第4話・創薬研究をする青年

例の、キシュ一家が治療のために訪れたという有名な医師は、自らの仕事の傍ら、この間の件についてこう診断書に記載した。

「アーグネシュ・サチァ・キシュ 9歳。リンパ腫、全身転移」



白い小手毬 まっ白のシモツケソウ 柔らかい葉 百合リリー、これらが咲く庭で白いアイスバーグをブチっと捥ぎ取り、そのやわらかいつるバラを口元へ持っていってなぞっていると、その隣にアパート1階の管理婦が、怪訝そうな顔つきで降りきた。そして険しい目つきでギロリとパリスを見遣ってすれ違って行った。


パリスが現在住んでいるアパートの四角い木造築は数人の学生や浪人生や、日雇い労働者がぽつぽつと住んでいる安賃アパートだった。

昼の時間、玄関前のドア脇に造り付けられたベンチの上で、パリスと同じ階に住み

創薬研究者を目指しているというオシェイという青年が、パリスに何事か呟いていた。パリスはその話に笑っていた。

小麦の白い小さな花越しに綻んだその顔が遠くからでも見えた。

「きみの植物への知識は相当なものだが、本当に重度のメラニアス患者でも治せるというのか?一体何を前提に君は薬草を処方するんだ?」

「地中海に行きたい…。」パリスが漏れ出す吐息のように返事代わりをした。

「赤い砂浜や青い海があるとかいうエーゲ海の辺りに、」

後れ毛のようなパリスの鬢の毛がこめかみや首に汗でべっとりとくっついていた。

「今世界は新しい医療を求めている。これまで治療することの叶わないと思われていた難病や治療不可能とされてきた疾病さえも治すことが出来るようになるんだ。」

オシェイは隣で元の話を続けた。

可愛らしいジャーマンカモマイルとローマンカモミールも手前に咲いていた。

「そんなことより地中海に行きたい。」

「僕は石油精製についての新しい可能性を探っている。つまり薬草からの抽出物を同じ化学式で石油から取り出すんだ。フェノールやコークスなどから、。そうすれば、大量に、安価に、その成分を含んだ薬品を作り出すことが出来、それを必要とするあらゆる人々に薬を行き巡らせる事が出来るんだ。」

「石油から?素敵。」興味を引かれたようにパリスがオシェイへ向き直った。

オシェイは続けた。「同じ方法で添加剤も合成できる。増粘剤や保存剤など。有効成分を補助し、安定させ、安全にかつ大量に生産させる為に。」

「化学の力だ、1950年代頃には実現しているだろう。」

オシェイは説明した。

「ここには何が書いてあるの?」オシェイの持っていた膝に乗せて拡げてある教科本をみてパリスが尋ねた。 これには化学式がたくさん載っていた。

「化合物の変換式だよ。つまり病に有効となる成分だ。植物成分のこの式を石油由来物質で標的にしてー 「そお!」パリスが急に大きな声をだして、「林檎も載ってる!!」 オシェイがパリスの言った部分に顔を寄せた。

「6員環の一重連結さ。カテキンやガロカテコルが複数重合して出来上がっている。」

「見てあげる。」パリスがオシェイの本をひったくった。そしてオシェイの手の届かない方へ寄せてベタベタ触り見た。

「僕のだ、返してくれ」とオシェイは教科本を奪い返した。奪い去られた本をみて「取らないで、」と再びパリスが奪い去った。 そしてバッサと本を延ばし振り、 スラックスの裾を直して座りやすいようにして左右へ目を走らせ本を検分し始めた。

仕方なくオシェイは

「構造式が明らかならばそれは人工的に再現することが可能なんだ。」とパリスに説明をつづけた。

「半合成、部分合成… 発生し… て… 、 ます 。」本中の文章を拙く読み上げ始めたパリスにオシェイが食い入るような体勢になった。近寄ってきたオシェイに合わせてパリスも身をズラせ体を浮かして座り直した。近付いたのでパリスの熱っぽさが感じられた。

「ともかく石油原料の簡単な一価基の式に手を加えて分断したり組み換えたりして花々の有効成分と同じ経路をつくり目的の植物成分と同じに全合成するー あるいは合成し直す。」

パリスはうん、うん、と興味をそそられたように話しに聴き込み、

「新しい…  …新しい医学なんだ。」 オシェイは1ページ取っては放り投げるようにページをめくり本文へ見入るパリスに話した。

「んっ… 」とパリスが返事した。 「素敵。素敵。」肩を落として向こうへ顔を傾け、放心したように熱を発するようにパリスが呟いた。「きれい、きれい、、んっ…… 。」パリスはオシェイの説明に賛同しながら頷いた。

「式が同じなら原料が植物だろうが石油だろうがこれらのものは全く同じものなんだ。」

「うん… うん… 。」目の前の金色のほつれ毛は濡れがかって一筋にかかっていた。

「革新的に人々を救う。」

「うん。ここの所にそう書いてある。」

並んだ二人は本を見ながら語らいを続けた。

「プロシアニジンだって!ンッフフフフ」 パリスは教科本を広げたままその箇所を示し、「アッハハ、」 「 ハハハハハ」と笑い続けた。

「それらがあればもうペニシリンの為に青カビに煩わされる必要も無いわけだ。」

「アッハハハハハ。」パリスがオシェイの顔をみて笑いこけた。

「今医学界は化学の力で飛躍的な変貌を遂げようとしている、今までの伝統医学から科学的な大規模で革新的な分野に達するんだ。そしてこれまで治療することの出来なかったような病気も治せるようになるんだっ!!」

「うん。」パリスが下を向いたまま答えた。そして、「見て!」と大きな声をだした。「化合物の一覧表が載ってる!」

それからその説明文を唄うように読み上げ始めた。

「ビタミンしー、カリウム・ピロール環,フィロールくろろふぃる」調子っぱずれに尻上がる声をだして読み上げるパリスに、オシェイもやがて調子を合わせて唄い始めた。

「分断、変換、修正、付加・・・ 「「"石油原料"」」パリスが遮って言い足した。

「ふっふっふーん」 上機嫌に読み上げるパリスにオシェイが急に食い言った。

「君ならできるんだっ!!ウチの大学へ来て一緒に開拓しよう!君ならどんな薬だって創り出せる!!教授に言って特別客員の椅子を用意するよ。君のその力があれば、世界が変えられるっ!!」

「よしてよ。やめてよ。」険しい顔をしてパリスは嫌がり身を引いた。

「そんなのいらない!」そしてピシャっとそう言ってはね退けた。

オシェイは食い入っていた身を仰け反らし、熱を冷まして仕切り直し話を変えた。

「先生の今診てる子、リンパ腫のー 、 あの子は駄目だな。昨日も夜中に父親に会った。いろいろ話を聞いたけど・・・ 。」

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