第6話 彼女と一緒に大阪の月を見た件

 その夜は、満月にやや欠けた月だった。


 7月末日なんて、もう真夏と言っていい。

 泉佐野市の中心部あたりでは夜になってもアスファルトが熱を持っている感じで、ベランダに吹く風もどこか生あたたかい。

 海が近いためもあり、まだこれでも暑さはましなのだろう。遠くに見える関空と連絡橋の街灯が、不夜城のようにみえる。

 俺がこの夜景を見ている場所は、古いタイプのビジネスホテルのベランダで、5階の中ホール、というか自販機や洗濯機がある待合室に繋がっている。物干し台も兼ねており、多少の広さはある。まあ、今どき乾燥機もあるので元・物干し台が正確なのかも。

 なぜこんなところにいるか、と言えば。


「お待たせ」

 背後から佐藤の声がする。振り向く間もなく横に来て、俺と同じように夜景を見る。

「月が綺麗だねー」

「……だな」

 月が綺麗というセリフは、夏目漱石の「I love you」の超訳で有名だが、佐藤の顔を見る限り、そういう意味で言ったのではないだろうな。てか、そんな話を知らないだろう。多分。

 今ここに彼女が来たのは偶然ではない。

『ちょっと、部屋を抜けられる?』と彼女からメールが来て、待ち合わせしたのだ。


 ラフなスウェットを着た佐藤は、一度ううーんと手を伸ばした。とても穏やかな顔だ。

「やぁーと、終わったねえ」

「部長職、ご苦労さま」

「やっちゃんも、副部長ご苦労さまでした」

 あだ名好きの佐藤は、最近電話や2人っきりの時には「やっちゃん」と俺のことを呼ぶようになった。名前が泰憲だからだが、母親でさえそう呼んでたのは小学生までだったから、正直未だにちょっと気恥ずかしい。

「いろいろ助けてくれてありがとう。お陰で最高の結果を出せたよ」

「イタリア賞だもんなぁ。よく取れたよほんと」

「コーチも初めてだって喜んでいたね。3年前に特別賞は取ったらしいけど、今年は格上の大使館賞だもん。男泣きしてた」


 静岡在住の俺たちが大阪にいる理由。

 それはギターの全国大会がこの泉佐野市で行われたからだ。前日から大阪入りして、定宿としているこのホテルに泊まり、今日大会だった。

 そして「イタリア総領事賞」を受賞した。優秀校には文部科学大臣賞を筆頭にいくつか賞が与えられるが、大使館賞は8〜10位に相当する。ちなみに特別賞は11〜13位相当で賞があるのはここまでだ。ここ2年は無賞だった。


「よく低い音が響いていたよ。これもバスパートリーダーのやっちゃんのおかげ」

「俺というより、バスパートのみんなだな。アルトだってセッション完璧だったよ」

 佐藤は今回、アルトパートのリーダーである。指揮を取ることも多いが、今回は別の3年女子が担当した。

「それこそ、アルトパートのみんなが合わせてくれたおかげだよ、それは。あと、やっちゃんのアドバイスもよかった」

「何も俺は」

「何言ってんの。毎晩、夜のミーティングしたじゃん」

「…あれが、ミーティングか…」

 付き合いを隠してる手前、部活中は個人的な会話をしなかったが、毎晩スマホで話をした。そしてその話のほとんどは部活の話で、今日の練習の良し悪しを話し合った。

 それを佐藤がうまくフィードバックしたこともあり、演奏の質は上がったと思う。


「ほんとは全体ミーティングでやっちゃんがアドバイスできれば一番だったけど、それは無理って言うからさ」

「全体ミーティングは言いづらいんだよ。こっちはアドバイスのつもりでも、演奏にケチつけられたって思われかねないし」

 毎日の部活のあと、生徒同士でアドバイスしあう反省会みたいなのが全体ミーティングだ。が、積極的にコメントするのは佐藤以下数人で、俺のようなタイプは思っていても口に出さない。上記の理由もあるし、目立ちたくない。


「でも、細いところまでよく見てるな〜って、話してて思ったよ。結構ダメ出ししてきたし」

「そっちだって、バスパートへのダメ出し、というか要望多かったよな」

「そりゃ、あんだけ色々言われるとさ、そっちだってって思うじゃない?」

「ほら、そうやって反発してくるから」

「アハ、ほんとだ」

 佐藤はおどけた様な顔で笑う。

「ま、何言っても佐藤ならそうやって笑って流してくれるって思ってたから、厳しいことも言えたんだよ、俺は」

 軽く返したつもりだったが、急に押し黙る佐藤。

 そして軽く肩パンチしてきた。

「…もう、いい顔して笑うから、ちょっとグッと来ちゃったじゃない」

 ええっ、そんなグッとくること言ったつもりはなかったけどなあ。

 でも、恥ずかしそうにはにかむ彼女をみると、こっちも照れる。


「後輩たちにも良い経験を残せたし。祝勝会、盛り上がったねぇ」

 まだ、多少の赤みを残した顔で佐藤が続ける。

「祝勝会って言っても、ケーキやアイスが出ただけだけどな」

「それでいいんだよ〜。顧問の先生やコーチ、奮発したと思うよ」

 大会お疲れ様会をかねた夕食は、例年ホテルに頼んでフライドポテト、唐揚げ、スパゲティといった生徒の好みそうなメニューのバイキングだったが、今日の好成績を受けて顧問たちが自腹を切って、スイーツやアイス(ハーゲンダーツなどの高いやつ)を提供したのだ。

 女子多数の部員は大喜びで、ホテル側の好意もあり、結構長時間食堂で騒いだ。うちの部活でほぼ貸切だったから出来たことでもあるが。


「俺、甘いもの苦手だしなぁ」

「そんなこと言って、アイス3つ食べてたでしょ」

「ア、アイスは好きなんだよ。ハーゲンダーツってなかなか食べられないし…。てか、よく見てたな」

 佐藤は女子部員に囲まれ、俺は高橋や一年男子と固まっていたのだが。

「ふふん。他の子と話していても、目はやっちゃんを追ってたんだよん」

「…」

 ……けっこうハズい。よくさらっと言えるよな……。


「あー、後継部長も無事に決まったし、まあ、良かったよ」

 ちょっと強引に話を変える。

「ささやんならうまくまとめてくれるよ、きっと」

 新部長は佐々木、副部長は高橋。

 問題なく決まり、簡単な受け継ぎ式もやった。

「もっと格上の賞を取って佐藤センパイを越えますぅ〜って言ってたなぁ」

「お手並み拝見だねー。どっちかって言うと、高橋君の方が不安」

「高橋?女子にも好かれているし、大丈夫じゃね?」

 俺でも出来たわけだし。

「それが1番心配なんだよ〜。かわいい顔してるし、同学年や後輩女子にも優しいし、人気あるからさ、高橋君をめぐって女子の仲がギクシャクしそうで」

「でも、秋本と付き合ってるんだよな?」

「高橋君にその自覚が薄い気がするんだよねぇ…。レナの前でも他の女の子と楽しく話してさあ。レナがもう少し文句言えれば変わるかもしれないけど…」

 そうなのか。基本他人に興味がないので、全然気がつかんかった。


「やっちゃんも気をつけてね」

 不意に佐藤がこっちの顔を見て言う。

「気をつけてって…何を?」

「鈍感!」

 再び肩パンチ。…さっきより痛い。

「ヤなもんなんだよ?気になる男の子が、別の女の子と楽しそうにしてるってのを見るのは」

 口元には笑いを浮かべているが、目はマジだ。

「醜い独占欲なのは分かってる。仕方ない時があるのも分かってる。…だけど、モヤモヤしてしまうんだよ、自然と」

 だからさ、と佐藤は少し俯いて目線を逸らした。

「他の子と楽しそうにしていると、わたしがモヤモヤしてるかもってこと、少しでも頭の片隅に置いてくれると嬉しい…」


 なんて、素直でストレートな気持ちだろうか。

 佐藤の正直な言葉に、気圧けおされているのを感じる。

 そして、純粋に嬉しい。

 そこまで佐藤が想ってくれているということが。


 そしてその想いが、俺の口も軽くした。

「今日の、表彰式の時」

 俺の言葉に反応して、佐藤が顔を向ける。

「イタリア賞の贈呈者として、イタリア総領事っていう人が来てたじゃん?」

「あ、わたしに賞状くれた人のこと?」

 佐藤の言葉にコクッとうなずく。背が高く、にこやかでダンディなイタリア人。

「あいつ、佐藤に賞状渡す際にハグしたよな?イタリアでは当たり前なのかも知らんが…。会場からもワッと歓声は上がるし、佐藤だってまんざらでもない顔してるし」

 しゃべっていると、だんだんあの時の気持ちを思い出してきた。

「何してんの、こいつって思ってたわ。俺より先にハグしてんなよ、皆ものん気な歓声あげやがって、そんな顔すんなよ佐藤!…って」


 …いかん、ちょっと感情が入りすぎた。

「…とかさ。仕方ないのは分かってても、イヤだったんだぜ、俺も」

 引いてるか?と思って佐藤を見ると、顔が赤い。だが、にへらっと表情を崩している。

「…そっか。やっちゃんもそう思ってくれてたんだ」

 じゃあさ、といたずらっぽく笑って続ける佐藤。

「ハグ、してみる?二番目だけど」

 思いのほか強い力で佐藤が俺の腕を引っ張る。なすがままの俺は、物干し台の隅の、ホテル内からは死角となるところで、逆壁ドンされる。

「さ、佐藤?」

 あまりに急で強引な展開!佐藤らしくない!


「……?」

 しかし、佐藤の眼は俺を見ていない。口に人差し指を立てて“静かに“の合図をしつつ、ホテル内に続く出入り口の方をじっと見ている。

 耳を澄ませていると、静まったホテルの中をがさごそ動く音が聞こえる。その足音は近づいてきて、ホテル側の出入り口のすぐそばに。

 と、佐藤が動く。

「ひゃっ」「きゃ」

 出入り口に仁王立ちした佐藤の前に、2人の女子。佐々木と梶。


「何してんの?」

 佐藤の表情は、月に背を向けていることもあって、俺からはよく見えない。

 だが、抑えた低い声は、けっこう怖い。

「あー、えっとぉ」

 さすがの佐々木も言い淀んでいる。

「のど乾いたので、自販機で何か買おうと思って来たら、物干し台へのアルミサッシが開いていたので、なんだろうな、と…」

「…ピー子?」

 さらに低くなった佐藤の声。

「すいません‼︎部長の後をつけました!」

 梶も一瞬で降参したわ…。


「だってぇ、センパイたちがイチャついてると思ったら、覗かないと損かなって」

「言い訳しない!正座!」

 佐藤の一喝に、2人は素早く正座。

「覗く覗かないって、損得の問題ではないでしょーが!わたし、言ったよね?あなたたちは他人のプライバシーに首をつっこみすぎるって!」

 …佐藤の説教タイムが始まってしまった…。


 結局、俺たちの仲はコイツらにはバレバレだったんだな。

 佐藤には見えてたんだろう。覗いてた2人に。俺はまったく気が付かなかったけど。

 …あの強引な引っ張りも、死角に隠れるためだったか。ちょっと残念。

 せっかく、良い雰囲気だったのに。

 もう、無理だよな、これ。


 …佐藤が怒り心頭で説教してるのも、それがあるのかなぁ。






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