5

―――――――…


一方、ハートの女王の城は兵士総出でクロケー大会の準備に追われていた。


「そこ!さっきから口しか動いておらぬぞ!!のろまめ、首をはねてしまえ!」

城の広大な敷地にはそれはもう沢山のスペースがある。城から城門までがその敷地内であり、城外にだって一見なんのためにあるのかわからない更地が存在する。そしてその更地は茂みの壁に囲まれ、円形でだだっぴろく、そこで兵士達があちらこちらでしゃがみ大きな石を拾ったり逃げ回るハリネズミを追いかけ捕まえたりしていた。

「貴様・・・妾は見たぞ、ハリネズミを逃がそうとしたのを。首をはねよ!」

「ひいぃ・・・ッ!!」

実際人が不足なわけではない。少しのドジで処刑されてしまうのだから仕方なく人手不足に陥るわけで。今も女王であるローズマリーの下された命令で一人の兵士が他の兵士に中へ無理矢理連れていかれる。この地に足を踏み入れることは二度とない。

「女王陛下!ただいま戻りました!」

茂みをかき分けてローズマリーの前に現れたのは城の重臣を務めるピーターだった。すぐに彼女の前に方膝を立てて跪く。

「遅い!妾は気が長い方ではないのだぞ!」

ローズマリーが怒鳴りたてると耳が下がる。下を俯いた顔も半ば泣きそうなのをなんとか堪えているようだ。

「申し訳ありません、陛下。しかし、このピーター、た、大変な失敗をしてしまいました・・・。」

しまいに耳と声が震えていた。彼が何を恐れているかローズマリーはとうに汲み取っている。

「話すがよい。」

「あの、その・・・今回のアリスは、お、男の子なんです!」

訴えかけるようなピーターに対しローズマリーがついさっきの鋭い眼光はなくなりきょとんとして見下ろす。

「は、はあ?」

珍しい素っ頓狂な声に数人の兵士が彼女を不思議そうに見上げる。ピーターは顔を上げ手を忙しく振ってその動きとは全く関係ない説明をした。

「私のプランでは女の子を誘いにかけたはずなのですが、振り向いたら男の子というか全く別人に!」

さすがに処刑を覚悟したが、少し間を置いてからローズマリーは見る者によっては恐怖感を植え付ける、何か悪巧みを思い付いたみたいな笑顔を浮かべた。

「新しい。これは会うのが楽しみじゃ!」

ピーターは「え!?」や「はい!?」などと身振りしながら混乱している。ローズマリーはついにメガホンを口にあてた。

「いいかぁよく聞け!!!これから三秒以上手を止めた奴は皆処刑じゃ!!一刻も早く準備せよ!!!」

兵士達の顔色が冷めた。


―――――…


場所は変わって「禁忌の森」。

森に決まった名称はない。ただその場所の特徴にこじつけた呼び名を勝手につけられているだけだ。ここだってそうだ。足を踏み入れ見渡せばただの森となんらかわらない。しかし、その呼び名の由来は森そのものではなく、森にある「とある物」が原因なのだという・・・。


「腹へったなあー。」

長い木に背中をもたれかけてぼーっと空を眺めているクレヴァーがぼやいた。隣ではシュトーレンが無表情でまっすぐ突っ立っている。二人はお菓子の材料に使う果物を探しに行ったはずが、違う場所を訪れてしまった。

「なあ、三月。お前も腹へってないか?」

三月とはシュトーレンのことである。三月兎だからそのままだ。

「お腹すいてる。」

そりゃあそうだとクレヴァーは頷いた。あれから会話中時々お茶会のためのお菓子などを運んだりして自分はほとんど口にしてないのだから。

「あーあ、目の前の木がリンゴの木だったらよかったのにな~!」

やけくそなクレヴァーにシュトーレンが反応した。

「リンゴ?お前もリンゴ好きなのか?」

その声の明るさにクレヴァーは全く気づかない。

「好きというより一番ベタだろ?リンゴのなる木とか金のなる木とか。」

最後の冗談ばかりは素で通じなかったらしく黙って首を傾げられた。

「こんなヘンテコな国ならあれもあったりして。」

「あれ?」

シュトーレンが興味の色を示す。

「あれあれ。毒リンゴ。白雪姫に出てくるあれ。考えてみろよ。毒キノコなんてあるんだぜ?なら果物にだって・・・三月?」

話すのに夢中で相手の反応を伺ってなかった。耳は驚きを表したいのか真っ直ぐに立っている。

「毒・・・リンゴに毒!?」

半ば冗談だったのだがクレヴァーにも悪戯心が沸いてしまったようだ。

「中にはお前が作ってきたお菓子の中に入ってるかもよ?毒リン・・・ゴッ!?」

ノリノリで煽ってるクレヴァーの頭に赤い物体が落下した。大きさの割にはかなり鈍い音も鳴る。物体が落ちた後に続いてクレヴァーは気絶し、その場に倒れた。あまりの一瞬の出来事にシュトーレンは口をあんぐり開けたまま固まっている。

「・・・お、おい。頭大丈夫か?」

聞いたら明らかにばかにした言い方だが、倒れてる人のそばで心配そうに体を揺すってあげてる人物が言うなら深刻な状況だと察していただきたい。

「寝てるのか?お前ほんとは眠たかったんだな。」

すぐに自己完結した。シュトーレンはまだ誰かが気絶したところに立ち会ったことがないため急に眠りに落ちたと考えたのだ。呻いたりさえしてくれたらさすがに慌てるだろうに。

「おやすみ。ん?リンゴ?」

真っ赤な物体はまさしくリンゴだった。色よし艶よし香りよしの高く売れそうなリンゴだ。中身も熟れてるに違いない。人を気絶させるには軽い気もするが。すやすやお眠りのクレヴァーの横に転がっていたリンゴを拾う。目の前の木は青々とした葉が風に揺れてるだけだった。どこから落ちたのだろう。

「おーい、起きろ。リンゴだぞリンゴ。起きないと食っちゃうぞ。いいのか?」

つま先でつついても反応は何一つない。

「じゃあ食べるぞ?いただきまー・・・。」

それでは遠慮無くいただこうとしたのをなぜか思いとどまる。脳裏に毒リンゴの話が蘇ったのだ。

「待てよ?もしかしてこれがいわゆる毒リンゴかもしれねーじゃねェか!!でも普通のリンゴだったら?あーもう!どっちなんだ!」

不安が彼を焦らせる。毒かどうかなど食べてみなくてはわからない。それが毒でなかったらいいのだが万が一毒だった場合のことを考えたらためらってしまう。

「そうだ、シグルドならわかるかもしれない!」

とうとう他人をあてにし始めた。だが、シグルドは人の体内を侵す毒に詳しいだけで、他はどうか。そんなこんなで悩んでいるシュトーレンの足元から声がしたのだった。見下ろしたらそこには緑色のヘビがいた。

「禁忌の森だと言われる所以さ。禁断の果実をさあ召し上がれ。」

抑揚とリズムよく、歌いかけてきたのだ。

「お前しゃべれるのか!?」

今まで人の言葉を話した動物には遭遇したことがなかったのでたいそう驚いたことか。一方ヘビはそれについては何にも答えてくれないので話題を変えた。

「こいつに毒があるかわかるか?」

「毒などないないあるのは味のみ。残念それを全然知らない。」

今度は木の枝から蜘蛛がぶら下がってきて話しかける。小さい図体の割に声は大きい。

「知らない?・・・うん。知らない。」

今まで食べてきたもの全てに使ってた「美味しい」は全て嘘だったのだ。実は、シュトーレンには味覚がなかったのだ。


「一口食べたらものすごく甘い。」

手の周りを蜂が飛んでいる。刺す気はないらしい。

「二口食べたらものすごく苦い。」

蜘蛛が歌い。

「三口食べたらものすごく酸っぱい。」

ヘビが歌い。

「四口食べたらそりゃしょっぱい。もひとつ食べたら 元通りの味。」

最後は全員が声を揃えて合唱した。残念ながらシュトーレンは小さい生き物の合唱に乗る気分ではなさった。

「えっと、よくわかんないけど毒はないみたいだし、もう食べてもいいだろ。」

溜め息ついて赤く光る真っ赤な禁断の果実に歯を立てる。



「!?」

一口リンゴを齧った彼はびっくりしてリンゴを落としてしまった。

「な、なにこれ・・・なん・・・甘い?これが?」

自分でもなにがなんだかさっぱりで、ただただ咥内に広がるそれに混乱した。シュトーレンは味覚を感じることができなかった。味覚は嗅覚と繋がっており、鼻を塞いで物を口にしても具体的に味がわからないのは所謂そういうことだが、彼の場合嗅覚がいくら作用しても味覚に繋がらないのだ。理解されないだろうが、本人ですら説明のしようがないのだかさ仕方ない。今までのお茶会でも自分が薄々周りと違うのは気づいていた。だからいつだって「おいしい」か「まずい」の二言を使い分け、いつからかシュトーレンは嘘をつくことを覚えていた。そう言っておけばなんとかなると、信じていた。


だが、その必要はもうない。


「あっ!落としちまった。どうすんだコレ。」

剥き出しの果実は土や葉にまみれ、さすがに食欲が失せる。でも実際落ちた物を食べて腹を壊したことはないし、見た目さえ我慢すれば。

「誰も見てないし、別にいいよな。」

そう言ってリンゴを拾おうと手を伸ばした。人工的な甘い香りが漂ってくる。近寄るにつれて嗅覚が支配されそうなほどだった。一緒に強い足踏み、そして。

「まーあ、坊や!どうしたの?大丈夫!?」

やたら甲高い声でクレヴァーの元へ駆け寄り体を強めに揺さぶるのは、還暦はいってるだろう一人の女性だ。全体的にやや豊満で、毛皮のファーや派手な服、ごつい革のカバンにと見た感じは裕福な家にすむマダムといったところ。これまた化粧も濃いが所々の小皺が年齢を隠せてない。

「ちょっと、そこのあなた!ぼーっと突っ立ってないで早く医者を・・・。」

指名されたシュトーレンは不思議そうに見下ろす。

「なに言ってんだおばさん。そいつ、寝てるだけだぜ。」

もちろん、寝てはないが。分かりがいいのか単純なのか「おばさん。」の余計な一言に多少眉を上げるも落ち着きを取り戻し、今度は本来の性格なんだろう、腰を上げれば上品かつゆっくりと喋りだした。

「あらやだわ、私の早とちりだったみたい。ほほほ、失礼しちゃったわ。」

笑い声を交えながら優雅に取り繕う。シュトーレンは彼女が何がおかしいのか理解できなかった。

「なあ、この甘い匂いはおばさんの臭いなのか?」

「・・・。」

笑顔がひきつる。しかし気づかない!

「・・・そうよ、今日の気分にあった香水をつけてきたの。娘がくれたのよ、いいでしょ~。あとそれから、そのおばさんというのは・・・。」

自慢げに話されても娘、知らない単語ばかりで興味もない。それとさりげなくおばさんを撤回させようと試みた。

「おばさんというのはお前のことだろ?」

ここまできたら一般的には逆上する所。さすがの女性も堪忍袋の緒が切れてしまった。

「さっきから聞いてればおばさんおばさん・・・!しかもお前だとか、それが初対面の人に対する態度ですか!?」

言ってることは正論な説教。ただ、そこんところの常識をまず知らなかった!

「いや、だっておばさんはおばさん・・・。」

「まああああぁあ!!!!」

全く懲りないシュトーレンに女性は震え上がった。そんな滑稽な様を真顔で見つめていたシュトーレンは違うことが気になって仕方なかった。


「この匂いは・・・。」

あまりにも覚束ないような声で呟くものだから誰の耳にも届かないだろう。現に、女性は険しい顔でこちらに歩み寄ってきた。

「いい加減にその減らず口どうにかならないの・・・!」

口うるさく迫る彼女との距離は目と鼻の先ほどで。しかしながらそれ以上言葉を続けることは出来なかった。


腹に、深々と刺さった銀色の小さなナイフ。刃を伝って滴るのは果実に劣らぬ赤色。刃を抜けば止めに左胸を深々と刺した。




―――――・・・。

「シフォンのケチ、クズ、詐欺師。」

罵倒が背中に刺さる。例の無表情で刺のある言葉を吐く様を見たくはないのでシフォンは決して振り返らない。フランネルは帰りにおぶってくれないからと駄々をこねていたのだが無視をきめられ文句を垂れているのだ。フランネルにしては珍しい気もするがシフォンが怒らないのもまた珍しい。なぜならここにくるまで相当の体力を消耗したため、そこまでに至る気力がなかったからである。

「おぶってくれる約束じゃなかったの?嘘つき。ロリコン。」

ここだけの話、体力ではフランネルの方が上である。だって息の一つも上がっていないのに。

「お詫びとしてシュトーレンになにか作らせよう。」

「詫びる気持ちがあるなら貴方が作るべきでしょう。」

すかさず返ってきた。葉っぱが敷き詰める地面を歩きながら、シフォンは難しい顔でふてぶてしく言った。

「わかった、じゃあ僕がご馳走するよ。何がいい?」

「街のケーキ屋さんにあるイチゴティラミス。」

「・・・。」

地味に心にまで刺さった。結局お前の作ったものより買ったものの方がいいという。シフォンに言い返す言葉はない。

「・・・ん?」

フランネルが微かに鼻を動かす。

「どうしたんだい?」

声にとげがなくなったのでようやくシフォンは振り返った。そしたらやけに真剣な顔なのだ。

「気のせいかしら。とても、血生臭い。」

シフォンが訝しげに首をかしげる。

「鉄に似た臭いがしなくもないが。いずれにせよ進んだらわかるだろう。」

その臭いは自分達が向かう方向から漂ってくるのはわかった。だが、それは同時に二人を最悪の予感を想像させた。向かう先は禁忌の森。向かわせたシュトーレン達がえらく遅いので迎えに行ったが、たまたま通りかかった人に教えてもらったからここにくることができた。それほど、禁忌の森は誰も近付きたくないのだ。

「何かあったのかも・・・。」

フランネルの不安を煽り立てる言葉にシフォンの表情は少し焦りが見られた。まだ確信は持てないのでなんとか平常心を保てているだけのこと。

「とりあえず進むぞ。」

足は自然に速くなる。心拍数と共に。


そりゃあ何もないに越したことはない。


救いを求めながら仲間の元へ。


しかし、この森は罪深い者に罰に近い残酷な運命しか与えない。なぜかは知らないが、そういう場所。


ほら、段々現実も近づいてくる。



シフォンは足を止めた。後から遅れてフランネルも立ち止まる。案の定、そこにはシュトーレンとクレヴァーがちゃんと居た。見た限り二人には心配したようなことは何もなかった。クレヴァーは仰向けに倒れてるがよく目を凝らせばたんこぶがある。おおよそ頭になにかしらの衝撃を受けて気絶したというところだろう。シュトーレンはただこっちに背を向け突っ立っていた。なんらおかしいことはない。


そう、彼等二人には何もない。


シュトーレンの足元に転がってるのは真っ赤な食べかけのリンゴと、真っ赤に染まった「とても見るに堪えないモノ」が横たわっていた。はみ出して見えるモノはおおよそ、人だったのかもしれない。シフォンはまだ信じていた。彼がしたわけじゃない。たまたまそこにあっただけ。彼はそこを通りがかっただけだ。気配に気づいたシュトーレンが振り向く。不覚にも見慣れた人物に警戒をしたシフォンとフランネルは顔を強張らせた。

「・・・あ?おかえり。」

相も変わらず素っ気ない態度。だがそれもいつも通り。だが、その顔には雑に拭い引きずったように血が付いていた。

「シュトーレン、「そいつ」はなんだ?」

この上なく鼓動が速まるのを感じる。シュトーレンはシフォンが震える指で差した「そいつ」を一瞥した。

「これ?あー、これ?こいつは歩くお菓子なんだ!!」

両手を広げそう主張した顔の嬉しそうなことか。その時、シフォンは脳が見えない力に四方から圧されているような感覚に苦しくなる。ふと、広げた両手の右手の中のナイフに目を向けてしまった。

「なんでそんなものを握っている?貴様も・・・なぜ血塗れなんだ!!」

「そんなもの」にはすぐに察しがついた。

「そんなものって言うなよ。役に立ったんだぞ。」

悪びれもせずナイフを見せびらかす。答えになってない答えに「答え」だけを求めていたシフォンはついにいきり立った。

「ふざけるのも大概にしろッ!!」

詰め寄ろうとするシフォンをフランネルが腕を掴んで止める。

「離せフラン!こいつは・・・!!」

「貴方はそのナイフで何をしたの?その人は貴方に対して何かしたの?」

不適なぐらい至って冷静なフランネルは彼の答えやすい問いかたで訊ねた。

「こいつはなにもしないぜ。気絶した「アリス」や俺に話しかけたりしたんだけど。」

だけど?

「でもほら、こいつさ、お菓子みたいなにおいがしたからさ。」

勿論。お菓子なわけがない。フランネルもとうとう救いがなくなった。諦めの顔をしている。

「こういう時は普通フォークなんだよな。それより聞いてくれよシフォン!フラン!俺さ、初めておいしい以外がわかったんだぜ!」

今度は耳も真っ直ぐに立った。本当に、子供みたいな無邪気な笑顔だ。

「でもまだ甘いってしかわかんないからかもしれないな。こいつ甘い臭いがするだけであとはなーんにも・・・。」

確信した。想像しえなかった。最悪の予感を遥かに超えてしまった。

「・・・わかった。何が起きたのかも。しかし、これ程とは思ってもなかった・・・。」

シフォンはやや顔を青くして手で口元を押さえてる。このような光景をずっと見ていたせいで気分を悪くしたのだ。なんとか、唾を飲み込んで逆流しそうなのを塞き止めた。そして鍔の奥から睨んだ。

「シフォン?どうした?」

まだことを深刻だと分かってないのはシュトーレンだけだった。

「君の常軌を逸した行動は無知故に、過ちを犯してもその都度教えていけば学んでくれる、そう思っていた。」

声もやや震えている。感情は抑えようにも出来なかった。ついにシフォンは声を荒げ吐き捨てるが如く彼に言葉をぶつけた。


「・・・まさか、貴様がここまで××××だったとはな!!」

「シフォン!!!」

間髪入れずに、フランネルが剣幕な顔でシフォンを制止した。もう遅い。。


「××××って・・・なんだ?」


シュトーレンにはシフォンが言い放った単語の意味すらわからないシフォンは彼の隣を通りすぎ、微動だにしないクレヴァーの腕を引っ張りあげ自分の首の後ろに回し体を起こした。疲弊のあまり、もたついているのも見かねて同じく片方を支えた。

「シュトーレン、最後の命令だ。クレヴァーの荷物を持って家に帰れ。」

「疲れてそうじゃん。俺が運ぶから・・・。」

シュトーレンはまだ綺麗な方の手を伸ばした。

「汚い手で触れるなッ!!」

それをシフォンは強くはたいた。まるで汚物を見下すような、まだ収まりきらない憤怒を宿した双眸にさすがのシュトーレンも身が竦んでしまった。

「ついてくるな!!二度と僕の前に姿を現すんじゃない!」

袖を伸ばしている最中にまたもやシフォンがぴしゃりと彼の行動を止めさせ、背中を向けたどたどしそうに森の奥へと進んだ。

「待てよ!それって・・・!」

フランネルは一度シュトーレンの方を振り返ったが、何も言わずシフォンの後に続いて行った。



――――――・・・



「いらっしゃいませ~。三名様ですね~。お泊まりではない・・・と、かしこまりました~。お部屋に案内します~。」

森を抜けた一行は途中にある小さな宿屋で一休みすることにした。新人だろうか、十代後半ぐらいに見える少年がカウンターで受付をしていたが途中で預かったお金を地面にぶちまけたり名簿の紙を無くしたり数分間のうちにかなりのドジをかましていた。それに加えシフォンがわざと舌打ちしたり溜め息吐いたりするものだから相当パニックに陥りドジに輪をかけて今度はタオルをぶちまけシフォンにかえってきたりもした。

「散々だ・・・。」

部屋の雰囲気には合わない皮のソファーに腰を据えたシフォンが不服そうにぼやく。一方その側にあるベッドに丸くなり寝ているフランネルと、隣でクレヴァーがあぐらを組んではシフォンを指差し笑い飛ばしていた。乾いたばかりのあったかいシーツがよほど気持ちいいのかいくら子供がはしゃいでも起きない。

「あははは、しかもそのタオル一つ濡れてたしな!」

シフォンの前髪が濡れているのが証拠だ。

「水も滴るいい男だからね、僕は。それはそうと、頭の方はどうなんだ?まだ痛いか?」

冗談を交えつつ様子をうかがった。

「だーいじょうぶ!」

笑顔で親指を立てるあたり、何一つ問題はないようだ。

「そうか。」

心配事が一つ減ったがまだ気分が冴えないシフォンは下を俯き素で溜め息をついた。

「そういや三月は?」

クレヴァーはあの時から何があったのかさっぱり知らない。気付いたら見たことのない所にいたが、一番近くにいた「三月兎」の姿がどこにも見当たらないのだ。

「あいつは、多分お家に帰っただろう。」

「なんで帰ったんだ?どうしてあんなに行きたそうにしてたのに?」

子供は侮れない。どう返せば彼を黙らせられるのか、そんな堅い大人みたいな思考をしていた。

「・・・まーいっか。」

と、クレヴァーから興味を示さなくなったみたいで体をベッドの上に投げた。

「オレが捕まえたいのは白兎だからな。」

仰向けになり天井を見つめながら呟いた。シフォンは違う兎の事で頭がいっぱいになった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る