一人カラオケの俺に差し入れをしたのは誰ですか?

春野 土筆

一人カラオケの俺に差し入れをしてくれたのは誰ですか?

「クリスマス……か」

放課後。

 校門に出ると何組もの相手を待っていると思われる男女がうじゃうじゃいた。

去年も見たが、今年はさらにいっそう多いように見える。

 否が応でも今日がクリスマスであることを思い知らされるその光景に。

 今までの十七年間の人生を振り返ってみても彼女とは縁遠い俺にとって、ただただ自分の劣等感をえぐられるだけだった。

 幼馴染の渚とこの日はお一人者同士カラオケに行こうと約束していたのだが、誰かいい相手でも見つけてデートにでも行っているのだろうか、一向に来ない。

寒空の下しばらく待っていると、一通の通知がスマホを震わせた。

 

【ごめん、今ちょっと手が離せなくって】

【後から合流するから、先行っといてくれない?】


 渚からだ。

 了解、とすぐに返信を送る。

 デートではなく普通の用事らしいことに胸を撫で下ろす。

 吐いた息が白く曇った。

 今日は特に寒い。

 いつもより冷える空を見上げると、雪雲が厚く覆っていた。

すぐにその場を後にした俺は、学校近くのカラオケに避難する。

中に入ると人数を尋ねられたので、「あとからもう一人きますから」というのを強調して受付を通した。クリスマスに一人カラオケという悲しい状況であると思われたくない。

 指定された部屋に向かう途中、カップルで来たと思われる制服姿の男女と何回もすれ違った。

 やっぱりクリスマスはめちゃくちゃ多いな。

 自分の高校の制服の学生もちらほら見かけた。

 そんな俺とは別世界と思えるような輝けるオーラを目の端に、俺は部屋に入るとすぐさまリモコンを用意して歌う準備をする。

 部屋を暗くしたまま歌うのが俺のスタイルだ。

 採点機能をオンにして色々なジャンルの曲を選んでは歌っていった。最新のロックからJポップ、はたまた歌謡曲や洋楽まで。

 始めとしては結構歌ったが、おかげで声も準備出来てきた。点数も80点台中盤から後半だったのが今は90点に乗るようになってきた。

 ここで、一番歌いたい曲を入れるか。

 そう思い、一人の寂しさを歌ったバラードを歌った。届かない恋模様、伝わらないもどかしい想いが繊細につづられた歌詞を、心を込めながら一人で熱唱する。その、リア充への眺望や哀愁が入り混じった声が機械にも届いたのか、まさかの95点をたたき出した。

 思わずスマホを取り出す。

 いつもこの曲は93点台くらいを推移しているのだが、やはり表現力の点数がいつもの二倍近くを指していた。

 気持ちってスゲーな。

 だが、その対価として体力も結構使い果たし、のども疲れてしまった。

「いったん休憩にするか~~」

 写真を撮り終え、一度休憩をとる。一人カラオケはずっとマイクを離さずに歌えるため楽しいのだが、やはりその分の負担も大きい。フリータイムにしているので、渚が来るまでは好きな曲を歌い続けられるが、さすがにノンストップはキツい。

「なんか飲み物取ってこよ」

 最初に取ってきた飲み物も底を尽きたので、カップを持って立ち上がろうとする。

 そのとき、いきなりドアをノックされた。

「は、はい?」

 急なノックされたので驚いてしまう。

 多分渚だな、やっと来たか。

「失礼します」

 だが、入ってきたのは渚ではなく、店員さんだった。

メガネをかけたその店員さんは慣れた様子で何か飲み物を持ってきていた。

「オレンジジュースです」

「あ、あの。俺、何も頼んでないんですけど」

「お隣のお部屋の方からです」

「……あっ、そうですか」

「では、私はこれで」

 俺が困惑している間に店員さんが部屋を出ていく。

「んっ……?」

 誰もいなくなったカラオケボックスで一人、はてなマークいっぱいの声を出してしまう。

 お隣の部屋の人から?

 バーで、すかしたおっさんが「これ、あの席の子に」ってカクテルを渡す、あれの事だろうか。

 カラオケでもそのシステム採用されてたんだな。

 って、違う!

 突然の差し入れって何だ、怖すぎる。

 素直に受け取ってよかったのか?

 差し入れとありがたく受け取って飲んだら、「……ああ、く、苦しい…………息が……」なんてことないよな?

 さすがに俺は国家の機密情報を盗んだりとか、世界の重大な秘密を握ってたりはしないのでそんなことはないと思うけど。

 まぁとりあえずこれはありがたく頂戴しておくことにしよう。

 俺はオレンジジュースにはうるさいんだ。

 ストローを使ってオレンジジュースを吸い込み、口の中で転がして味わう。

 こ、これはっ………!

普通においしいオレンジジュースだ。

「そういや、お礼…………」

 ジュースをもらったのだから、俺にジュースを恵んでくれた『お隣のお部屋の方』に何か感謝の弁を述べなければ。

 彼(もしくは彼女)の親切を無視するわけにはいかない。

 じゃあ、感謝を言いに行きますか。

 よいしょ、っと。

 しかし、ドアを開けたところで俺は重大なことに気づいてしまった。

 どっちの人だ?

 俺にオレンジジュースを差し入れしてくれた心優しきお方は右か、左かどっちの部屋の人なんだ?

 その事は全然考えてなかったな。

 どちらか判断につきかねた俺は、開けたドアを時を戻すように閉めた。

 店員さんがオレンジジュースを持ってきたというその状況に混乱してしまっていたせいで誰が差し入れてくれたのか聞き忘れていた俺は、考えを巡らせていた。

 やはり、オレンジジュースありがとうございました的な感謝を言う必要はあるだろう。突然ではあったが、差し入れてくれたのだからそれは当然だ。

 ただ、今部屋を出た限りでは右側と左側、どちらもドアが閉まってたんだよな。片方だけ開いてあれば、もう片方の人だと分かったのに。これじゃあ、見当もつかん。

 さりげなく室内を覗いて、それっぽい人のところにお礼を言いに行こうか。だけど人の部屋を覗くのはさすがにマナー違反だし……。

 こうなれば、店員さんに聞いてみるというのが一番こともなく済みそうだ。

 部屋の電話は………っと。 

 コンコン。

 再びドアの叩かれる音が響いた。

 やっぱり突然のノックに驚いてしまった自分が恥ずかしい。

「は、はい」

「失礼します」

 先ほどと同じように値が目の店員さんが入ってくる。

「あ、あの」

「フライドポテトです。コンソメ粉末がついていますので、それを振りかけてお楽しみください」

「頼んでないんですけど……」

「お隣の方からの差し入れです」

「そうですか……」

「それでは、失礼します」

 ああっ、ちょっと待っ……。

 誰が差し入れしたのか聞こうとしたが、店員さんは風のようにその場から去って行く。ちょっ待っ、までは聞こえたはずなんだけどな……。

 また聞き逃してしまったじゃないか。

 業務だけ終えるとすぐに去って行くな、あの店員さん。 

 にしても。

今回もまた隣の部屋の方から差し入れを戴いてしまった。

それも、フライドポテトコンソメ味。

俺の一番好きな味だ。

 先ほどのオレンジジュースといい、今回のフライドポテトコンソメ味といいお隣の方はとてもいいセンスを持っている。

 俺の好きな飲み物と食べ物を差し入れしてくれるなんて、まるで俺を知っているようだ。そうじゃないとオレンジジュースとコンソメ味のポテトなんていうチョイスで差し入れにしないだろう。

 ということは、もしかして。

 一つの推測が浮かび上がった。

 隣の部屋の人って知り合いじゃないのか。

それは考えてみれば考えるほど至極真っ当で自然な推測だ。

 カラオケ店なのに突然の差し入れ、特にその差し入れがどちらも俺の好みを的確にとらえているって。

 俺の知り合いしかいないじゃないか。

 俺に差し入れをしてきた隣の方の正体が分かってしまった。

 最初の内はビビっていたが、分かってしまえばなるほどという答えである。

 俺のこの名推理を渚にも聞かしてやりたかった。

 だが、そうとわかればまずお礼である。

 さっきは店員さんから聞きそびれて行けなかったが、知り合いと分かれば隣の部屋を覗くことくらい大丈夫だろう。

 ただ、確率は二分の一だ。

 二分の一で知らない部屋をのぞく可能性があるのは結構リスクがあるな……。

 片方をトイレに行くふりをしてさりげなく見てみようか。それでどっちの部屋が俺の知り合いがいる部屋か判明するはずだ。トイレに行く最中にちょっと部屋を見たって何の不信感も生まれないし大丈夫だろう。

 そうと決まれば、と俺は再びドアを開け右側に向かって歩き出す。

 そして右隣の部屋を通り過ぎる際にチラッと部屋の中にいる人を確かめる。

 右隣は誰だ……。

 そこにいたのは、年齢が40代くらいのスーツを着たサラリーマンのおっさんだった。気持ちいいくらい大熱唱している。

なんか、シンパシーを感じるな。

 俺も40代になった時でもああやって一人で熱唱してる気がする。

 自分の20~30年後を想像して何だか空しくなってしまったのは否めないけれど。

 だが、これで判明した。

 俺はもちろんこのおっさんとは面識がない。

 右隣が違うという事は、俺の左隣の部屋の人が俺に差し入れを入れてくれた人だ。

 そうと分かったらそっちの部屋の人にお礼を言いに行こう。

 俺は体を反転させ、左隣の部屋の方へ向かった。

 だが、もし万が一のことがあるといけないので、一応部屋を覗いてみる。

 部屋の中には、二人の男女が並んで座っていた。

 俺と同じ高校の生徒のようだが二人とも顔に見覚えがない。

 だが、それ以上に。

 二人があまりにもいい雰囲気で向かい合ってお互いを見つめ合っていた。

 双方頬を染め、うっすらと瞳を閉じている。

 こ、これは…………。

 クリスマス・ドリームなのでは??

 彼らから目を離せない。

 見てはいけないものを見ている気がするが、怖いもの見たさに見続けてしまう。

 や、やるのか……?

 キス…………するのか?

 そのとき。

 ガンっと、足がドアにあたってしまう。

 やっちまった……!

 これは気づかれるとまずい!

 俺は急いでその場を離れ、自分の部屋に戻った。

「ふぅ、危なかった……」

 扉にもたれ込みながら、速まっている鼓動を静める。

 思わずその場から逃げ出してしまったが、あのまま何も知らないふりをして入った方が良かったのではないだろうか。

それならば、「あっ、すみません……」といった微妙な空気にはなっただろうが、差し入れに対するお礼という俺のミッションは果たすことが出来た。

 ただ、空気がな。

 やはりあんな甘い空気の中に飛び込むことなんてできない。

 俺の付け入る隙なんて髪の毛一本分もなかった。

「でもなぁ……」

 俺は戸惑っていた。

 今にもキスをしようとしていた先ほどのカップルのどちらとも俺は面識がなかった。

 同じ高校の人物であることはわかったが、どちらも俺の知らない顔だった。

 改めて思い出してみても思い当たる人物はいないし、そもそも俺にカップルな友人などいない。

「じゃあ誰なんだよ……」

 思わず頭を抱えその場にしゃがみこんでしまう。

 右隣の部屋の人は40代を過ぎたあたりの中年サラリーマンだったし、左隣の部屋の人たちはいい感じの高校生カップルだった。

 そして、どちらとも俺は知らない。

 これはどういうことなんだ?

 疑問が俺の中からあふれ、それと共にちょっとした恐怖が背筋を少し冷たくさせる。

 俺に差し入れをしてくれた隣の部屋の人っていったい誰なんだ?

 怖くなってきた。

「あと、一時間ちょっとか……」

 渚も来ないしそろそろ出ようかとも思ったが、まだ時間が残っているのはもったいない。

「何か歌うか……」

 マイクを手に取り、曲を選ぶ。

 何か明るい曲を……。

 コンコン。

 みたび、ドアがノックされる。

「失礼します」

 またあの店員さんが入ってくる。

 もう慣れてしまったからか、ノックされてもあまり驚きはしなかった。

「お隣さんからです」

 何かだんだん呼び方がフランクになって行ってるよ―?

 一回目、二回目、三回目と微妙に変わっていっている呼び方に気づいた俺は、ツッコもうかと思ったが、彼女が結構真面目そうな態度だったのではばかってしまった。これをツッコめられるくらいの強心臓に私はなりたい……。

 それにしても、彼女はまた隣の方からだという差し入れを持ってきたようだ。

 ジュース、ポテトときて、次は何だろう。

 カレーとかのがっつり系だろうか。

 時計は午後六時を指しており、小腹もすいてきた頃だったのでそれならばありがたい。

 誰から、という不安とは裏腹に期待もしてしまう。

「こちらになります」

 だが。

 店員さんから差し出されたものは一つの手紙だった。

手紙にはきっちりと封がなされており、俺の名前である「楢崎楓真様へ」の文字が書かれていた。

 一瞬訳が分からず、店員さんの方を見てしまう。

 突然の俺宛ての手紙。

 どういうことだろうか?

 自ずと何か嫌な予感がする……。

「あ、あの、これは?」

「お隣様からです」

 それは分かってるんですけど……。

 手紙なんてメニューにあるわけないし、隣の部屋の人からじゃないとありえないから。

 だが店員さんは俺からの質問にいつものように答え、それだけを言うとその場を去ろうとする。

しかし、二の舞は踏まないと彼女に向かって、今度こそ言った 。

「お隣様って誰のことですか?」

「……、お隣様です」

 俺の再びの質問に対して彼女は一瞬ギクッという表情と共に視線を横に移したが、すぐに先ほどまでの店員スマイルに戻ると答えになってないような返答を残し、ドアを閉めて出ていった。

 はっ……?

 俺は彼女の返答を聞いて思わずそんな声が漏れた。

 彼女の答えは返答になっていない。

「お隣様って、だから誰のことだよ……」

 一人愚痴をこぼしてしまう。

 俺に差し入れをしてくる人を言えないとは、どうしたものか。

 普通は「○○様からです」と言って物を持ってくるか、聞かれたときに「○○様からです」と言って送り主を特定できるようにしてくれるはずだ。

 だが、この店員さんは「お隣様」ということを繰り返すばかり。

 これは何か裏でもあるのだろうか。

 なんかお隣さんの事を聞いた時、ギクッと分かりやすくなっていたし。

 やっぱり何か隠し事があるのかもしれない。

 とは思ってみたものの、人に勝手に差し入れしといて裏があるとすれば、それはどのような裏なのか。

 何が裏なのか逆に見当もつかない。

 俺の考えすぎだろうか。

 しかし、送り主はやはり誰なのかは不明なままだ。

 机の上に置かれた手紙をチラッと横目に見る。

「楢崎楓真」の文字はどことなく丸みを帯びていて、何となくだが女の子っぽい字だ。という事は、さっきのカップルの女子からか。

 やはり左隣が俺に差し入れをしてくれたということのようだ。

 でも、熱々の二人から俺に用事なんて……、まさか、……さっきの怒ってるんじゃ。

 一気に不安になるが。

 俺は思い切って封筒から手紙を取り出し、広げた。

 だがそこには短い文章が添えられているだけだった。



 ―――――――――――――――――――――――――――――

 

 今日の私からの差し入れはどうでしたか?


 急な差し入れに驚いたかもしれないけど……、喜んでくれていたら嬉しいです。

 

 次が最後の差し入れとなります。


受け取っていただければ、幸いです。


―――――――――――――――――――――――――――――



可愛らしい筆跡の手紙を読み終える。

やはり差し入れをしてくれたのは女性のようだが、やはり疑問として「なんで俺に差し入れを?」ということが残っている。

繰り返しになるが、隣のカップルの男女どちらも俺は知らない。もし仮にどちらかが知っていたとしても、こんなことを俺にするだろうか。

それもクリスマスっていう特別な日に二人でカラオケに来ている最中で。

いたずらというにはパンチに欠けるし、プレゼントというにはセンスが独特だ。

本当に謎だけが深まっていく。

俺は一体どうしたら……。

手紙には次がラストの差し入れ、と書かれていた。つまり、次の差し入れで誰からなのかわかる最後のチャンスということだ。

隣の部屋の人なんだけど、隣の人にそれっぽい感じの人がいないとはこれいかに。

いよいよ、俺のおんぼろな頭の回転数も限界に達しようとしていた。

手紙を読みながら一人で悩んでいるこの光景もなかなかシュールだな。

ふと時計を見ると残り三十分を切っている。

「もう終わりじゃん……」

 謎の差し入れに時間を割かれて満足に歌を歌いきれず。

 待ち合わせの奴も結局は来れなそうだし、何か訳の分からない差し入れをもらうし。

 結局一人か。

 今日はクリスマス。

 恋人たちが幸せに過ごす、彼らにとって一年で一番特別な日。

 そんなことを考えると、また自分が悲しく思えた。

 誰も一緒に過ごす人がいなくて、一人カラオケを楽しむっていう姿がなんだか滑稽なように感じる。

「そろそろ出ようかな……」

 一人で落ち込み、歌う気力もなくなってしまう。

 次が最後の差し入れということで少し気になっていたけれど、もう家に帰ってのんびりしよ。

 そう思い、帰り支度を始める、といっても脱いだジャンパーを羽織るだけだけど。

 鞄を持ち、部屋を出ようと立ち上がる。

 すると――――コンコン、と。

 目の前のドアがノックされ、扉越しに店員さんが立っているのが見えた。

 何か絶妙なタイミングで毎回訪問されている気がする。

「失礼します」

 もう慣れました。

 毎回登場でおなじみ、黒縁メガネ女子店員さんが営業スマイルで入ってくる。

「あれ、もう帰られるのですか?差し入れを持ってきたんですけど」

 店員さんはわずかに眉を顰め、怪訝な表情で尋ねてきた。

「……なんだが、ちょっと寂しくなっちゃって」

「寂しい?」

「ええ、一人でカラオケボックスにいることに……」

 彼女からの質問に自分の気持ちを正直に吐露していく。

 空しいと感じてしまっては、カラオケボックスにいる理由もない。

 そんな気持ちを見ず知らずな店員さんに言うことに少しの恥ずかしさも感じたが。

「でも、最後の差し入れは受け取りますよね?」

 店員さんは俺の理由に耳を傾けた様子はなく、なぜか差し入れについて聞いてきた。

そんなに最後の差し入れは大事なんだろうか。それまでの業務にこなれた店員さんの様子とは異なり、少し必死さが伝わってくる。

焦っているのか、声も若干跳ね気味だ。

その様子にこっちも気圧されてしまう。

「帰ろうかと思っていたんですけど……。ちょうど来てくれたんで受け取りましょうかね」

 彼女の必死さから見て、受け取った方が良さそうだ。

どんなものかは分からないが、何が出てきてもその時はその時だ。どんと構えるより方法はない。

「分かりました、今お連れします」

 俺の答えを聞き、安堵したのか彼女はまた笑顔を顔に作って部屋を出ていった。

 部屋を出ていった?

 というか、「お連れします」って言ってたよな?

 何を連れてくるんだ?

 もしかしたら、最後の最後でヤバい奴が来るんじゃないのか。

 ちょっと胃が痛くなってきた……。

「お待たせしました」

 しかし、彼女は思っていた以上に早く戻ってきた。表情は変わらないのに、何故か緊張した空気がカラオケボックス内に広がった。

「あ、はい……それで最後の、というのは何ですか?」

 早速、最後の差し入れを受け取ろうとする。

 だが、彼女はさっきまでのように手を伸ばしてテーブルに何かを置こうという仕草はしなかった。その代わり、閉じていたドアを少し開け、だれかを呼び寄せている。

 そしてその手に反応したのか、誰かがカラオケボックスに入ってきて、店員さんの背中に隠れた。

 不思議でいっぱいの俺に彼女は告げる。

「お隣さんの差し入れです!」

 そういうと彼女の背後に隠れていたショートカットのスポーツ系女子が俺の前に現れる。その顔には見覚えがあって―――――。

「な、渚っ⁉」

「……やっ、楓真」

 そこに現れたのは、渚だった。

 なんだかよそよそしい態度で、渚は俺に向かって挨拶をする。

 何か用事だったんじゃないのか?

今日ずっと待っていた彼女の登場にこちらも驚いてしまう。

 何で渚が?

 それにお前はどっちの部屋にもいなかったはずだが?

「……お前が、何で出てくるんだ?」

 思いがけない登場に俺は無意識のうちに聞いていた。

 彼女の方はちょっと戸惑ったように目を泳がせたながら。

「だって、…………私、隣の部屋の人じゃん」

 その言葉を聞いて、俺はやっと納得する。

彼女は俺の住んでいるマンションの隣の部屋の住人なのだ。

確かに、お隣さんだ。

「……ああ、そういうことか」

 俺は一本取られたというように呟いた。

「気づけ、バカ……」

 今頃気づいたことを彼女は罵倒する。

 だけど言葉とは裏腹に声は囁くように小さく態度はよそよそしいままだ。

 そっーと店員さんが出て行き、ドアが閉められる。出ていくときに何かを言っていたような気がしたが、小さくて聞こえなかった。

「……差し入れ、サンキューな」

 そういえばお礼を言ってなかった。

 二人しかいなくなったところで、彼女にお礼を伝える。幼馴染の間で何かを相手に感謝するということも少ない。

 何か少し恥ずかしい……。

 ちゃんと彼女にお礼をいうと、「……うん」とだけ返ってきて、まだ俯いたままだ。彼女の方も幼馴染からちゃんとお礼を言われて照れているのかもしれない。

いつもは竹を割ったような彼女の性格からは珍しい光景だった。

何かを言い出しにくい空気が流れる。

彼女との空間でこんな雰囲気になるのは初めてだ。

いつもなら、「楓真、なにあたふたしてんのっ」という感じで彼女が空気をほぐしてくれるのだが。

今日の彼女は様子がなんだが変だった。

「でさ……、最後の差し入れって?」

 彼女の方からは一向に何も言いださないので、業を煮やしたこちら側から口を開く。

「……………あのさ、店員さんの言葉、聞いた?」

 店員さんの言葉?

 差し入れは、お隣さんと言っていたことか?

 あれって何かの言い間違いじゃなかったのか。

 だが、渚は一層もじもじしながらドアの前に佇んでいる。

 顔は真っ赤ですごく恥ずかしそうだ。

 一瞬の静寂の後、彼女は小さく息を吸い込んだ。

「…………差し入れは、わ、私だよ?」

「渚が……差し入れそのもの?」

 そして発された言葉をそのまま彼女に返してしまう。

 本当に訳が分からない。

 お前が差し入れとはどういう意味だ?

「そう……、私が差し入れ…………」

 渚はまたしても同じ言葉を繰り返すが、その声は震えていた。

 こちらが心配になるほど顔を紅潮させている。

 通常とは明らかに異なる彼女の反応は、いつもの男っぽいというか、ストレートな性格の彼女とは同一人物とは思えないような感じだった。

 めっちゃ女の子っぽい……。

 彼女の可愛らしい一面にドキッとしてしまう。

 渚は深呼吸をした後、何かを決意したように俺と視線を絡めると、息を吐くような囁くような声で言葉を紡いだ。

「…………私を、受け入れてくれる?………私を……ふ、楓真の彼女に…………してくれる?」

 一言一言が苦しそうに、震えている。

 これ以上は耐えられないというような様子だ。

 俺は、彼女の告白に瞠目し、すぐに言葉を返すことが出来なかった。

 まさか、彼女がこんな風に思っていたなんて……。

 渚とはこれまで友達として接してきたし、渚の側も友達として俺に接してきているものだとばかり思っていた。

その一方で俺の中の渚が日ごとに変わっていっていたことも分かっていた。

 男っぽかった彼女の行動の一つ一つに女の子らしさが現れるたび、ドキドキするようになっていた。

 会うたびに可愛くなっていっているように感じていた。

 だけど、俺はこれまでの二人の関係が壊れてしまうことが嫌で、その気持ちに気づかないように蓋をしてきた。

 渚とはあくまで友達――――。

 そう思い聞かせてはきたが、渚も俺と同じ気持ちだったなんて。

 彼女からのその一言に。

 自分に言い聞かせてきたこの言葉が崩れていく音が聞こえた。

 渚がその気持ちなら。

 今にも泣きだしそうな、この関係そのものが終わってしまうかもしれないことに恐れているような渚の肩を掴む。

 ビクッとしたように、彼女の方が跳ね上がった。

 答え、返さなきゃな。

「俺も――――」

 彼女に俺の想いを伝える。

俺の言葉の後。

二人だけの空間が静寂に包まれた。

 渚はポカンとしたように俺を見つめ、目からは一筋の涙が零れ落ちる。

「何泣いてんだよ、渚」

「う、うるさいっ、バカ楓真っ」

 必死で涙を隠そうと手を顔に当てる渚を俺はギュッと胸に抱きしめた。


 

       ※

 

 中で二人が抱きしめ合うのを確認して、私は部屋を後にした。

 渚が楓真君を好きなのは知っていた。

 彼の話をしているときの彼女は、何をしているときよりも楽しそうで、生き生きと輝いていたから。

 だから、早く渚には幸せになってほしかった。

 小さなころからの二人を見ていれば、両想いなのは明白だったのだから。

 告白したいと彼女に相談されたのは約一月前。

 渚が、告白したいから一緒に作戦を考えてほしいといわれた。

 恋に奥手な彼女が自ら告白したいと言い出したのだ。協力しないはずがなかった。

 この作戦を持ち出し押し通したのは、私。

 恥ずかしい感じにはなってしまうが、素直な割にいざというときには内気なを彼女を活かすにはもってこいの作戦だと思ったからだった。

渚は可愛いんだから。

声をかけた時の、緊張で赤くなった妹を思い返す。

――よかったね、渚。

窓の外では雪が優しく降り始めていた。

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