第9話 彼女が先にゴールした件

 季節は流れ、夏から秋へ。


 俺と佐藤の付き合いは、まあ順調といえるだろうか。

 多少疑問系なのは、経験がないので何が順調なのかよくわからないためなのだが。


 付き合っていることはバレたが、だからといって周囲にそれを見せつける嗜好は、俺にも彼女にもなかった。なので、学校では今まで通りだ。

 もともとクラスは離れているし、部活もないとなれば顔を合わせることも少ない。

 時折、廊下ですれ違うぐらいだが、かと言って声をかけるでもない。

 佐々木に言わせれば、「中学生ですかぁ〜」となるが、あいつらを喜ばせるために付き合ってわけでもない。


 でも、それぐらいでも充分だったりするんだよ。俺には。

 廊下とか学年集会とかで佐藤を見つけると、それだけでホワッとした気持ちに

 なる。

 俺の視線に気がついてか、佐藤と目が合うと一度は逸らし、その後もう一度目線を合わせて小さく笑う。

 もうそれだけで充分満たされてしまうんだな。

 そんな日の夜には「ねえねぇ、昼間には目が合っちゃったねっ」と、佐藤から通話がきたりする。そんな2人しかわからないことを話すだけでニヤついてしまう俺は、確かに中学生程度の恋愛経験値なのかもしれない。


 けど、他人と比べても仕方ない。意味がない。

 急がず自分たちのペースで付き合っていけばいいと、話し合ってもいる。

 何より今は受験が控えている。

 優先はそっちであることで考えは一致していた。


 ♢♢♢


『学校終わったら、来て!』

 と佐藤からメールが入っていたことに気がついたのは、校舎を出てからだった。

 珍しい、とちょっと驚いた。


 校則では、スマホは原則校内使用禁止である。とはいえ教師の許可があれば使用できるし、もちろん隠れて使ってる者も多い。

 見つかると預かり指導となるため、そのリスクを考えれば校内でメールは珍しい。佐藤の性格を考えるとなおさら。

 さらに、絵文字やスタンプもない。これも彼女にしては珍しい。よほど急いで送ってきたのだろうか。


 でも、なんとなく心当たりはあった。

 そのことをメールに書いていないのは、直接伝えたいからだろう。

 メールが指し示す、城北公園へ自転車を向ける。


 学校から1キロほど離れたところに、その公園はある。

 公園といっても、広い。市立図書館が併設され、遊具はもちろんグラウンドや花時計、池とその周りに遊歩道もある。土日となれば多くの家族連れが訪れる憩いの場所だ。

 とはいえ、11月の短い夕暮れの時間帯に肌寒い風が吹いている今は、人影はほとんどない。

 だから、指定された四阿あずまや風の、屋根のあるベンチにいたのは佐藤だけだった。


「待たせたか?」

 俺の呼びかけに、首を横に振る佐藤。

「で、何か言いたい事があるんだよね?」

 軽くうつむき黙ったままで、佐藤の画面のスマホを見せてきた。

 それは、佐藤が受けた関東の大学の合格発表の画面。

 受験番号がずらずらと並んでいるが、総合型選抜の受験者数はさほどでもない。

「…受かりましたぁー!」

 ようやく顔を上げた佐藤は、喜色満面で大きな声をあげた。

 顔を伏せていたのは、この表情を見られないようにするためだったらしい。


「…おめでとう。やったな」

「あれ?あんまり驚いていない?」

「だいたい読めてたからな。佐藤の性格上、不合格だったら『落ちちゃった』とメールで送るだけにして、顔合わすのは嫌がると思うから」

「…驚かそうと思ってたんだけどなぁ。そこまで読まれてたか」

「いや、驚いてはいるよ、これでも。立大といったら関東私大の名門だからな。偏差値でいえば俺でさえ五分五分くらいなのに、佐藤の成績で、だからなあ」

「でしょ⁈やー、わたしもダメ元だったんだけどねぇ。わたしの受験した学部が思ったより受験者数少なくてさ、まー恵まれたって感じ?」

「運も実力のうちのだよ」

「総合型選抜で、面接と口頭諮問しかないのもわたし向きだったしねぇ〜」


 そうなんだよな。

 佐藤はこうして2人でプライベートの時は、照れたりキョドったりすることも多いのだが、部活動とかクラスの仕事で人前に立つ時には、とにかく堂々としているように見えるのだ。

 彼女曰く「わたしがやらなきゃ、思うとバシッとスイッチが入る」らしい。

 内弁慶ならぬ外弁慶とでもいう性格なのだ。


「口頭諮問も想定問答のなかにあったやつを聞かれたし、面接の人はギター部の話に興味持ってくれてさ。話はずんですっごい答えやすかった」

「マイナーな部活でも全国大会で特別賞獲得って言われれば、それなりに『おおっ』て思ってくれそうだしなあ。しかも部長でとなれば、評価も高いだろう」

 総合型選抜とは、かつてはAO入試とか自己推薦とか言われていたもので、入試改革とやらで名称がかわった。そんな新しい入試にうまくハマったのが勝因なんだろう。

やっぱり運を持ってる女だよなあ…。


「……やっちゃん、あんまり喜んでくれてないように見えるけど、気のせい?」

 急にトーンダウンした佐藤の言葉が、グサッと俺の心の奥深いところを突き刺す。


「…嬉しくないわけじゃないんだ、もちろん」

 佐藤にウソはつけない。複雑な思いを言葉にする。

「ただ…佐藤に先にゴールされちゃったなあって…その、約束したじゃん?一緒に東京の大学に行くっていう話」

 自分で言いながら、俺って小さい男だなあと自覚していく。彼女の合格を素直に喜べないなんて。

「佐藤はしっかり約束守ったんだから、俺もがんばんなきゃとは思うんだよ?…けど、さ、もしこれで俺だけ東工大落ちたら…」

「やっちゃん、ストップ」

 佐藤がお得意の肩パンチで俺の話を止める。…今のパンチはさほど痛くない。


「そんな事でプレッシャーを感じることはないよ」

 佐藤の表情は穏やかだった。優しく慈愛に満ちた顔。

「でもさ…」

「やっちゃんは一生懸命がんばってくれている。それで充分だよ。結果的に遠距離になったらなった時だよー」

「…」

「今もさ、学校ではほとんど会う事がなくて、通話かメールばかりなんだし、ある意味遠距離みたいなものじゃない?」

 …それは違う気もするが、せっかくの佐藤の優しさに茶々入れる気もない。

「わたしは、そうやって離れたくないって思ってくれるだけで嬉しいんだよ」

「…ありがとう」

 素直に頭を下げた。ヘタレですまない。


「じゃあ、さ」

 と、佐藤が笑顔のままで両手を大きく広げた。

 恋愛経験値の低い俺でもわかる。ハグして、の合図だ。

 俺が佐藤の背中に手を回して抱きつくと、正解、とばかりに佐藤も抱きついてきた。


「やっちゃんのおかげだよ」

 右肩に顔を乗せた佐藤が、俺の耳元で静かにささやく。

「やっちゃんと付き合ってなければ、東京に行くって言わなければ、わたしが立大に受けようとも思わなかったわけだし」

 抱き合っているから佐藤の顔は見えない。だけど口が動くと彼女の顎が俺の肩上を軽く押し、触れ合っている頬にも振動が伝わる。

 まるで彼女の声が身体に沁みてくるようだ。

「福祉系の学部だって、総合型選抜だって、やっちゃんが勧めてくれたんじゃん?」

「でも、決めたのは佐藤だし、受かったのも佐藤の力だから…」

「導いてくれたのはやっちゃんだよ。だから、受かったことを最初に言いたかったんだ」


 彼女の沁み渡る声が、俺の心のトゲを溶かしていく。

 ああ…、佐藤と付き合えて本当に良かったなあ…。

 つくづくそう思う。

 佐藤の言葉にどれだけ助けられているか。どれだけ力をもらっているか。

 彼女なんてめんどくさい、などと我を張っていた夏前の自分に教えてやりたい。


 しばらく抱き合ったのち。

 彼女の肩を持ち、軽く力を入れて体を離す。佐藤の顔をじっと見る。

 しばし躊躇したけど、思ったことを言ってみた。


「あのさ。…その、キス、していいか?」


 俺の言葉に、一瞬目を大きくした佐藤だったが、すぐに表情を崩す。

「それって夏の花火の時のお返し?」

 …そう言えば、同じような事を佐藤に言われてキスに至ったような。

「それに、もう付き合ってるんだから、何も言わずにブチュ〜といってもいいんだよぉ」

「す、すまん」

「でも、やっちゃんらしいよね。一言断っちゃうのが」


 いいよ、と言って笑った佐藤は、目をつぶり唇を尖らせる。

 それを見て、俺もぎこちなく唇を合わせる。


「……ぷっ」

 しばらくすると、佐藤が笑い出した。

「え」

 何?何⁈俺、なんかやっちゃった⁈

「ごめんごめんっ。なんか思い出し笑い」

 佐藤は俺の胸に顔を埋めたまま、クククと笑う。

「ほら、なんだかんだ言って、これがキス2回目じゃん?」

 言われてみれば、あの花火大会以来、キスしてなかった。

 大阪の夜は邪魔が入った。

 夏の公園ではいい雰囲気だっだが、俺たちの抱き合ってる姿を近くのガキどもが無遠慮にジッと眺めているのに気がついて、いたたまれなくて離れた。

 その後も2人きりで会うこともあったが、キスまでには至らなかったのだ。

「でさ、あの時のキスを思い出していたらさ、ソース味しかしなかったなあって」

「それはっ!食べてたタコ焼きのせいで…」

「うんうん、それはわかってるけどさあ。漫画とかラノベだと甘いキスの味とか言っても、現実はこんなものかぁって」

 ……こいつ、キスしながらそんな事考えてたんか。


「で?今日のキスはどんな味だった?」

 もうこうなったらと、佐藤の話に乗っていく。

「んー、やっちゃん味?」

「どんな味だよ、それ」

「……もう一回味わえば、わかるかも?」

 今日の佐藤は、やけに積極的だった。

 こんな小悪魔顔で言われれば、行くしかない。


 目をつぶった佐藤に、2度目のキス。

 …ちょっと、舌を入れてやった。

















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