零れた景色。
木田りも
本文。
連作小説。 零れた景色。
涙が止まらなかった。私が見ていた景色に何があるのか、私は今何を見ているのか。私は心で叫んだ。あなたを呼んだ。あなたの景色に私を介入させてみたかった。人はいつもないものねだりである。お話が終わり、エンディングの曲が流れる。眠い目をこすった私は、立ち上がり、まだ生きていく必要がある。眼を開けて、あなたの目を閉じて私はこの部屋を出なければならない。これから日常になる帰り道。空席が目立った。きっとあまり人気がなかったのだろう。私は淡々と日々を過ごし、淡々と物事を進める。いくつか感想を聞いた。それは、夢の中に現れていて、あなたもそこにいた。ここからは、私が聞いた話を紹介しようと思う。
一つ目の話。
私が聞いたのは、あなたが私と出会う前の話から始まる。そのころ、ここは寂しい場所だった。一人の人物が常に登場しているものの、常に何かが足りていない。つまりそのものは、ずっとないものねだりをしていた。音楽が止まり、パソコンのキーボードを打つ音だけが暗い部屋で響く。響いては消え、消えた後の静寂に耐えられない。私はそこにいない。しかし、その空間の感情を感じることが出来る。もどかしさ、奥ゆかしさ、やるせなさ。そんな感情でここはいっぱいだ。足りていないものの正体に気づけない。だから、止まれないのか。もし止まったら私は戻れなくなるのだろうと予測した。ただでさえ違うのだから。同じになんてなれやしない。見え方も感じ方も何もかも違う。違いが面白いということに気づけない。私はぼんやりと日々を生きていた。自分の帰りを待っていてくれる場所。変わり続ける信号機が、いずれ私が向かう先を導いてくれるだろうと信じていた日。居場所が消えた。
二つ目の話。
昔、ルービックキューブをバラバラにしたことがある。バラバラにして色をそろえて組み合わせれば、楽にゴールできるなんて考えていた。私はよくこのように見栄を張っていた。できないことをできるといい、常に傍観者として遠くからそれらを見ていた。私がよく使う駅から売店が消えた。街は開発され、古いものが目立たなくなっている。消費され、需要が無くなり、また次のものが消費される。そんなことが嫌で私は走る。走っても過去には戻れない。理論的には光より速く走れば過去に戻れる。くだらないことを考える合間に今日が終わる。少しずつ、日々が進む。もう少しもう少しもう少しが積み重なると、少しではなくなるくらい取り返しのつかないものになってしまうことがある。夏休みの宿題を最終日にやるタイプ。日常が消えた。
三つ目の話。
空席がある。そこには誰が座っていたのだろう。決して空いているわけではないのだが、目立つ空席がある。私はいつもお世話になっている高橋さんに、常連である高橋さんにそれを聞いた。あそこの席には山田さんが座っているらしい。ありふれた名前だが、そこにいる人々は、一人の山田さんを思い浮かべているのだろう。中には涙ぐんでいる人もいた。私は山田さんを知らない。そこにどこか安心していた。なぜ安心したのかは分からないが、悲しむことを恐れていた。分かるだろうか。この世で不幸にならない方法。他人に期待しなければいい。日々を雑に過ごし、嫌われない程度の自分を持ち、仕事を覚えれば生活ができる。他人に期待をするからいけないのだ。それが安直であればあるほど起伏が増し、曇り、元の生き方を忘れてしまう。私はどんな風に生きているのか、どうして私の人生を全てなかったことにされることを言われなければならないのか、苦痛が苦痛を呼び、幸福はこの先に待ち受ける苦痛を誘う。きれいに見えるものほど裏があり、汚く見えるものは見向きもされない。世の中、世知辛い。私は触れない。どこも触れない。私が触ることで、ものをずらしたり、零したり、誰かが困ることに耐えられなかった。消えたくなる。先日、高橋さんがいない時、私はついにその席に座った。その時、感情が消えた。
四つ目の話。
いつも届かない。例えばあの風船。飛行機。空高くにあるそれらは、地上にいる私をあざ笑うように、悠々自適に飛んでいく。風船はあのエベレストまで飛んでいくらしい。私は星に興味を持った。星というより宇宙。膨張する宇宙。遠い昔に光輝いた光が今も続いている。唯一、昔に戻れる実感が持てる。私はいつか宇宙に行きたい。そんな思いが詰まっていた。運命というものは、変更可能なもので不変であり、私たちが取れる行動は一つしかない。踏み外せば戻れない地獄への入り口。それを常に横目に歩いている。今まで歩んだ人生。選んだ学校、出会った人。それらが価値を決める。価値を味わって結果が見えたとき、まっさらに、夢が消えた。
五つ目の話
目をつむる。まぶたの裏の景色は鮮やかでまるで万華鏡のようだ。まっすぐ歩けない。場所から帰り、みんなと別れる。飲み物を飲むと、瓶はカラになる。カラッポ。重い扉を開けるとき、まだ自分にこんな力があったんだと感動する。しかし、私はどこの思い出にも所属しておらず、あなたが見る景色のどこにも存在しえなかった。万華鏡のように世界が周り、天と地が逆になる。自分の足の間から世界をのぞいた時と同じ感動が襲い、体がふわっとする。息をするように温風がかかり、それが音を増して、他の音を消していく。通知が鳴るものの、内容は詐欺まがいの通販と、出会い系まがいのメールだけ。私はその通知を認識し、自分自身を否定する。自分に何ができるのだろう。景色が濁り、濁りが目に侵蝕し、前が見えない。前途多難、五里霧中。響きだけはかっこいい四字熟語。もう戻れはしない。私は気が付くと泣いていた。泣いたり騒いだりして周りの目を引き、私の存在をこの空間に知らしめた。周りの人がマスクを着けて横を通り過ぎ、昔の映画を見て、もう死んだ俳優が元気に演技をしているのを見たとき、私が消えた。
闇の中に一つの光が見える。夢から醒めた。
本当の感想。
私が目を覚ました。周りには誰もおらず、ただ心電図の音が聞こえた。私が振り向くと、警報が鳴り、私の心臓が止まる音が聞こえた。私は涙が止まらなかった。景色が零れ、私が濁る。空間から弾かれ、周りに誰もいない中、暗い暗い部屋にいる私にあなたが、明るい部屋から手を振った。はっきりとした幸せを掴んだ私がそこにいた。
終わり。
あとがき。
自分の中で処理しきれない情報があるとき、私は溜め込んでふさぎ込んでしまう。それが良くないことなのは分かるが、周りに迷惑をかけたくない、とか、気を遣わないでほしい、とかという考えになってしまう。かえってそれが周りに負担をかけてしまうこともあり、正解がない。もう一度やり直したいということが、人生の中に多すぎる。そんな気持ちで書いた作品。どの経験も大事に丁寧に真剣に向き合うというようなことしか考えられない。
くすぶっているときにしか見えない景色を書いた。きっと順調な時には見過ごしている景色。忘れないでいたい。読んでいただいた皆様に感謝する。
零れた景色。 木田りも @kidarimo777
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