The beginning of the dream world.

 今度こそ、本当に校舎を出る。少し荷物が多くなってしまったけれど、持てないことはない。


 校門前、校舎を見上げる。

 冬休みが終わるまで来る機会はないかな。


 ――――もう、来なくたっていいけれど。


 彼と並んで歩いた廊下。隣同士で授業を受けた教室。放課後を過ごした部室。ここには、思い出が多すぎて痛いから。


 足は自然と前に進んでいた。冷たい風を切って、独りを歩く。


 気づけば、見慣れた場所。家路ではない。


 そこは、子供の頃彼とよく一緒に来た高台。町を一望できる場所だ。ここで彼と、将来の夢みたいなものを語り合ったこともあった。


 なんでこんな場所、来ちゃうかなぁ。校舎でさえ痛かったのに、こんな場所二度と来たくなかった。


 景色に色は付いていなかった。

 私以外の誰も、そこにはいなかった。


 私と彼が、初めて出会った公園。小さなため池と一本の枯れ木は寂しげに笑っていた。


 商店街。ここもまた、彼との思い出ばかり。


 これは思い出ツアー。たったひとりの思い出巡り。最後のけじめということにする。


 彼と一緒に行った駄菓子屋さん。いつもお菓子を少し分けてくれた。

 八百屋さん。お魚屋さん。お肉屋さん。お買い物をする機会はあまりなかったけれど、彼と手を繋いで歩いているとよく囃し立てられたっけ。とっても気の良い人達がたくさん。


 今日も私を見かけると笑顔で声をかけてくれる。私は軽く会釈しつつ、通りを歩く。


 そして――――


「あ、ここだよ。ここのたい焼きが美味いんだ」

「そうなんだ? 私は来たことなかったなぁ」


「おまえがいなくなった後に出来たからな。帰ってきたら、絶対一緒に食べたいと思ってたんだ」


 そこもまた、彼とよく訪れたたい焼きやさん。寒い日の放課後、中学生の私たちはよくここで温かいたい焼きを食べた。少ないお小遣いを出し合って、ひとつたい焼きを分け合って。とっても大事な、私と彼の時間。


 先客は、その彼と彼女。


 遠くから、私はそれを眺める。


「奢るよ」

「え、いいの?」


「おう、なんか、恋人記念みたいな」

「え~、それならもっと他のがいいよ~。形に残る物が良い!」


「じゃ、じゃあ、これはテスト頑張ったな記念で」

「うーん、それなら奢られてあげようかなぁ。私頑張ったし!」

「頑張ったっつーか、頑張らないとマジでヤバかったけどな。あと一歩で冬休みは補習漬けだったぞ?」

「だいじょぶだったんだからいいじゃーん」

「まあ、そうだけど」

「冬休みは、ずっと一緒だよ? ぜったいだからね?」

「おう、任せろ」

「えへへ~♪」


 仲睦まじく腕を組みながらたい焼きを購入する二人。


「あ、ふたりでひとつでいいよ。はんぶんこしよ?」

「りょーかい」


 会話の通り、二人はひとつを分け合って食べ始めた。


 それは在りし日。彼女がいなかった日の私と彼のよう。


 やめて。私の思い出を……盗らないで。


 私が…………。


「ん?」

「……っっ!?」


 一瞬、彼と目が合った気がして私は慌てて電柱に隠れる。


「……気のせい、だよな」


 どうやらバレなかったらしい。


 たい焼きを食べ終わった彼らはデートの続きをするべく喧騒の中へ消えていった。クリスマスを控えた商店街は、まるで彼らを祝福するかのように煌びやかなイルミネーションで飾られていた。


 残されたのはやっぱり私、ひとり。


「……あれ」


 どうしたのかな。


 真下のコンクリートに、雫が一滴、落とされた。

 空はホワイトクリスマスなんて知らないと言わんばかりの晴天だった。空にはやっぱり、蝶々が飛んでいた。



「テストの成績、どうだったの?」


 家に帰ると開口一番、お母さんがそう言った。成績表を渡す。


 文字列に目を通すお母さんの表情はどんどんどんどん、厳しいものになっていった。


「どういうことなの!? ■■!? いつもよりずっと順位が落ちてるじゃない!」


 びくっと、私は身体を縮ませる。


 怒鳴られることくらい分かっていたけれど、それでも身体は勝手に反応を示した。


「やっぱり部活なんて許すんじゃなかったわ! お母さんとの約束覚えてる!? ねえ、成績は落とさない約束だったわよねえ!? やっぱりあんな子たちと一緒にいるのがいけないんだわ!」


「お、おかあさん、それは……」


「あなたは黙っていなさい! はあ、もうなんでこんなことに……」


 ガミガミ。ガミガミ。お説教は終わらない。私が口を挟むことは許されない。

 いつもそうだ。私の言い分なんて何も聞いてくれない。私の意志は、お母さんに届かない。


「いい? ■■、冬休みはお勉強をしっかりして遅れた分を取り戻すのよ? 部活もやめさせます。来年はもう受験なんだから、こんなことじゃダメなの。それから、お母さんが評判の良い予備校を調べてあるから、すぐにでもそこに通うこと。わかった?」


「……はい」


 お母さんには逆らわない。

 べつにお母さんのことは嫌いじゃなかった。


 家族だもん。幼馴染よりもさらに、近しい存在。一生、切っても切り離せない関係。


 お母さんが怒るのは、私がダメな子だから。それだけだ。


 それにもう、逆らいたい理由もない。お母さんに逆らってまで行くような場所が、私にはもう存在しない。


「あなたは立派になるの。お母さんよりも、お父さんよりも、立派になるのよ。もちろん、お兄ちゃんよりも、ずっとね。だから、お母さんの言うことを聞いていればいいのよ」


「は、……い……」


 お夕飯まで勉強してなさい。そう言われて、私はやっと解放される。


 着替える気力もなくて、私は倒れるようにベッドへ身体を押し込んだ。


「はぁぁぁ……」


 大きな、ため息。

 もう、疲れたよ。

 なんにもやる気が出ない。


 テストだって、ぜんぜん意識が向けられなかったんだもの、仕方ないじゃない。

 自分の導いた結末が、こんなにも自らの心を揺さぶるものだとは思っていなかったのだ。

 あの日、彼が彼女を選んだ日から、セカイは終わってしまったのだ。


 もう二度と、元には戻らないのだ。


 ピロリン♪


「なに……?」


 聞きなれた着信音につられて、携帯に手を伸ばす。


 誰だろう。


「え?」


 画面に表示された名前を見て、驚愕する。

 彼だ。彼の名前が、そこにあった。

 彼からのメッセージだ。


 衝動のままにタップしようとして、それをギリギリで脳が止める。


 本当に、見ていいの?


 見てはいけないような気がした。

 でも、見ないと。もしかしたら何かあったのかもしれないし。見ないわけにはいかない。


 ぷるぷると震える手で、そのメッセージを開いた。


『ありがとう』


 え……?


『ぜんぶぜんぶ、おまえのおかげだ』


『もう大丈夫。俺は今、幸せだよ』


 メッセージはそれだけだった。


 震えが、止まらない。


 指だけじゃなく、身体が、心のすべてが、震えていた。


 悲鳴を上げていた。


「ああ……ああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁあああああぁぁぁ…………」


 言葉にはならない。出るのは嗚咽のみ。


 涙が、溢れた。今度どこそ、たくさんたくさん、溢れた。


 だって。だって。


 これはまるで。


 ――――別れを告げられたかのようだったから。


 私の役目は本当にもう、終わってしまったんだ。

 彼の物語に、私は必要ない。

 。私には明かしてくれなかった苦しみから、解放されたんだ。

 彼はもう、大丈夫になったんだ。

 


 私じゃない。私じゃないんだよ。私は何もできなくて、しようともしなくて。自分のことで精一杯で。いつか彼が自分を助けてくれたらなんて、そんな都合のいいことばかりを考えていて。


 彼女が現れなければ、私は何もすることが出来なかったんだ。

 彼を大丈夫にしたのは、彼女。

 もし、彼女が現れなかったとしても彼を大丈夫にするのはきっとカノジョの役目だった。

 私はこの人生をずっと、あなたと共にいたのに、何もすることができなかった……!


「いやだ。いやだよぉ……」


 未練がましくも、私は手繰り寄せるようにシーツを握る。


「消えたくない。消えたくない……」


 ずっと一緒に居たかった。彼の隣を歩くのは、私であって欲しかった。

 彼だけがいればそれでよかった。

 家族なんて、知らないわ。

 再会した親友なんて、知らないわ。


 彼が、私のヒーローになってくれればよかった。

 でも、ヒーローはもういない。


 彼は、全てを救えるような正義のヒーローじゃないから。彼のチカラは、彼女だけに使われてゆく。もっとも大切な、ただ一人のために。

 物語から退場した、私を救ってくれることなんてありえない。彼によって私が描かれることはない。


 泣いて。泣いて。泣いて。泣いて。泣いて。泣いて。


 お母さんの呼びかけも無視して泣き続けて。


 もう、いいかなって。苦しいよって。そんなことを思いながら。

 やがて私は、眠りにつく。


 セカイの終わりを見つめながら。

 セカイの絶望を抱きながら。

 後悔を、幾重にも幾重にも積み重ねながら。

 報われない恋心を何度だって、いつまでも抱き続けて、どろどろのマグマになるまで、温め続ける。


 ふと、崩壊するセカイの端に、幻想的な蝶の群れが映った。


 どこへゆくの?

 私も、連れて行って?

 もう、ここに私の居場所はないみたいなの。

 こんなセカイ。こんな物語。捨ててしまいたいの。

 だから……私を……。


 手を伸ばし、蝶たちのひとつに触れる。


 導かれるように、私は、


 ムゲンに続く水底へ堕ちてゆく――――。





 そしてセカイは、巻き戻る。


 まだ、何もかもが確定していないあの頃に。夢と希望にあふれていたあの頃に。


 彼女も、カノジョもいないあの頃に。


 セカイには、溢れんばかりの蝶が飛んでいた。とても幻想的で、この世のものではないみたい。


『ここは……』


 そっか。そうなんだね。

 少女は不思議と納得して、走り出す。

 彼を探して。彼を求めて。

 セカイが終わろうと一生消えない、その想いを背負って。伝えられなかった言葉を、伝えるために。


『――――好き! 好きなんです! あなたのことを愛しているんです!』


 あなたがいないと、セカイは終わってしまうんです。

 あなたがいないと、物語を紡げないんです。

 もう、どこにも行けないんです。


『だから、だから! 私と、ずっと一緒にいてください! 私だけを、見てください!』


 もう離さない。

 もう誰にも渡さない。


 瞼の裏で、優しい優しい彼が、を儚く浮かべた。それは舞い散る桜のように美しくて。少女は彼をぎゅっと、抱きしめる。


『ありがとう。絶対、幸せにしますからね』


 ここは無限に続く、夢幻のセカイ。 

 永遠に消えない想いを、報われない想いを、少女はこの場所で語ってゆく。


 自分の物語は、自分で描けばいい。

 都合のいいセカイを、描けばいい。


『だって私たちは、夢を見られるんですから。夢を語る権利は、誰にだってあるんですから』


 それが間違っていようと構わない。

 覚めなくたって、構わない。


 ここにいるあなたは、本物なのか、なんてそんなこと、どうだっていい。


 これが、少女の選んだ素晴らしき美しいセカイ。


 だから。

 ごめんなさい。


 めでたしめでたし。ハッピーエンド。


 終わることのない夢のような物語が始まった。


 この胸に愛を、永遠を誓って————。

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