3

歯車が軋むような、ゼンマイ仕掛けの人形が動く前のような、これもまたあまり聞きなれない音で今から何が起こるかなんて想像もつかなかった。音の主である「先生」は、よろめきながらゆっくり、ゆっくり立ち上がる。

「先生・・・?」

俺たちは、どう声をかけたらいいかわからなかった。先生にしか見えないのに「先生ですか?」と聞けばいいのか。先生じゃなかったとしても「じゃあ何者なんですか?」と聞けばいいのだろうか。個人的に、後者の質問をする場面のあとはろくな事がない。そう直感で思うのだが、聞かずにはいられない。

「先生、あの・・・大丈夫?頭とか・・・。」

恐る恐るセドリックが話しかけた。確かに頭も打ったには打ったがどちらかというと首から下を強打した。何故わざわざ頭部の損傷を気にするのか、聞きようによれば誤解してしまう。はたまた、わざとなのか。

「・・・フフフ。やるじゃない。見直したわ。」

生徒の心配をよそに、先生の俯き加減の表情から笑みが溢れる。

「俺を怖がりの臆病者だと思ってるようじゃテメェもまだまだだな。」

明らかに様子の違う先生に信じられず皆は言葉を失う中、事情を何か知っているオスカーは動じる事なく睨み返す。

「違う違う!オスカー君、面倒事ばかり起こすクセに自分はすぐに面倒事から逃げちゃうじゃない。」

そこは先生らしく、奴の短所のひとつを指摘した。だが、様子が違うのはオスカーの方もだった。

「バケモンに俺のなにがわかんだよ。」

さっき俺が掴みかかった時然り、いつものあいつなら逆上し怒鳴り散らかすのだが、今のあいつは怒りを露わにしているものの冷静さは保ったままだ。

「・・・・・・さっきからバケモンなんて、ひどいなぁ。」

先生がやれやれと首を横にふる。なんとなく、俺たちの知る先生に戻った、そんな気がしたがそれも一瞬だった。

「せっかく姿や性格、記憶もトレースしたのに、残念だなあ。」

意味不明な言葉を先生が残念そうにつぶやいた。

話が全く見えなかった。

「あ、あの・・・オスカー、さっきから何変なことばっか言ってるの?バケモンってとてもそんな風には・・・。」

恐る恐るセドリックが間にはいるが、オスカーは苛立ちとうとう怒鳴りつけた。

「うるせぇ!見てもねぇくせに黙ってろ!!」

クラスでガキ大将とも呼ばれる奴の怒りの形相に萎縮し、小さな悲鳴を上げたのち黙り込んだ。

「・・・・・・俺の知る先生は頭打ったらすぐにゃあ動けねえし刺されたらあっけなく死ぬような弱っちい奴だった。」

オスカーはそう続けながらポケットに手を突っ込み、文房具用の鋏を取り出すと刃の先端を先生の目の前に向けた。

「まあ、腹をぶっ刺さして死んでくれたら本物と認めてやってもいいぜ。」

バカな、死んでからじゃ遅いじゃないか。あいつを止めるべきなのではないか。だが、先生はいまにも自分の教え子に刃を向けられているにもかかわらず真っ直ぐ見据えていた。だから、行動に移すべきではないと判断した。

「全く、オスカー君て本当は賢いんだから・・・。そうだ、この体捨てようかしら。」

先生が笑う。不気味に笑う。

「うん。そう。あの時は選ぶほどの知能もなかった。この体すぐガタがくるし、どうせならタフで賢い方が良いわ。ということなので今すぐアンタの全てをいただくわ。」

さっきの音が再び鳴り始める。キリキリと、やがて耳が痛くなるような音に変わる。


オスカーは余裕綽々の態度が一変して酷く焦りだした。

「まさか、おい・・・マジかよ・・・!!」

事情を知っているのはこいつ一人、俺はこれから何が起こるか見当もつかない。

「おい、オスカー!?」

するとオスカーが奥の方へと走りだした。一旦足を止め振り向く。

「ついてくんじゃねえぞお前ら!!」

自分だけ助かろうと企んでいるみたいに聞こえなくもない台詞。

「そいつは俺を狙ってやがるみてえだ・・・クソッ!さっさととどめを刺しときゃよかった!」

でも今狙われているとしたらそれはオスカーただ一人のようだ。

「死んでたまるもんか!!」

そう吐き捨てオスカーは逃げる。しかし、先生はゆっくり獲物を定め右腕をまっすぐ伸ばす。右手拳がパカっと割れて腕から赤白い閃光が放たれた。

閃光、はたから見ればビームのようなそれはオスカーの横を通り抜け、あいつが逃げる先の突き当たりの壁に直撃する。瓦礫が崩れる音と濛々とした煙が立ち込めた。

「・・・!?」

呆然とする俺、と、みんな。まるでSF映画でも見ているみたいなあまりに現実味の無さすぎる光景。確かに、先生は先生ではなかった。でも、バケモンといったって具体性がない。

「・・・・・・!」

立ち止まるオスカーの前には大きな穴を開けた壁が待っていた。

「外しちゃった。」

手首をはめて元通りの先生は一歩、また一歩と詰め寄る。行き止まりの壁には穴が開いてそこから落ちても運が良くない限りは死、あのビームを浴びたら確実に死、そんなあいつには逃げ場がない。俺と違いオスカーには死の恐怖が付加されていた。

「オイオイ、冗談じゃねえよ・・・。」

穴の先からよく見える赤い空を前に立ち尽くすオスカーにじっくり、ゆっくりと近づく。

「大丈夫よ、可愛いお顔に傷をつけたりしないから。じっとしててくれたら・・・ね。・・・・・・。」


オスカーと距離がおおよそ10mといった所で突如足を止めた。


「・・・メ・・・ゲテ・・・逃げて。」

体がガクンと前に傾く。なにやら呟いているが小声すぎて聞こえない。

「・・・なんだ?」

様子が変わった先生を怪訝に睨むオスカーは笑って強がりを見せた。

「へっ、どうしたババァ。さっきのでガタがきたか?」

だが、先生が顔を上げるとオスカーの表情も驚愕に変わる。

「・・・先生が、生徒を傷つけるなんてするわけない・・・ぐあっ!クソ・・・!人格のトレースは中断したはず・・・がぁッ!!」

頭をおさえ、もがき苦しみ、なんとか足で踏ん張っているが今にも前のめりに崩れ落ちそう。

「やめろ、割り込んでくるな!・・・これ以上、無理矢理・・・逃げて・・・無理無理、処理できない!!・・・・・・エラー発生。」

訳のわからない言葉と同時に体をひねったり必死に苦痛に耐えて、見ていてもとても痛々しい様は途端にピタリと止まった。

「・・・・・・せ、せんせ・・・?」

「・・・おいババァ!!」

恐々と話しかけるセドリックだが、か細い声では届かずオスカーのドスのきいた声に掻き消された。

「テメェはさっきから何がしたいんだよ!!」

逃げておきながらこちらに来ようとするオスカー。そして獲物が自ら近づいて来ているも関わらず身動き一つしない先生は、聞いたことのない機械のような声で呟いた。


「エラー発生。エラー発生。エラーコード6604。空き容量が1352tb足りません。このままインストールを続行する場合、データの破裂及び大切なメモリーを失うおそれがあります。」

ノイズ混じりで難しい言葉を棒読みで喋る先生らしきもの。エラー、空き容量、インストールといいまるでパソコンを開くとたまに見る文字を並べているようだ。データの破裂という単語が妙に気になる。

「破裂って、なんかヤバくない?」

セドリックの言う通り、物騒な響きだ。

「インストール続行中、インストール続行中、インストール続行中、インストール続行中。容量に空きがありませんこのままインストールを続けますか?インストールを続けますか?」

先生が引っ切り無しに喋る。いや、もうそれは調子の悪いパソコンがエラーを吐き出しているみたいで。俺たちはその時やっと「先生ではない」と嫌でも認識しただろう。しかし、遅かった。

「インストール強制続行した結果、容量オーバーとなり、あと30秒後データが本体ごと破裂致します。」

とうとう破裂してしまうことになった先生らしきものから、今度は秒針を刻む時計の針の音が鳴り始めた。

「本体ごとって・・・。」

よくわからないが、これから大変な事が起きるに違いないと思った。

「オスカー!動くな!!」

と叫んだのは俺ではなく、ハーヴェイだった。振り向くより先にハーヴェイは化物の方へ・・・違う。化物の前へと走っていった。

「な、なんだよ!!俺に指図すんじゃ・・・。」

「多分こいつ爆発する!!」

そう言ってハーヴェイはオスカーが教室から持ち運んで来た椅子の脚を掴み、廊下の窓ガラス目掛けて力の限り振り回した。ガラスは呆気なく粉々に割れ、辺りに破片が散らばっても御構い無しだ。

「リュド!手伝え!」

名指しされるとは思ってなかったからビックリした。なにを手伝えというのか、だがハーヴェイが化物の腕を持ち上げ強引に体を起こそうとするのを見てすぐにわかった。

あいつ一人で出来るかどうかではない、俺たちの命もかかってるのだからなんとしても急がなければ。

「え・・・重っ!?」

力を失った人の体はこんなにもずっしりしていたのかと廊下の端まで引きずりながら感じた。そんなこと考えてる暇はない。俺は背中を抱え込むように、ハーヴェイは両足首を掴む。

「いい?投げなくていいからそこの窓に引っ掛けて、早く!」

せーの、の声と一緒に体を持ち上げ、よろめきつつもなんとか化物の体を鳩尾より少し下のあたりを窓に引っ掛ける事ができた。ほぼ九の字にだらんとぶら下がっている体。


そして、ハーヴェイは先生の足を上にあげ窓から無抵抗の身体を落とした。


「・・・・・・!」

俺は急いで窓から下を覗き込む。オスカーは危険な存在が居なくったから再びこちらに歩み寄ってきては。

「死んだか?」

と誰かに訊ねた瞬間、地に落下する寸前で化物が爆発した。地響きするかのような激しい轟音と衝撃がここまで伝わってくる。化物が落ちたと思われる場所は煙と炎が巻き上がっていた。

例えるなら、戦隊モノでヒーローが全員揃って決めポーズをとるときに後ろで爆発する、まさにあんな感じで体が爆発するなんて表現は生ぬるい。本当にボムが爆発したみたいだ。

「・・・・・・・・・。」

嵐の後の静けさの中、みんなそこから動こうとも話そうともしない。茫然、まさにそれだった。

今まで一体何が起こっていたのかわからず・・・いや、わかりたくもない俺はゆっくりと窓から離れた。


「・・・ねえ。」

静寂を破ったのはセドリック。顔は笑っているが決して愉しいからではない。その笑顔はどうにも引き攣っていてぎこちなかった。

「僕たちは誰を頼ったら良いのかな・・・。」

その質問に対しどう答えたら良いかすぐに浮かんでこなかった。

頼りになると信じた先生が先生ではなく偽物、しかも人間ではない得体の知れない化物だった。うかつに信頼できる人間を信頼出来なくってしまった。

「・・・ん?セドリック、さっきは先生じゃなかったんだろ?」

ふと俺はあることに気づいた。

「本物の先生がまだいるんじゃないか。」

そう、偽物がいるなら間違いなく本物がいる。そう確信したのだ。

「本物もいねえよ。」

オスカーが不機嫌そうに口を開く。

「先生は突然現れたバケモンから俺をかばって死んだ。」

一縷の望みは、オスカーの一言により砕かれた。でもその場を見ていない俺たちはすぐには信じられないでいた。

「・・・嘘だよな、オスカー。どういうこと。」

「こんな時にンな胸糞悪ぃ嘘つくかバカ!!どういうことだぁ?そりゃあこっちの台詞だ!!」

そう喚くオスカーには申し訳ないが、嘘だと言ってほしかった。胸糞悪い冗談だとしても、冗談ならまだ笑えるだろう。

「ったく!外へ行こうとしたら急にこんなことになっちまって・・・ンだよ、夢かと思いてえけど打った所はまだ痛いし・・・。」

「打った?」

そうだ、まず俺たちが外にいる間に何があったのか気になっていたのだ。

「バケモンの攻撃を腹あたりにもろに食らって・・・まあ、この腹だからたいしたことねーけど随分と吹っ飛んで机やら椅子やら散々・・・て。」

意外にも自ら淡々と話してくれたがいきなりやめた。

「なんでテメェらにんなこと話さなきゃなんねーんだよ。」

相変わらずいつものオスカーだ。そこまで話しといてそりゃないだろう。

「俺から根張り葉堀り聞くのは後でできるだろうが。今は他にする事があんじゃねーのか?」


なんだろう、いまいち浮かばない。悩む俺を見かねたオスカーが大げさにため息を吐く。

「はぁーっ、優等生君もいざという時にゃこの有り様か。お前、いつも携帯持ってきてんだろ?誰かにかけてみるとかすりゃあいいじゃねえか。」

・・・それだ!消えたものの何処に、どうなっているかまではわからない。もし繋がれば向こうの状況も確認できる。何故だろう、全く思いつかなかった。

「かける奴がいないとか言うならぶん殴るからな。」

オスカーの偏見は聞き流して早速、ここにいる以外のクラスメイトに電話をかけた。

「・・・・・・・・・おかけになった電話番号は、現在使われておりません。」

という丁寧な知らない女性の声で返された。まさか、間違えたか?アドレス帳に登録した番号からかけたし、前に何回かかけたことあるがちゃんと通じた。

「おかしいな・・・。」

次は違うクラスメイトに電話をかけてみる。が、しばらく待っても反応は同じ。先生個人の電話番号なんか知っているわけもなく、学校の電話番号にかけてみても、同じ。

「なんでみんな電話番号が違うんだ!?」

「お前ふざけんなよ!!」

「こんな時にふざけるかよ!俺は間違えてないぞ?前にかけた時は通じたんだからな!ならお前からかけてみろ!」

自分が鈍臭い風に言われているのについ腹が立ち声を荒げた。

「じゃー警察にかけてみろよ!!あいつらが一番なんとかしてくれそうじゃねーか!」

警察は正直、クラスメイトにかけている途中に思いついていた。しかし、あんな化物相手に警察も意味がないのではないか。警察を信じていないわけではない。ただ、未知なるモノが相手なら警察だろうと人間である限りは到底かなわないだろう。そう思った。

でも、やっぱり今一番頼りになるのは武器も持ってなおかつ強い警察だ。

「警察ならほら、間違えねえだろ。119番なんて誰が間違えんだよ。」

「つかぬ事を申し上げますが110番ですよ・・・。」

おそるおそるセドリックがツッコミを入れる。お前が間違えてるし消防車呼んでどうすんだ(確かに下は火の手が上がっているが)と心の中でぼやきながら警察に電話をかけた。


「・・・・・・繋がらねえ。警察にかけて電話番号が使われてないって、ありえるのかよ。」

周りは一気に落胆する。いやいや、あり得てもらっては困る。町の警察の電話番号を知っていたらそっちにもかけるけど、縁もないのに知っているわけもないし、これだけ色々なところにかけても繋がらないのだからきっと繋がらない気がしてきた。

「・・・・・・。」

そう言えば、かけ忘れている番号がまだあった。言われるがままにかけたからほったらかしにしていた。父への携帯と家の電話番号。

そりゃあ、家族がどうなっているかは気になるしこれほどまでに繋がって欲しい、頼りにはならないかもしれないけど声が聞きたいと思う人は他にいない。本当なら真っ先にかけても良かったぐらい。なんせ、父子家庭で育った俺にとってたった一人の大切な家族。そして俺が帰る場所。電話が繋がらないなんて、あってほしくない。


「父さん・・・。」

家が喫茶店だから、この時間だと家にいることがほとんどだ。だからまず家に電話をかけた。祈るように、おもわずギュッと目を閉じた。

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