8


「ん、うん・・・ん?」

目を開けたら、まだ暗かった。少し横になったら眠りに落ちてしまい、中途半端な時間に起きたのだった。今のシフォンはいつも通りの服装。着替えは用意していなかったがご親切にも服は比較的綺麗なままだったので、家に帰るまでは仕方なく着ることにした。せっかくもらった薬も綺麗に洗い流した。周りに害を与えるようなものはあまりありがたくない。寝起きに体を伸ばす。やはり痛い。やめておくべきだと後悔した。

「・・・。」

ひどい喉の渇きを感じる。そういえば、水分そのものをしばらくの間摂取してなかった。何が欲しいとしても、せいぜい水ぐらいか。人の家にあるものだが、訳を話せばシュトーレンならば許してくれるはず。でも、そうはしなかった。許してくれても多分別の事情で落ち込む顔が目に浮かんだからだ。

-お目覚めかな?-

例の声が語りかける。面倒なので相手にしなかったが、向こうはお構いなく続けてくる。椅子にかけた帽子を被りマントを身に纏う。こんな時間、人なんかいるはずもないのに、やはりあの場所に向かうにはある程度身なりをちゃんとしていかないと気が済まない。

-どこへ行くんだい?-

「お茶会さ。」

すると返ってくるのはとても溌剌とした声。ない。

-こんな夜に!誰と!-

脳内に響き渡るのは無駄にやかましく、それでいて明らかに馬鹿にしているのが聞いてわかるから不快極まりない。元より理解してもらおうとは思っていない。想定内の反応だ。

「一人きりのお茶会さ。いやなに、喉が乾いてね。ちょうどいいだろう。すっかり冷めているけど、ただの水を飲むよりはマシさ。もったいないし。」

あれからいただくと言ってほうったらかしにしたお菓子たち。シュトーレンのことだ。言われた通りにそのままにしてあるだろう。そういえば、シュトーレンは今頃どうしているのか。まだ寝ているのか気になるところ。もし起きていたら余計な気をつかわせてしまうかも知らないから、事が済んだのちに様子を伺おうと決めた。

-そうだね。勿体ない。もう二度と彼の作ったものは食べられないのだからよく噛み締めるといい。-

ああ、そうだ。と答えそうになってすぐに気づいた。明らかにおかしなことを言っていると。

「どういう意味だ?」

まだシフォンは事の重大さをわかっていなかった。ジョーカーは少しも躊躇わなかった。

-シュトーレンはこの世界から消えた。-

残酷な事実を、たいした秘密でもないように、全く普通のたわいない会話みたいに平然と口から放つ。当然、すぐに受け入れられるわけがない。だってそうだ、ついさっきまでそばにいるのが当たり前だった存在が自分のいる世界から突如消えてなくなったと言われたのだ。信じろという方が無茶だ。

「は・・・?なんだよ、それ。」

目の前で超常現象でも起こって脳が理解の範疇を超えたときに見えるような茫然とした顔で、話しかけられているにも関わらず話し相手のいない部屋で突っ立っている。でも立ち姿は頼りなく、後ろから突いただけでふらっと倒れそう。ジョーカーは続けた。きっと次には彼が行動を起こすはずだと、おもしろおかしくもありながら。けれども声は低く、重かった。

-私がいらないと判断したからだ。-

シフォンは慌ててありとあらゆる部屋を片っ端から

見てまわった。しかしどこにもいない。ここは彼の家なのに、どこにもいなかった。

-安心したまえ。何も彼自身が消えたわけではない。別の存在として生かし、今頃違う世界でよろしくやってるよ。-

最後訪れた部屋。切らした息をこみ上げて来そうな昂りと一緒に落ち着かせようと大袈裟な呼吸を繰り返す。でもできない。この状況を前に落ち着いてなんかいられない。

「君に何を言ったってこたえやしないから言わないが、余計なお世話だ・・・。」

俯いて強く拳を握る。

-本当にそうかな?-

「・・・ッ!!」

心の奥底で抱えていながら必死に否定していた脆い部分をいともたやすく突かれた。

-アイツを心から怖いと思ったのだろう?僕の手には負えない。可能ならば厄介払いをしたい、そう・・・。-

「違う!!!」

まだいいたそうな彼の言葉を遮った。


-君が気負う必要はない。-

なんて慰めに聞こえるのに、声は淡々としていた。

-君のためを思ってやったわけではない。私がただ、そう思ってやっただけだ。彼はこの世界に相応しくない、とね。それじゃあ。-

彼が別れを切り出してから数分待つ。だけど無言がひたすら続くのでジョーカーは本当に会話を打ち切り、自分の持ち場に戻ったのだと判断した。

「・・・・・・。」

シフォンは誰もいない真夜中のお茶会へ向かった。


一歩ずつ、力無い足取りでいつもの特等席。見下ろすとテーブル、特に自分のお決まりの場所には沢山のお菓子。帰りが遅くなってもいいように、冷めても食べられるようなものが多かった。その中の一つ、市松模様のクッキーを手に取る。

「・・・。」

無表情で、無言で吟味した。最近はアレンジを加えたオリジナリティのあるものを作れるようになったシュトーレンだが、今回はとてもシンプルなごくごく普通なものだった。次はやはり紅茶。元より水分を欲していたのが更に欲しくなった。冷たいのは気にしない。普段は煩くいうものの本当のところ特にこだわりなどなかった。喉の渇きを潤すためとはいえ、一気に飲み干すのもまた惜しい気がしたのでまずは一口。

「・・・これは。」

ここでは飲んだことのない味だが、知っている。前の事だ。シュトーレンに会いにきたティノともう一人の客人へ出すための紅茶の淹れ方を書いたメモを彼に見せたのだ。だが、つい癖で読めない文字で書いた上に慣れてない単語ばかりを羅列してしまったために結果シュトーレンはとんでもない物を淹れてしまった。その紅茶は特別な客に出すために自分が考えたものだった。


今シフォンが飲んでいるのは、完成された「それ」だった。


シュトーレンが何故「それ」をここに用意したのかはわからない。永遠にわからない。だって、特別なものだとは教えていない。しかし、一度は失敗したものをどんな気持ちで完成させようとして、どんな気持ちで淹れたんだろう。わからない。わからないけど、考えるだけなら出来る。頭に浮かぶ彼の顔。都合のいい記憶なんかではない。シュトーレンは、いつだって「誰かのために良かれと思って何かする」奴だった。

「お前は・・・本当に・・・。」

もう一口。手は震えていた。もう一口・・・は、無理だった。ティーカップを置いて、テーブルの足にしがみつくようにして膝を折り、うずくまる。こらえるつもりもない涙が止めどなく頬を伝って落ちる。芝生の地面では跡すらも残らないで。

「・・・う、ごめん・・・。」

嗚咽で身を震わせながら、声を押し殺しながら泣いている。なんとも小さな背中を、家の玄関からたまたま起きたフランネルがじっと見つめていた。

「・・・・・・。」

だがフランネルはすぐに戻った。今は誰の目も気にしないで、気の済むまで泣けばいい。自分の出番はこれからだと。襲いくる眠気を耐えて壁越しで見守っていた。誰もいない真夜中のお茶会。この光景はおそらく、これが最初で最後だろう。







――………―――――


最果ての空間。金髪碧眼の少女に見える少年、ジョーカーと、黒髪のメイド服を着た少女がいた。

「なんと残酷なことをするものですわ。」

呆れ顔で肩を竦める少女にジョーカーはなんの悪びれもない様子で机の上にあるクッキーをつまんでいた。

「何を言う。だいたいだ、数多の世界を管理する者として一つ一つの個体に情を抱いていられないし、してはならない。」

「帽子屋さんには随分ご執心されているように思えてならないのですけど。」

しばらくして返ってきた言葉は辛辣にも聞こえた。

「・・・単なる興味だ。」

少女はそれ以上何も答えなかった。彼の考えていることは理解しようとしてもできた試しがない。きっと今いっているのが本心だと思うよりほかないのだ。

「まあ、あれだ。埋め合わせだけはきちんとしよう。三月兎・・・サボらずに選りすぐりのを見つけてくるとするか。ルージュ、紅茶のおかわりを。」

「赤」の名を持つ黒髪の少女が一礼をして本棚の間の道の中へ消えていった。


「いやはや。運命に、世界に翻弄される姿を見るのは大変面白い。しかも自分の創り出した世界に振り回されるなんて久々に見た。さあ、もっと私を愉しませておくれ。」


人でなしの神もどきは不気味に笑った。



―END

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