第2話

そしてそうこうしているうちに、彼の屋敷についた。だが屋敷と言っても、とても立派なものとは言えず、誰が見てもお化け屋敷か廃屋だと答えるであろう外観をしていた。

「そうだ、ハジメくん。君って家には必ず帰った方がいいの? 家の人に君が遠出していること伝え方がいいのかな?」

 ちくわぶから降りると、九十九はくるりと振り返って問いかけた。

「その質問は、連れ去る前に聞くべきだろ」

「確かに!」

 九十九はけらけらと笑い、錆び付いたドアノブに手をかけ、俺を屋敷の中へと案内した。屋敷の中も外観に負けないぐらいひどく、果たして屋敷と称していいのだろうかと不安になってしまうほどだった。ゴミがそこら中に散乱し、なぜか廊下には雑草だけでなく、鈴蘭まで咲いていた。

「あんた、ここで寝泊りしてるの?」

「そりゃそうでしょ、ここが家なんだから」

 こんな場所を家と言ってはいけない、と俺は反論しようとして、口を噤んだ。この男には何を言っても無意味なのだから。

「それで、ハジメくん。家の人に君が今どこにいるか、伝えた方がいいの?」

「いや、しなくていい。今、この瞬間から家出をする」

「あれま、急だね。ここが気に入っちゃったとか?」

  廃墟に住もうと思うほど、俺も狂ってはいない。俺は大きく舌打ちをして、元々は廊下だったと思われる道を歩いた。

「ちょっと、靴脱ぎなよ」

 苔が生えた玄関らしき場所で、九十九は靴を脱ぐ。正気なのだろうか。いや、出会った当初からかなりネジが緩んでいたのだ、この男は。

 俺は後ろで靴を脱ぎ終えた九十九の方へと振り返り、顔をしかめる。

「それで、これから俺はどうすればいいんだ?」

 九十九は、待っていましたと言わんばかりに破顔した。

「僕の弟子になって、修行をして、そしてちくわぶ使いになるんだよ」

 ちくわぶ使い。九十九曰く、ちくわぶを使って摩訶不思議な技を出す、魔法使いから派生した存在。ちくわぶ使いにとって、ちくわぶは必要不可欠なものであり、鬼に金棒、弁慶に薙刀、ちくわぶ使いにちくわぶ、と言った具合に、ちくわぶがあればより強い魔法を繰り出すことが可能らしい。

 もし街中でいきなりこんなことを告げられても、俺はきっと信じず、九十九を殴るか無視していただろう。だが、魔法のちくわぶに乗って空を飛んだ後だから、信じざるを得なかった。

 ちくわぶ使いとしての才能がある俺は、今からちくわぶ使いとしての修行をしなければいけない。居間と思われる場所で布団がわりに段ボールを敷き、俺に寝るよう要求した後、九十九は告げた。

「ハジメくんには、ちくわぶ使いになって、幸せになって欲しいんだ」

 今の生活は、たぶん君にとってイイものじゃないからね。

 それだけ言うと、九十九は地べたに寝転んで、そのままイビキを掻き始めた。マイペースで、こちらの都合をまるで考えない彼の姿は、苛立ちもあったが、同時に俺を心地よく感じさせていた。

 俺に無関心な大人たちや悪い道へ引き摺り込もうとする仲間たちと全く違う雰囲気を持っていたからだろう。どこか純粋で、俺が腹の底で抱えている不安と苛立ちさえも消し去ってしまうような、そんな力を持っている気がした。これも、ちくわぶの効果なのだろうか。

「それは、なんか、嫌だな」

 昇り始めた朝日で淡く光る、割れた窓ガラスを見つめながら、ゆっくりと俺も眠りについた。夢は見なかった。

***

 結局、ほんの三時間ぐらいしか眠れなかったが、それでも少しだけ清々しい気持ちにはなれた。今まで自分を縛り付けていた物から解放されたおかげだろう。

 近くのファミレスと朝食を軽く取った俺たちは、その後、屋敷のすぐ裏にある山を登った。ここは都市部から少し離れている田舎らしく、人があまり登らない山は、修行をするのに打って付けだった。

 伸びきった草が生える頂上で、九十九は懐から一本のちくわぶを取り出し、俺に渡した。

「まずは花を出してみよう。簡単だからね」

 俺は生暖かいちくわぶを右手に握り、薄いクリーム色をしたそれを見つめた。

「想像するだけでいいんだよ。ちくわぶの穴から花が咲くのでもいいし、ちくわぶが花になるのでもいい。好きな花を思い浮かべてごらん」

 はじめに浮かんだのは、桜だった。淡紅色の枝垂桜。幼い頃、両親と一緒に桜が満開になるといつも花見をしていた。じくりと痛んだ胸を無視して、俺はちょうど辺りに咲いていたアネモネの花を目に焼き付ける。

 燃えるように赤い花びらが、柔らかな風にゆらゆらと揺れていた。その姿は情熱的でもあったし、同時に心を落ち着かせる柔和なものにも見える。

「ああ、やっぱり! ハジメくん、君はちくわぶ使いの才能があるよ!」

 九十九の歓喜の声で、意識は戻される。ちくわぶを握る自分の右手を見やると、そこに最早ちくわぶはなく、二輪の赤いアネモネが咲いていたのだった。

「やったー! 僕の判断は間違っていなかった! ハジメくん、君は正真正銘のちくわぶ使いだよ!」

 俺の両手を握り、九十九はぐるぐる踊り回った。草むらに潜んでいたバッタは飛び、アネモネの赤い花びらは風に乗って舞い上がった。

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