6
15:00
「レディーエーンジェントルメーン!!!」
金髪の少年がメガホンで張り叫ぶ。円となって茂みの壁に囲まれた地面は随分と均され、石ころひとつなく、少し大きめのトランプが三枚、アーチを作っていた。
「クロケーってなにをするんだ?」
金髪の少年が長々と口上を垂れている間、シフォンが説明してくれた。
「二人一組で二組。木槌で球を打ち、六つの門を通していきながら最終的に杭に当てる。早く当てた方が勝ちだ・・・そうだったかな?」
フランネルは頷いた。いびきをかいて。
「だってさ。」
「いや、居眠りしてるだけだと思う・・・。で、それに誘われたって事はオレとシフォンさんが参加するの?」
「そのとーり!!」
背後から快活な知らぬ声がいきなり聞こえたものだから全身飛び上がるほどびっくりした。シフォンは舌打ちしたあと振り向かない。フランネルは寝ている。
「誰!?いつからいたんだ!!?」
銀髪を束ねた中世的な青年は穏やかに微笑み返す。
「はじめまして、君ならご存知ハートのジャックと申す者です。俺はいつからでも、どこからでも現れますので。」
その笑顔になぜか得体の知れない不気味さを感じた。
「おや?三月兎が見当たりませんね?」
「留守番さ。ゲーム終わってくたびれ疲れて帰った僕にご馳走を用意してと頼んだんだ。」
聞いた割に反応は薄く、興味がなさそうだ。
「ジャックさん。オレたちの相手はもう決まってるんですか?」
「ええ、貴方達と戦ってもらうのは女王陛下とハートの三番のペアでございます。間も無く会場に到着されますよ。」
嫌なほど恭しく、一礼したあと長い袖から覗く機械質な手で差したのは会場の数ある出入り口の中で一番大きく、バラのアーチで飾られてある。遠くから、たくさんの兵士が列を作ってこちらに来る。
「お前は?参加するんだろう?」
「いえ、今回は見物です。強いて言えばあなた方の監視、です。」
一体なにを監視されているんだろう。クレヴァーは疑問に思うばかり。シフォンもだが、彼は随分居心地が悪かった。
「にしても、面白くない天気ですねぇ。」
帽子の唾を持ち上げて眺める空は曇り空。今にも雨が降りそうな、暗く重たそうな雲で覆われている。
「何か良くないことでも起こりそうな天気です。」
顔から笑みが消えている。よくないことといえば想像できるのはゲーム中に雨が降るぐらいで・・・いや、大変良くない。
「良くないこと、かぁ。」
確かに、そんな雰囲気を醸し出してはいた。ぼーっと空を眺めていた矢先、今度はラッパの甲高い音色が鳴り渡る。さっきのとは比べ物にならないぐらいの大音量なので耳を指で塞いでるジャック以外はびっくりところの話ではない。
「耳痛い・・・。」
「最悪、目が覚めたわ。」
シフォンとフランネルは耳を押さえる。防ぎようはない。ただ単に耳が痛いだけであった。
「っく~、ラッパだよな。こんなでっかい音だっけ・・・。」
鐘を突かれた時のぐわんぐわんという音が振動となって脳味噌を揺らすような感覚に襲われる。痛みが残る頭を押さえて呻く。ふと顔を上げたらそんな苦しみも吹っ飛んだみたいだが。
「白兎だ!!」
広場の入り口の方、いつやらアーチの周りに兵士が横並び。その中央に豪華なドレスと金の装飾をまとい、王冠を頭に乗せた女性と、クレヴァーをこの国に誤って導いた主であるピーターがラッパを片手に立っていた。最初見たときとは違い、堅苦しい服を着ている。
「白兎!!てめえ逃がさねえぞ!!はっ、離せ!」
大人と子供の力の差は歴然。ジャックに止められた彼は手足をばたつかせることしか出来なかった。
「女王陛下、あちらが今回のアリスでございます・・・。」
若干顔をひきつらせつつピーターは前方へ手を差し出す。
「ん?」
暴れるクレヴァーのそばでシフォンはある違和感に気づいた。ピーターの右頬が、やや赤く腫れているのだ。手形がついている。しかしそんなことをいちいち気にする間もなく、長い重そうなマントを引きずりながらこのお城の主でゲームの主催者でもありながら一国を治める長、ハートの女王がゆっくりと会場の中央まで歩み寄る。圧倒的な威圧感と高貴な雰囲気は目にせずともひしひしと体に感じるほどで、目と目を合わせたらクレヴァーも唾を呑み込んで押し黙ってしまう。冷たい瞳が周りの景色を映すだけ映せば鼻で笑い、招かれた客人を見下ろす。
「お主がアリスか。」
「はっ、はい!貴方はハートの女王ですよね・・・。」
落ち着いていた女王の顔がひきつる。間違ったことを言った覚えはないクレヴァーはぽかんとしている。
「妾より先に妾の名を申すか!貴様!無礼ぞ!今すぐ首をはねてしまえ!!」
クレヴァーの顔から一気に血の気が引いて瞳孔が狭まる。必ずいつかは耳にするだろうと思っていた言葉もまさか自分に向けられたものならたまったものではない。シフォンは庇うように前に出る。
「バカか!先に名前を呼ばれたら大体こうなるってわからないのか!」
「あの、女王陛下・・・!」
さすがのジャックも動揺せざるを得ない。まだなんにも始まってないのに主客が処刑されては、必ず鬱憤としてまたも何人かの兵士が巻き添え処刑を喰らう。長いこと勤めていれば彼女の動向もわかってしまう。全責任者のピーターはもう今にも気を失いそうだ。
「お待ちください!女王様!!」
一瞬にして静まり返り、声の主たるクレヴァーに全員の視線が集まった。
「情状酌量などないぞ!!」
女王にとって彼が今更命乞いをしたところで救いの余地を与えるつもは更々なかった。しかし、クレヴァーは自信に満ちた強い目に彼女を映し、言い放った。
「噂は存じております、まだ若くしながら一国の長を務めその崇高なえっと類い希なる美貌はもはや高嶺に咲く一輪のま、真っ赤なバラのよう!!!」
咄嗟に並べた美辞麗句としては中々なもの、と自画自賛したくなるけど正直自分で自分に引いている。
「・・・・・・。」
効果は意外にも抜群だったようだ。誰も彼も言葉を発することが出来ない。しばらくしてから女王が口を開いた。
「・・・ふん!つまらん巧言を並べおって!そこの三人、なんだその目は今すぐ処刑じゃ!!」
やや顔を赤くしてそっぽを向く様にときめいた者もいれば笑った者も、変な目で見る者も。しかし彼女はそんなことには気づかず、ただの照れ隠しでたった今三人の命が犠牲になった。他の兵士に連れられる兵士の悲鳴の中、クレヴァーは「オレは悪くない」と必死に言い聞かせた。一方、クレヴァーの近くにいた兵士はひそひそと何かを話している。
「見たか?あの女王様の顔。」
「普段誉めなれてないからって…案外女らしいとこもあるんだな。」
すかさず女王はこっちを睨んで。
「聞こえておるぞ!貴様らも処刑じゃ!」
やはり顔を更に赤くしながらそう叫んだ。同じく周りにいた兵士に羽交い締めで連行される。もはやクレヴァーも罪悪感を覚えてきた。
「あーあ、また余計な仕事が増えましたねえ。」
ジャックは不機嫌そうに呟く。
「・・・ごほん!よくぞ来てくれた、アリス。妾が名はローズマリー。この国を統べる女王にして時に今はルールの元に平等なゲームの主催者也。今宵は何もかもを忘れて遊び尽くそう。」
誇らしげな笑顔。なんとまあ喜怒哀楽がころころと変わるもんだ。今のところ怒と楽だけだが。
「あっ・・・!」
するとピーターは慌てて茂みの中へ飛び込んで姿を消した。
「今はこれが先だ。」
衝動的に駆け出しかけたクレヴァーをシフォンが制止する。ジャックもいい加減、その場の空気に合わせて作り笑いを浮かべていた。
「ジャック、この者らに説明したのか?」
彼ではなくシフォンがほとんど説明したようなものだが。
「はっ。しかしながら女王陛下、本当にあれをお使いになられるのですか?」
あくまで丁重に、ジャックは苦言を呈した。
「なにか問題でもあるかな?」
とローズマリーは返す。なにやら意味深な会話だ。
「いえ、別に。」
「女王陛下!お持ちいたしました!!」
茂みの向こうからピーターの声が聞こえた。そこまで厚くもないらしい。次の瞬間、茂みの壁の一部が扉のように開きそこから兵士が薄い木の板を張り合わせた荷車を引いてやってきた。
「すご・・・なんで白兎はあの隠し扉を使わなかったんだ?」
「色々ありまして、彼はいま城のほとんどの仕掛けを使用できないのです。」
クレヴァーのさりげない問いにジャックはさりげなく返した。それよりも、更にとても信じがたい光景を目の当たりにする。なんと、荷車にたんと積まれていたのはどこからどう見ても首、首、生首!しかしそれは目を凝らしてよく見ればただの人形だ。あまりにもリアル味溢れる端整な作り込み具合には人の溢れる町の真ん中や明るさや時間帯や場所選ばずそれを置いただけでホラーな雰囲気を味わせてくれるに違いない。断面図が赤い「わた」ではなく白い綿なので現実味を消し去ってくれた。
「うえぇ・・・キモい・・・。」
口元を手で押さえてひきつっているのはクレヴァー。シフォンも若干引いているが表情には表さなかった。
「あれはなんだね。」
「本物そっくりでしょう。」
ジャックに答える気はないようだ。しかし少し時間をおいてからまともに答えた。
「女王陛下のいらなくなったオモチャといったらよいでしょうか。もとはちゃんと体もあったのですが、そこはまあ、あのお方ならではですねぇ。」
先程は誉められて顔を赤らめていた割にはなかなか彼女らしい趣味である、とシフォンは思った。だが、妙にスッキリしないのはあれをこのゲームだどう使うかがさっぱり見当がつかないからだ。
「まあボールに使うんですが。」
問うまでもなく本人から教えてくれた。
「ボールになんであんなもん使うんだよ。確かハリネずむっ!?」
素早くジャックに後ろから口を塞がれる。何故だろう、手のひらがやけに冷たく固かった。まるで鉄みたいに。
「ピーターがドジしちゃってハリネズミはおろかフラミンゴまでも全部逃がしてしまったんです。その代わりが、アレです。」
とだけ言ったら手を離した。なるほど、だからピーターの方頬が赤いのかお察しがついた。
「続いてはフラミンゴ代わりの・・・腕!」
「腕ぇ!?」
ジャックが荷車の側の兵士に指示を出し、兵士には荷車の生首の山に手を突っ込んで一つの麻袋を取り出した。クレヴァーが思わずすっとぼけた声で聞き返した矢先、その麻袋から落とされたものに絶句した。音を立てて地面に落ちたのはこれもまたリアルにできたたくさんの手首だ。中には足もあり、どれも膝や肘の上あたりから切断されている。
「子供見たら泣くよな・・・。」
クレヴァーが目を細めてそれらを睨む。
「君は泣かないのかい?」
子供だと言っても違和感がない大人がからかっている。
「泣きはしないけど気持ち悪い。」
面倒だったので適当に返した。しかしクレヴァーは誰もが気づいてないと思われる妙におかしい点に疑問を感じとたんに辺りを不思議そうに見渡す。
「なあ、さっきの生首と今の手足のは「同じ人形」なのか?」
「さあ、どうでしょうか。」
クレヴァー曰く、ジャックは「悪い大人の顔」をしていた。
「んっ?」
「つめてっ!」
ほぼ同時にジャックとクレヴァーが拍子抜けた声をあげた。
「今鼻に冷たいものが・・・。」
空はいつしか雨雲とは言いにくい真っ白な雲がまざってう。風もやや冷たさを帯びて独特の匂いを運んでくる。
「いつのまにこんな曇り空だったっけ。」
すると、空から冷たいもの。小さな雨粒が途切れ途切れに降ってくる。この短い時の間にそれは数も増え早さも増していく。本当に急に天気が変わったような。
「おい、雨が降ったら出来ないのではないのかね。どうなんだい、ジャック。」
自身の顔が濡れぬよう帽子を深く被り直したシフォンが訊ねる。
「・・・ふふっ・・・。」
ジャックは一人、笑いを堪えている。
「おい、ジャック?」
すると、我慢の限界と言わんばかりに面白おかしく笑うのだ。
「・・・くっ・・・くくく・・・ははははは、あはっ、ははは・・・これはこれは失敬滑稽。いやはや・・・。」
鍔から覗く細い目は笑っていない。不審に思う一行。痛い視線など気にもとめず。
「こんなこともあるんですねぇ。アリス、貴方は相当物語に嫌われてるみたいだ。」
雨は先ほどより勢いを増した。
――――――…
「まあ、こんなもンだよな・・・たぶん。」
所は三月兎の家の庭、お茶会会場。空は雲がちらほら見えるものの気持ちいい天気である。涼しいそよ風は頬や髪を撫で、家の側の安物の物干し竿にかけられた服が靡かせる。シュトーレンはすっかり寂しくなったテーブルの上を濡れた布巾で身を乗りだしせっせと拭いていた。そう、「あんなこと」があったとはいえ、自分の帰るべき場所はここしかないのだ。彼等にはまた別に帰る場所があるだろう。だからもう二度と、ここを訪れることがなくなったっておかしくはない。だが癖なのだろうか。テーブルの真ん中の席にいくつかの焼き菓子と紅茶を並べていた。
「もう、来ないのかな。」
ふと甦ったつい最近の記憶。シュトーレンは罪の意識が薄かった。皆無ではない。きっと「ごめんなさい」で全てが許されると思っているのだ。
「あいつら今頃どーしてっかな。」
意味なく空を仰ぐさすると、何かに反応したように右耳が真上に立った。
「おっ?」
微かに地面を踏みしめる音が、こっちに近づいてくるのだ。これがおおよそ人間ならば気付かないところだろう。
「やはりここからか!!!」
ここまで声を張り上げられたら誰でも気付く。振り向いたシュトーレンの表情は警戒心はなく、どこか間の抜けたようなものだった。そりゃそうだろう。やっと姿を見せたのは上半身裸で下はジャージの青年がシャベル片手に笑顔でこっちに来るものだから。いや、警戒するところだ、ここは。
「・・・脱ぐか着るかどっちかにしろよ。」
シュトーレンが真顔で呟く。確かに気になる人ならば気になるあまりにも中途半端な格好、それに加え片手のシャベルが更に謎を付加していた。
「服も置いてきたし脱ぐしかないな。」
屈託ない笑顔を見る辺りは不審な者ではないと思われるがいってる言葉は不審を通り越して「危ない」人物だ。でもシュトーレンは純粋で無知だった。
「寒いだろ。」
基準はそこだ。
「燃えるように熱い!」
それもおかしい。
「待ってってばもう!!」
誰だお前は。
「「誰だ!!?」」
突然の第三者の声の乱入にシュトーレンと青年がはっとして振り向く。
「ひいええええぇっ!!」
その第三者は細身の少年で、青年とは違ってブラウスにベスト等ちゃんとした服を身にまとっており頭に被っていたベレー帽でとっさに顔を隠した。
「出てくるのか隠れるのかどっちかにしろよ。」
どこかデジャヴ感漂う呟きをシュトーレンが、一方青年はまたもや愉快そうに笑う。
「はっはっは!!何をお主が恥ずかしおって。」
「恥ずかしいんじゃないよ!!」
むきになって帽子から顔を出せばシュトーレンの方を見て固まった。
「ところでお前らは何者なんだよ。俺はおまえらに用ねーぞ。」
「我もこれといった用はない!!」
さすがのシュトーレンも返事に困った。少年は頭を抱えている。
「すいません。ただの通りすがりですので名乗る程の者ではないです。ほら、行くよ・・・。」
少年は軽く会釈をして忍び足で立ち去ろうとする。通りすがりならば別に関わろうとしても仕方のないことだ。彼は青年に早く立ち退こうと催促する。青年はついていくどころか、ちゃっかり椅子に座っていた。
「我はフィッソン。あやつは、え、エリ・・・エリンだ!美味そうな餌に釣られてやってきた!!」
「うわああああああぁぁぁぁ!!!」
フィッソンはたいそう自信に満ち溢れた顔だがその情報はどこか曖昧で、エリンは悲観の声を上げ大股で詰め寄った。
「あのねぇ!何かってにお邪魔してるわけ!?っていうか毎回君はそうだよね!うろ覚えなぐらいなら言わないでくれる!?あ・・・僕はエヴェリンです、ハイ・・・ていうか釣られてってなんだよ!お見苦しい所をすいません・・・。」
確かに両方見苦しいところだ。エヴェリンと名乗った少年はフィッソンには訴えかけるように、シュトーレンには弱々しくと懇願するように。それがさぞ滑稽に見えたのだろう。
「お前らおもしろいな!!」
それを聞いたエヴェリンがこっちを「何いってんのこの人」と言わんばかりの呆れた顔をしていた。
「こやつ中々食える奴だな。」
フィッソンは満面の笑顔だ。
ここに常識人はいらない。
「食える奴?ここにあるやつは全部食えるぞ!」
楽しいお茶会の前には無礼講。というより、シュトーレンにとってはどちらもだいぶ好印象。暇つぶしにうってつけの相手を見つけて上機嫌。
「暇だったら俺の相手しろ!」
口が悪いのは相変わらずだが今なら愛嬌。それはそれは本当に嬉しそうな顔をするものだから誰も悪い気はしなかった。
「・・・ですってよ、フィッソンさん、ぐふっ!?」
「何を言っておる。旅は道連れぞ。」
ここぞとばかりに隙を見て逃げようとしたエヴェリンはすかさず襟を引っ張られた。こちらは完璧にただの道連れだ。
「うむ、実に美味い。」
渋々流れに流されてエヴェリンと腰を下ろしてそばにあったパウンドケーキをいただいた。
「あ、本当だ。お店に売ってあるのと大差ない。これあなたが作ったんですか?」
当然。シュトーレンは自慢げだ。最近はレシピを見て作るだけでなく自分なりにアレンジして作れるようになった。シフォンがいないと余ってしょうがない紅茶を使用したものである。いつもなら運んだりと忙しいが今は急かす人がおらず、自分も一緒になって食べ始めた。
「そういやお前らは行かないのか?クロケーてやつに。」
話題を持ち出した頃には既に焼き菓子が一欠片分無くなっていた。エヴェリンも渋々適当な席に腰をかけ、フィッソンは困った顔を横に振ってこう言った。
「我は城には行けんのだ。それに、あの雲。おそらく城の方は雨が降っているだろう。雨は幾分好きではない。」
「僕は好きですけどね。あ、でもクロケーや外で遊ぶゲームはできなくなってしまうんじゃあ・・・。」
遥か北の空を眺めれば、真っ白な分厚い雲が部分的に広がっていた。
―――――――…………
「う、嘘だろう・・・?」
ハートの城。今頃はゲームの真っ最中で観客も大勢で賑わいだり早ければもう勝敗がついていてもおかしくない。ゲーム中にどれほどの首が飛び、どれほどの赤色が地を染めようともそれはあくまで「想定内」のことにしか過ぎない。ゲームの内で起こったことにしか過ぎないと。しかし、どんな時に「想定外」の事が起こるかそんなのは誰にもわかるわけがない。例えばゲームに使うはずのものがなくなったとか、突然の大雨もそうだ。こればかりはどうしようもない。
とはいえ、「このような事態」に陥るとは、ゲーム慣れしている帽子屋や眠り鼠もゲームの主催者である女王や側近の白兎も、それ以上に「少し先を見通せる」ジャックですら予想だにしなかった。
「うっぷ・・・ぉえぇ・・・。」
「ひぎゃあああああ!!?」
「あり?勝手に変身解けやがった。・・・ん?うわあああ!!」
あちらこちらでトランプ兵が右往左往している。ある者は跪いて嘔吐して、ある者は突如気を失って倒れ、その場にいる兵士はみな何らかの形でパニックを起こしていた。そもそもなぜか急に兵士の数が増えた。混乱しているのは兵士だけではない。この土砂降りの中わざわざ見物に来た観客が悲鳴を上げ、プレイヤーであり招かれし者はただ呆然と立ち尽くしていた。なんでこうも皆が混乱に陥っているのか。いや、混乱ではない。恐怖しているのか。
ゲームが間もなく始まろうとしていた時に運が悪くも雨が降ったのだ。問題はその雨だ。これはただの雨ではない、通称「真実の雨」。「隠していたもの」をきれいさっぱり流してしまう恐ろしい雨だ。
例えば今みたいに、カードの姿は「偽り」。つまり見せかけの姿は真実の雨を浴びて変身が解け、元の人間の姿に戻ってしまったというわけだ。
それだけではない。
皆を更に混沌に陥れた原因。
「うわあぁっ!?」
プレーヤーであるシフォンは原因である物体を思わず投げ出してしまった。
「・・・なんだこれは!」
地面に転がる物体は確かにゲームに使用する道具代わりの「人形の手足」だった。それが手のひらの中で徐々に姿を変え、感触までも冷たいまま「柔らかく」、最終的に何に「戻った」かといえばそれは「人」の手足だった。見渡してみれば、あちらこちらに生々しい断面をさらけ出したままのそれは経過がそれぞればらばらで死後硬直しているようなものから中途半端に腐敗して爛れているもの、骨と化したものまで様々だ。
フランネルも若干気分悪くなったのか口を覆いながら足元に転がった物を見下ろす。
「不愉快きわまりないわ。」
吐き捨てたのはそれにたいしてはない。地面に向かって言ったようでその言葉ははっきりとジャックには聞こえていた。しかし、彼は取り乱すことはない。
「うわっ、わっ!?」
今度はクレヴァーが驚いたと拍子に足をあげて後ずさる。足元に転がってきたのは細い腕。綺麗な、白い肌。
「ん・・・?」
彼はその腕を拾った。
「アリス・・・いや、クレヴァー。どうした?」
後ろからシフォンの心配そうな声は聞こえているようで良く聞いてなかった。クレヴァーだって、人目見だだけで何かわかるのだから、わざわざ拾い上げて見たいものでもないだろう。ただ・・・。
「・・・アリス。」
呟いたのはクレヴァー。手にしたものはピンクのマニキュアが塗って、親指に絆創膏を貼っている。見覚えがあった腕だ。騒ぎまくってゲームどころではない会場を、雨に打たれながら力の抜けた足取りで進んでいく。あちらこちらに転がる体と首。どれにも目をくれない。
クレヴァーは立ち止まった。少女の生首が光のない虚ろな目で未練がましそうにこちらを見上げていた。後から連れの二人が駆け寄ってくる。だって明らかに様子がおかしいのだもの。
「シフォンさん、フランさん。・・・アリスになるためにこんなことまでされなくちゃいけないの?アリスはアリスじゃないの?」
今までの元気は微塵もない声で後ろにいる二人に話しかける。返事はない。返す言葉がない。
「オレはアリスじゃない。オレはオレだ。それでいいよ。この子だって、アリスなんだ。・・・こんなところで認められないからなんなんだ!」
無意味な叫びも雑踏にかき消される。このとき、シフォンはまだ知らなかった。彼の言うアリスは数多の少女を指しているのではないということを。目の前にいるアリスは自分の知っている少女だということを。間違いない。夢で見た顔だ。その夢は過去の記憶だ。
「全部思い出した。夢かと思ってたけど、思い出したんだよ。アリスって名前の幼なじみ。変な生き物追いかけて穴に落っこちたんだ。そこからの記憶がなくって・・・なんでわすれてたんだろうなぁ。」
この世界で死んだアリスはどういうわけか、元の世界にて存在ごと抹消されてしまう。アリスの親しい人も例外ではない。思い出すなんてあり得ない。ただ、その事実を知っているのは、たいそう驚きの表情をあらわにしたシフォンのみであるが。
「ごめんね。」
彼は足元の生首を抱えた。
「ウサギを見た時、追いかけようって思ったのはホントだけど、行かなきゃいけないって気持ちもあった。」
-私に会いに来て。-
夢で聞いたあの声が蘇る。
あんなの聞いたことないけど、きっと会いにきてほしかったんだろうなぁ。助けてほしかってんだろうなぁ。心の中では後悔の言葉が止まない。
「オレはアリスになるなんてどうでもいい。オレは・・・。」
遥か彼方で歯車の回る音が鳴った気がした。
「アリスに会いにきたんだ。」
次の瞬間、歯車の回る音があちらこちらから一気に鳴り始め次第に狂ったリズムを奏で出した。どこで鳴ってるかもわからない。この空間の外にまた別の空間があるみたいにまるで外からひっきりなしに鳴りやまない不協和音。同時に色んな雑踏が巻き起こる。
―シフォン・・・えるか・・・聞こえ・・・。―
誰かが特定の人物へ声をかけるがその声の主は見る限りどこにもいない。ノイズかかかったようにはっきりとは聞き取れないもののそれはシフォン以外の耳にも漏れていたようだ。
「誰じゃ?」
どこに隠していたか知らない真っ赤な傘を差しながらローズマリーが辺りを疑り深く目を凝らす。声の方向が全く掴めず慌ただしい状況のなかローズマリーの苛立ちは限界に達していた。
「誰じゃ!!出てこぬと首をはねるぞ!!」
金切り声を上げるもまず声の主の姿はここになければはねる首もない。
―急で申し訳ない。しかし、思い出すなど、本来あってはならないことだ。なのでアリスを強制的に帰還させた。いいね?―
「・・・ジョーカー。お前、声がだだ漏れだぞ。」
-え?ほんとに?-
しばらくして・・・。
-あとは頼んだ。-
自分の過ちで生じた面倒事をシフォンに全て押し付けた。あれほど喧しかった歯車の音がピタリと鳴り止む。シフォンは空を仰ぎ力なく呟いた。
「バカだろあいつ・・・。」
「どういうことだ!?」
「消えた?」
今度はピーターもさすがに狼狽える。そうだ、わずかに時が止まったような、皆がそんな感覚にとらわれた。その隙にだろう。どこにも居ない。クレヴァーの姿が見当たらないだ。ほんの一瞬だった。跡形もなく、形跡すらなく、彼のいた場所には少女の生首が転がっているだけ。誰も彼も「アリス」がどこへ消えたかのか目処もつかない。ある一人を除いては。
「・・・おい、帽子屋。」
ローズマリーの声は低く、顔も怒りを露にしていた。
「なんでしょうか女王様。」
シフォンは笑顔で体裁を繕う。
「アリスはどこへやった?」
「恐れながら、ただの帽子屋めが知るわけないです。」
「さっきの声はなんだ?貴様の名前を仰っていたではないかッ!!!」
否定できない。しらを切ったところで、憤懣の彼女は理由もなくだれから構わず死刑に処する、そんな人だ。
「離して!」
振り向くとフランネルが数人の兵士に捕らえられていた。
「眠り鼠はその目で人を催眠にかける能力があると噂で聞いた。念のためだ、目を潰せ。」
「やめろ!!!」
シフォンが即座に声を荒げた。
「知っているのは僕だけだ!彼女は関係ない!」
「・・・・・・。」
神妙な面持ちで対峙するローズマリー。雨よりも冷ややかな視線の先にはもどかしい気持ちを歯を食いしばって堪えるシフォン。しばらくの沈黙の後、彼女の口から出たのは落ち着いた声。
「確かに名前を呼ばれたのは帽子屋のみ。眠り鼠はかえしてやっても良い。」
彼女が手を斜め下に振り下ろすと兵士はすぐにフランネルを解放した。それを確認すると、ローズマリーのさっきまでの無表情がいびつな笑顔で歪む。
「・・・もっとも、こやつからゆっくり話を聞かせてもらうからな。」
今度は体を捻り、入り口の方。城へ向かう道を差して声を張り上げた。
「そこの帽子屋を牢にぶち込め!!」
さきほどよりも機敏な動きで数人の兵士があっという間に取り押さえる。抵抗しても無駄だとわかっているのだろう。シフォンは容易く捕まってしまった。思わず駆け出しそうなフランネルも、無事を約束されたとはいえ拘束された仲間のもとへ向かおうとするのを兵士が止めないわけもなく。
「心配するでない眠り鼠よ。奴を殺しはせん。・・・おそらくな。」
最後の方はわざと小声で言った為、耳がいいフランネルも聞き取れなかった。
「少年だろうが構わん。アリスを逃すわけにはいかんのだ。こんなところで・・・!」
謎の言葉を吐き捨てて会場をあとにした。後ろを慌ててピーターがついていき、シフォンは兵士に囲まれながら連れていかれる。雨が水たまりの模様を作り、跳ね上がった泥で手足と生首は汚れ、何もかも野放しの更地で兵士は道具を片付けようと右往左往。その中、ぐっしょり濡れた服が纏わりついて気分悪そうな顔のジャックが立ち去る女王たちの背中を見送った。
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