5.5



広い広い、芝生が敷き詰められた心地よい庭で少年少女がかけまわっていた。少年はクレヴァー、少女はアリス。二人は幼なじみだった。

「あははは、転んでやんの!」

二人は夢中で、ここらへんでは滅多にお目にかからない青い蝶を追いかけ回していた。クレヴァーは虫取り網。突然現れた珍しいお客様にアリスは出迎えるものを用意しておらず、しかし追いかけずにはいられず。彼女が追い込んでクレヴァーが捕まえる、そういう作戦のはずが、中々宙を自由自在に飛び回る生き物を地から離れることができない者を捕まえられるはずもなく。楽しい笑い声だけが響く。


「あら?」

アリスの動きがピタリと止まり、呆然と立ち尽くす。目の先には、赤いチョッキを着て人の言葉を喋りながら走る変な白兎。蝶は何処かへ飛んで行った。しかし、少女はちがうものにすでに釘付けだ。

「見て!クレヴァー!しゃべるウサギよ!」

「ちょうちょは・・・。」

「そんなものどうだっていいでしょ!あっちのほうが珍しいわ!」

躊躇いもなく追いかける。ウサギは慌てて逃げる。クレヴァーも彼女に負けじと好奇心旺盛だった。一緒になって追いかけてもおかしくない、普段なら。ただ、なぜだろう。ただのウサギ。野良犬と違って襲ってこない、かよわくてなんともない生き物なのに・・・いや、ちがう。アリスが行ってしまうのがとてつもなく怖かったのだ。なんでかわからないけど、このままだとずっと遠くまで行ってしまいそうな予感がクレヴァーの足を、恐怖を駆り立てたのだ。

「待って!アリス・・・!」

追いかけても追いかけても縮まらない距離。呼んでも止まらないアリス。そして・・・。

「きゃっ・・・。」

少女は落ちた。突然現れた真っ黒で大きな穴にアリスは吸い込まれるように落ちていく。

「アリス!!!!!」

手を伸ばしても届かない。もう落ちてしまった彼女の姿も見えない。穴のそばにたどりつく。悲鳴も聞こえない。暗い暗い底のない穴の中を今も落ちているのだろうか、それとも。自分一人じゃどうにもできない、事は一刻をあらそう。すると、いつのまにが背後にはずらりと人がクレヴァーを囲んでいた。異様な光景だが構わない。誰でもいい、彼女を助けてほしい。

「アリスが穴に落ちたんです!誰か助けてください!オレも手伝います!!」


「アリスって誰?」

聞こえたのは、とても冷ややかな声。しかもそれを発したのは、アリスの母親なのだ。

「え・・・。」

一瞬、思考が止まった。いや、こうしている間も彼女は危ない状態にさらされているのだ。

「何をいってるんですか!?いいから早く!」

「アリス?聞いた事ないわ、お友達?」

「知らないなぁ。君はここで一人で遊んでたじゃないか。」

みんなが口々と、まるで「アリスがいなかったみたいに話すのだ」。おかしい、こんなはずはない。血の気が引く。広がるのは、どうしょうもない人の分厚い檻のよう。

「嘘だ・・・アリスは、アリスは・・・。」


「アリスはいない。」

「アリスは存在しない。」

「アリスいなかった。」

「君は夢を見ている。」


じりじり、人の壁が押し寄せる。影を帯びた無表情で。怖い。助けを求めただけなのに。今度はこっちが助けを呼びたくなる。この現実が夢であってほしいと切に願って。一歩、二歩と後退りして・・・。

「うわっ!!」

後ろには道ではなく穴しかなく、自分の体も真っ逆さま。穴が小さくなっていき、暗い闇の中をひたすら落ち続ける。

「うわあああああっ!!」

もうずいぶん長い距離を落ちてきただろう。確実に助かる見込みはない。手を伸ばす、意味がないとわかっていても。

「クレヴァー・・・。」

どこからか声がした。でも落ちているからわかるわけもなく、それどころじゃない。でも、確かに声はした。その声の主こそ、まさにアリス。

「アリス!?どこ!!?」

かろうじて尋ねるとしばらくして返ってきた。


「私に会いに来て。」




・・・・・・。



「アリス!!」

「わああっ!!」

クレヴァーは目を開けた。夢だった。森を降りた後の宿屋で爆睡していたのだ。そしてそのそばの椅子にはいきたいよく起き上がった彼に驚かされてもう少しで椅子から落ちそうなシフォンと、呆れ顔のフランネル。

「・・・夢か。」

取り乱した息と鼓動を落ち着かせる。目の前の景色がだんだんと安心させてくれた。

「全く。」

フランネルがぼやく。

「シフォンったら、反応が見たいからってあなたの枕元におもちゃを仕掛けようとしてたのよ。その本人が驚いちゃあざまあないわね。」

はきはきとした口調で。フランネルは機嫌が悪いとこうなることが多いようだ。そして、足元にはリアルな蛇のおもちゃが落ちていた。

「でも、あなたが涙を流しながら寝ていたから一度思いとどまったのよ。」

「嫌な夢でも見ているなら驚いた衝撃で忘れてもらおうとも思ったが、忘れたくない夢かもしれないからな。」

おもちゃを拾って机の中にしまった。部屋にもともとあったものなのか・・・。何のために?

「前者は怪しいけど、後者は本当よ。」

「失礼な。どれも本当だ。」

そのあともしばらく二人で言い合っているのを環境音みたいに聞き流しながら、ぼーっとする。

「夢で、よかったのかな?」

彼の呟きに反応したのはシフォンだ。

「そういや、君。起きたと同時にアリスと叫んだが、どんな夢を見たんだい?」

「・・・あれ?思い出せないや。」

残念。夢のほとんどをわすれてしまった。しかし。


「夢であってほしいって思うぐらい、悲しい夢だったと思う・・・。」

「そうか。」

そう言って頭を撫でてやった。撫でられた方はあまり嬉しくない顔だが。

「頭撫でれるのは嫌。背が縮んじゃいそう。」

「あぁ、すまない。昔からの癖でね。そんなことで縮むというなら隙を見て撫でてやろう。」

げんなりした顔でクレヴァーはベッドから出て丁寧にシーツを伸ばした。さあ、旅の再開だ。


アリスに会いにいくために。

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