揚々と集計場所へと向かった。

 ポイントが離れていただけに、俺達が着いた頃にはもう参加者が集まっている状態だった。



「さて、皆さん。今日はお疲れ様でした。では早速結果発表に参りたいと思います!!」



 勝ちを確信しているのか、天城田はいつになくニヤニヤと、見ていて不快な表情を浮かべている。



「第三位、新宮十一キロ。健闘お疲れ様です。来年は頑張って下さいね」



「続きまして第二位は! おお」



「市長……ちょっと……」



 係の人が市長に耳打ちをしに向かった。

 ヒソヒソと何を言っているかは分からないが、天城田の顔から笑みが消えていく過程を見るに、ヤツにとって不利益が発生したに違いなかった。


 コホンッと咳払いをすると天城田は続けた。



「えー、今回はどうやら、たまたまポイントが同じで、たまたま同率一位が出てしまったがためにトロフィーの授与ができません。ですので、大滝、中町地区から男女それぞれ代表を一名ずつ選出して、三十分一本勝負の数釣り対決をもって決着をつけて頂きます」



 同率一位だなんてまずどう考えても有り得ない。


 自治区の大人が点数の開示要求をするも、天城田は頑なにそれを拒み、しまいには、『十五キロくらい』と曖昧な回答をする辺りからその胡散臭さに拍車がかかっている。



 中町はもう選出したらしく壇上に二人が姿を見せる。

 どこまで俺達を、いや、大滝を馬鹿にするのか。

 出てきたのは例の二人組のアドバイザーだ。



「ナップル行くろ!!」



 返答の隙なぞ微塵も無い。

 不意に俺の左手が持っていかれる。

 手を引かれるがままに壇上へと躍り出た。

 姉貴はビシッと指をさす。



「おらが#ねら__お前ら__#の経歴にガキに敗北って傷をつけてやるすけな!! 覚悟しろや!!」



 それはもう何十いや、何百人の前でそれをされてみてほしい。


 姉貴といると顔から火が出そうになることは珍しくはないが、今日を例えるならまさに大炎上ものだ。



「相変わらず血の気の多い娘さんだ。ハハッ、俺達の経歴に傷をつけるか。悪いけどこれでもプロなんでね……負けねぇよ?」



 両者のプライドと誇りがバチバチと衝突する最中俺は偶然、男の後ろ、その眼鏡の奥の瞳と繋がった。


 しかしお互いに、あっ! となると視線はもう合わない。


 その後も視線が定まらない辺りから俺はうっすらと察した。


 この人も自分を顧みてくれないで作られる空気が苦手なのだと。



「そういえば自己紹介がまだだったな。俺は守山もりやまってんだ。そっちは粟崎あわさきだよろしくな」



 守山はゴツゴツとした手を差し出す。

 その手を握り返して姉貴は返した。



「おらは弥夜癒。こっちはナップルだ」

「ナップルじゃないです! 翔陽です!」



「へッ、よろしくな! 弥夜癒! ナップル!」



 俺は過去の己をこの時ほど恨んだことは無い。


 こんな羞恥を晒す未来が分かっていたら、きっとイキった髪型にはしなかっただろう。



 最終決戦は川中エリアでやることになった。


 ここは水深があって流れが緩く、障害物も少ない。

 実に初心者向けのステージである。



 開始の合図が鳴る前に、姉貴は俺にささやく。

 リスクよりもワクワクや、ドキドキを好む姉貴らしい作戦に俺は静かに頷いた。



「それでは、両者悔いの無いように。よーい! スターート!!」



 開幕の合図と共に姉貴と俺は仕掛けにハリとオモリを足した。

 そして、エサは向こうと同じ食パンの白い部分を装着。



 バシャバシャバシャ



 最初の一匹を釣り上げたのは守山だ。

 それに粟崎も続く。



 バシャバシャバシャ

 バシャバシャバシャ



 二人がウグイからハリを外している間に、しっかりと追いつく。


 そして、越して越されてを繰り返す無言の拮抗状態が十分ほど続いた。



「なるほどなぁ、お前らバーブレスフックを使ってんのか。道理で回転が早い訳だ」



 沈黙を守山が破る。


 バーブレスフックとは返しの付いていないハリの事で、バレるリスクはあれどもハリ掛かりの良さや魚からハリを外す時にスムーズに外せる等のメリットもある。


 サビキ釣りと違って手数が必要なこの勝負では確実に一匹仕留める信頼性よりも速さが求められると判断してバーブレスフックにしていた。



「悪いけど真似させてもらうからな」



 守山はベストの胸ポケットからペンチを取り出すと、それで自分と粟崎の分の返しを潰した。



「これで互角だな」



 開始十五分。

 バーブレスフックに気が付かれて以降、防戦を強いられた。


 流石はプロを名乗るだけある。

 次第に差が一匹、二匹と開けていく。

 回転の速さを克服されては実力差は明白だ。


 開始二十分。

 向こうが十九匹に対して、こちらは十四匹。



「ナップルそろそろ本気だすろ!!」



 姉貴のそれを合図に手早くウキとオモリを外し、乾燥させたパン耳をセットして投げる。


 これが風一つ無い嵐川の、静かな水面を支配していたウキが叩く波紋を一転させる一手となった。


 着水と同時に黒い塊が水面を沸かす。



「なッ!? なにィーー!!」



 守山が、ギャラリーが、驚嘆の声を漏らす間に既に二匹が陸に上がった。



 ラスト五分。

 怒涛の追い上げを魅せるも向こうもプロ。

 中々差は縮まらない。

 それでも確実に、一匹ずつ、一匹ずつ距離を詰める。



「おい! こっちも真似しねぇとヤベぇぞ! 粟崎はそのまま釣れ。俺はあれを真似る」



「いや、時間的にもう無理です。このまま逃げるかウキを外して水面を狙うしか無いです」



 守山は仕掛けからウキを取り除いて水面を狙う。

 しかし、オモリが宙で静止しないがために水面をパンが動く。

 ウグイは全く見向きもしないのだ。



「ちくしょう! やっぱこれじゃあダメだ!」



 ハサミを取り仕掛けを切断。

 すぐさまハリと糸を直結させる。

 ハリにパンが掛かる。

 水面へと投げる。


 だがしかし、飛距離が出ない。


 俺達のポイントまでオモリが無い分一歩、いや二歩も三歩も届かず、さらにパンは水を吸ってすぐに沈むが故に水面を攻めることが出来ない。



「そうか、お前らの仕掛けにあって俺達に無いものはスイベルスナップ。それで重さを調整して投げやすさとパン耳の浮力がギリギリ勝つように調整をしたって訳か……」



 守山の言う通りこちらはスイベルスナップを使っている。


 スイベルスナップはルアー釣りをしている人なら誰でも知っているアイテムだ。


 本来は糸ヨレの防止や、ルアー交換の効率化のために使うのだが俺達はそれをオモリも兼ねて使っていたのだ。


 さらに言うなればウキ、オモリは既に魚も認知しているが、パン耳とスイベルスナップの組み合わせは魚側も初見で見切られていない。


 例えるなら、人間だってリスクのある目印の付いているお寿司と、今までノーリスクだった目印の無いお寿司を両者並べたらそれは後者を選ぶだろう。



 魚だって同じなのだ。



 ちなみに、川上と川下エリアを根掛かり無しに釣れたのも、そもそも針は水中では無く水面にあり、障害物等は懸念事項では無かったから出来た事である。



 ――この男のタイムロスは勝敗を大きく分ける事になった。


 釣っていない時間もキッチリこちらはペースを乱すことなく釣り続けたからだ。



「時間です! やめてください!」



 ここで試合終了。

 結果は。



 向こうが二十五、こちらは三十一だ。



 この勝利の味をみんなで噛み締めた。

 姉貴と俺は肩を組み。

 暁葉は感極まり。

 透璃は腕を組み。

 昼愛倫は写真を撮りまくった。


 

 そして授賞式。


 そこには既に天城田の姿は無く、代役の職員がトロフィーの授与をしてくれた。


 ヤツの悔しがる様を直に見れなかったのは少し残念である。


 写真撮影やインタビュー等が終わると守山と粟崎が近づいてきた。



「いや、見事……俺らの負けだ。一つ聞かせてくれないか? どうして初めからパン耳を使わなかったんだ?」



「#そんげん__そんなの__#おめぇがすーぐ真似するっけら。流石にラスト十分でおら達に仕掛け変更されたら困るろと思ってやったんだて。仮に真似したって乾燥させたパン耳の売ってる場所なん知らねぇろ? 地元民舐めんなや」



「なるほどな……じゃあ最後にインタビューだ。この優勝ズバリ勝因はなんだ!」



「んなもん決まってんねっか」



 姉貴は俺達四人をガッツリ両手で抱き寄せる。



「こいつらと、一緒らったっけらて!」



 夜空に明かりをともす満月のようなニッとした笑みから覗くキュートな八重歯が、まるで俺達の強さを象徴するようだった。



「そうか、それなら俺らはガキに惨敗って経歴に書いとくか。次は負けねぇからな!」



「何度だっておら達が返り討ちにしてやるれ!」



 またしても二人は熱い握手を交わす。


 かくして、第五回新春地区対抗ウグイ釣り大会を制したのは大滝地区であった。

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