3(R-15)
「ふあぁ~・・・ねんむ~い!」
ここ最近、心地よい快晴が続き。しかし、引きこもりのプリムにとっては関係ないどころかあまりにも眩しい陽の光は鬱陶しくてたまったものではなかった。その為、特に用事もない日は基本ずっとカーテンを閉めきった部屋でだらけていた。
「二度寝しちゃおっかなー。でもお腹空いたしなー。」
部屋は真昼というのに薄暗く、ベッドの周りにはクッションやぬいぐるみなど、いかにも「片付けが出来ない女子の部屋」を醸し出していた。できないかただしないだけなのかはさておき、プリムは大きなあくびをしながら足を引きずるようにして冷蔵庫に向かった。
「えー、マジ最悪。」
かわいらしい小さな冷蔵庫にはたいして腹を満たすような物はなかった。
「あんま腹減ってると寝れないなぁ。困ったなー。外出るのも怠いしなー。」
静かに冷蔵庫のドアを閉めて気だるそうな顔でその場でうなだれた。
「・・・そうだ。」
何か閃いたらしいプリムが不適な笑みで顔をあげる。
「こういうときこそのデリバリーじゃんか!」
そう言って一心にそばの黒電話の受話器に手を伸ばしダイヤルを回した。
――――・・・
一方、三月兎の家にて。
「・・・・・・。」
シュトーレンは何故か両方の耳を力一杯下に引っ張って小刻みに体を震わせながら怯えていた。
「な・・・なんだ?・・・今の・・・。」
その数メートル先には、小さな電子レンジがあった。ただ、ボタンを押せば静かに物を温めてくれるのでなにもここまで怖がる事はまずないのだが、電子レンジの中に入れたものに問題があった。シュトーレンが入れたのは、卵だった。
「なんで爆発した?・・・卵・・・だろ?」
そうだ。卵だ。料理の飾り付けに彼はゆで卵を作ろうとしていたが、お湯を沸かし火の番をするのが面倒だった彼は全て自動でやってくれる電化製品を頼ったのだ。説明書はあらかじめ目を通したのだが、シュトーレンはただ単純に「熱を通せればそれでいい」と考えた故に、結果、卵はしばらくして中で大爆発を起こしたのだ。勿論、なぜ卵が爆発したのかは知らない。
「レンジがこ・・・壊れてたのか?卵が実は爆弾だったのか?そもそも、いれたらダメだったのか?」
譫言のように一人呟く。だが納得がいかず、レンジのそばにある説明書を手に取り一心不乱に「取り扱い注意」の項目を探した。
「卵入れたら駄目って書いてねえじゃねーか!!!」
やけくそで説明書が悪いみたいに壁に投げつけ、不条理な扱いを受けた説明書は強く打ち付けらられぱたんと床に落ちた。何も知らないとはいえ、マニュアルに頼り気味の傾向があるシュトーレンの自業自得なのだが。
「もう使えないのかな・・・。こんなの壊したってばれたら説教どころじゃない・・・。」
電子レンジの無事を確認すべくおそるおそる蓋を開けようとした。その時だった。
「ひゃあああああ!!!」
台所の出入り口の所にある電話のベルが鳴った。今や物音に非常に敏感なシュトーレンが素っ頓狂な悲鳴を上げて今度は耳を根本から強く押さえた。
しかしベルは鳴りやまず、かえってそれが彼に状況を理解するまでの時間となった。
「なんだ・・・でんわか・・・。」
かすかに震えた声を落ち着かせ、うるさく急かす電話の受話器を取った。
「はい、もしもし?」
「もしもし。あー・・・えっと。」
どこかで聞いたことのある声だった。なんだか怠そうな少女の声。
「ポテトベーコンピザのSサイズ一枚とスイートコーンとバニラシェイクとそれからー。」
デリバリーで済ませ慣れているのが伺える流暢な頼みっぷりだ。聞いたことのない単語を羅列され混乱したシュトーレンが口を挟む。
「何言ってンだ、お前。」
しばらく沈黙が流れた。だが向こうは気を取り直す素振りも見せない。
「あー!レンちゃんじゃーん。やっばーい間違えちゃったぁ。あはは。」
どうやらプリムはピザ屋と間違えたらしい。
「間違い電話なら切るぞ。」
「ちょっと待ったぁ!!」
ところがプリムに止められる。
「なんだよ。」
めんどくさげに受話器にまた耳を傾ける。
「これって運命だ!だってアンタ料理とか作れるんでしょ?」
期待に目を輝かせているプリムが声だけで安易に想像できた。
「うん、まあ。簡単なやつなら作れっけど。」
「あたし前々からアンタの作る料理もっと食べてみたいなって思ってたの・・・。」
なんと、間違い電話をかけた先が彼だとわかった時点で閃いたのだ。しかもわざと媚びるような甘ったるい声で。その態度が効いたかどうかはさておき、自分の作ったものにそう言ってもらえるとシュトーレンも満更ではないようで。
「わかった。腹のたしになるもの作ってくるから少し待ってて。」
「やったー、ありがと~。」
プリムは満足したように「待ってるからね」と言って電話を切った。腹の中では「してやったわ!」などとほざいているが言葉に出さなきゃ伝わらないのだ。
「これが嬉しいって事なのかな、多分。」
少しの間電話の前で何やら考え事をした。
「待ってるからね・・・か。えへへ、よーし!急いで作らなきゃな!」
さっきの恐怖もなんのその。シュトーレンは嬉々として台所に戻り機敏に調理器具と簡単な食材、そして肝心要の分厚いレシピ本を準備した。
「おい、レンー?」
玄関からシフォンの呼ぶ声がした。
「さっきお前の家から爆発音が聞こえたんだが・・・。」
やはり相当な音だったのかもしれない。大きな声で返す。浮かれて元気いっぱいの声だ。
「なんでもねーよ!!あと、俺もうちょいしたら出掛けるからー!!!」
だが説明不足で逆に心配をさせるはめになる。
「どこへ!何しに行くんだー!!?」
の問いと同時に玄関のドアノブが回る音にシュトーレンは焦った。もし中に入ってこられたらばれてしまう。
「後で言うし今急いでるから入ってくんな!!!」
と言ったきり音沙汰はなくなった。一安心してレシピ本の「ハンバーグ」のページを開いた。
一方、プリムは昼間からシャワーを浴びてきた。ドライヤーからの温風になびく髪をブラシでといてもといてもクセの強い髪の毛はその隙間から跳ねる。
「ふぁ~あ。一体なに作ってるか知らないけどさすがに遅くないかなぁ・・・おっ!?」
彼女の家の電話が鳴った。プリムは慌てることなくだらだらと受話器を取る。
「レンちゃーんまだー?」
「僕だよ!!」
電話をかけてきたのはティノだった。思わず、舌打ちする。
「チッ、お前かよ・・・。なに?なんか用?」
「おもいっきり聞こえてるけど!?いやいや、今から料理教室に行くんだけど余ったらあすそわけしようかなーって。」
いつもの間の抜けた笑顔が受話器越しにイメージ出来た。ティノの場合は大体どうでもいい話でもこうして電話をかけてくるのだから暇なのか、それとも・・・。
「お前は主婦か!モテたいとか言ってた奴がそんな女々しいの習った所で誰も女なんか寄ってこねーよ!」
つい本音までツッコミとして勢いよく口から出てしまうがティノは全くこたえていないどころか楽しんでいる。
「あははは、僕いつモテたいとか言った?むしろ僕は君好みの男に仕上げるのに一生懸命なのさ!ところで、なんでプリムちゃん、さっきレンくんの名前を・・・。」
ひとしきり巧言令色を並べた後なにげに流そうとしていた話題に触れる。プリムは苦虫を噛み潰したような気分だった。
「あーんもう!ちょっと用事があんの!あと、あたし好みの男になるなら料理が出来ただけじゃ駄目なんだからね!」
「あっ、ちょっ・・・!」
まだ何か言いたそうだった彼を無視して電話を切った。
「あー萎える。」
電話機の前で肩を落としながら深いため息をついた。
「はっ!でも、ごはん・・・うーん・・・まあアイツのことだから大丈夫か。後でかけ直してみよっかな?」
退屈な時間をもてあまそうと考えていた矢先に玄関のチャイムが鳴った。ひっきりなしに、何回も
「・・・ピンポンダッシュなら殺すぞガキ…」
なんとも物騒なことを呟きながらのそのそと玄関のドアを開けた。
「ぁあん!?」
「うわっ!!」
そこに立っていたのはプラスチックのタッパーをかたてに提げたシュトーレンだった。まさかドアを開けたら喧嘩を売っているのかと思われるような酷い形相で睨まれるのだからびっくりしてもおかしくない。
「レンちゃんか。あのね、チャイムそんなに鳴らさなくてもいいから。」
ボサボサの頭を掻いて数回目のため息をまた吐き出した。
「そうなのか。てっきり中の人が出てくるまで鳴らすもんかと思ってた。」
「・・・。」
真顔でそう言われたものだからきっとそう思い込んでたんだろう。これを機に学んでくれたらいいがと呆れつつもきょとんとする相手の表情が少し可笑しく思えた。
「んで、何を作ってくれたの?」
彼女が聞くとシュトーレンは無言でタッパーを差し出した。
「これはすごい!ハンバーグじゃん!!」
受け取りタッパーの蓋を開ける。出来たばかりなのだろう、タッパー自体熱を持っていて湯気も立っている。食欲を誘う匂いにいてもたってもいられなくなったプリムは大事そうにタッパーを抱える。さっきの形相はどこへやら、すっかり綻びきっていた。
「すごい!大好物なんだよ肉!ありがと!!えーっと、そうだ。」
ハンバーグの入ったタッパーを一旦玄関の棚に置いた。
「さすがに作ってもらってタダはアレだよね。今から持ってくる。」
と言って彼女にしては珍しく小走りで中へ財布を取りに行った。
「えーっと、用意してたピザ代で大丈夫か」
台所のテーブルの上の財布を手に取り、デリバリーが来たときに払うつもりだった分のお札と小銭を拾い上げる。
「って、おわあ!?」
早速渡しに行こうとしたらまさか堂々と、シュトーレンはプリムの家の中に入って挙げ句のはてには冷蔵庫を勝手に漁っていたのだ。このような愚行をする人物だとは思いもしなかった。しかも今はあまり中身を見られたくもなかったためかかなり憤慨した。
「ちょっと!人ん家に勝手に入ってんじゃないわよ!!」
だが当のシュトーレンに悪気はなくあるのは好奇心だけだった。
「お前にんじん嫌いなのか?」
冷蔵庫の下の段には大量のにんじんが詰め込まれていた。
「好きだからたくさんあるんでしょうよ。」
「好きだからすぐになくなるぞ!あっ、なくなったばかりだから買ってきたのか!」
わかってもらって何より。しかし今はそんなことどうでもよかった。
「あー、でも見ての通りたくさんあるから少しぐらい持って帰ってもいいよ。」
「お前が好きで残してンなら取らねーよ。」
まさかの気配りに軽く面食らった。
「通りでシフォンが懲りずにそばに置いとくわけだ。」
小さな声で呟いた。ウサギの耳をもってしたら聞こえたはずだが、違うものに興味を示していた彼の耳は素通りだ。
「あ、リンゴ。」
そんな傍ら、真ん中の段の隅っこに一つ寂しげに転がる真っ赤なリンゴを取り出した。
「好きなの?」
プリムは両手で転がしながらまじまじと何のへんてつもない果物をみつめているシュトーレンの姿が妙で仕方がなかった。
「うん。俺も好き。」
そこでプリムはあることをひらめいた。
「そうだ、よかったらそれ切ってあげるよ!」
案の定シュトーレンは食いついた。耳が数回小さく動く。
「ほんとに!?」
「うん。食べ物のお礼にはやっぱ同じ食べ物の方がいいっしょ。」
お金が浮いてラッキー。真意はおそらくそれ。だが、ここまで反応されたらセコい考えを巡らせてる自分に罪悪感が・・・ちっとも湧かなかった。むしろご満悦。
「じゃあそこらへんで適当にくつろいでて。それ以上そこらへん漁ったらぶっ殺すから。」
脅迫紛いの注意を促したら何の抵抗もなしのシュトーレンからリンゴを取り上げて流し台に向かった。
「にしても、用事以外でここまでいれてあげた男なんかあんたが初めてなんだからね。」
不満をこぼしながら、包み込むようにして水でさらし洗いしたあとスポンジに洗剤一滴垂らし泡立てたそれでおもむろに磨き始めた。
「いやあ別にあたしはいいんだけど、万が一あのティノ野郎にばれたなら「どこの馬の骨が」ってうるさそうだしなぁ。」
のろけとか自慢とかそんなのはなく、ただただ本当に鬱陶しそうだった。シュトーレンはテーブルの上にあるメトロノームに興味津々だった為適当にしか聞いておらず、彼女もほぼ独り言だった。
「でもあんたなら大丈夫かもね。ティノ、あんたのこと相当気に入ってるみたいよ。」
まるで他人事のように話すプリムにまさに他人事だったシュトーレンが反応した。
「ティノってあの眼鏡の奴?」
「そうそう。なんか「見てるだけで飽きない」とか「色んなこと教えてあげたい」とか言ってたもん。あのお人好しはそろそろ末期だな。変な方に走りそうで気持ち悪いったら・・・。」
洗剤のおかげで汚れ一つもないテカテカに光っているリンゴをまな板に置いた。
「どんなこと教えてくれるのかな?」
「きっとお前には早すぎることばっかだよ。」
シュトーレンの疑問にあっさりと返し、いよいよ包丁を片手に握った。料理に手慣れている側から見たらさほど危なっかしい動きはなかった。へたの部分を切り分けたらそれをのけてわりかしスムーズに包丁の刃を入れていく。しかし、手際が良いのかと思いきや、ただ適当なだけで大きさはバラバラだった。
「お前・・・下手だな。」
同じ動きしか繰り返さないメトロノームに飽きたのか頬杖ついて次第にぎこちなくなるプリムの様子を眺める。
「ふんだ。あんたから見たらそうでしょーね。」
まともな一品を作れるような者に言われたら強く言い返す事は出来なかった。
「大きさ全部違う。アイツだったら絶対文句言ってる。」
「アイツって誰よ・・・。」
シュトーレンは迷いがない。概ね察しはついていたが。
「シフォンだけど。」
やはり確信したプリムは振り向く。
「言っとくけどあいつよりは器用だからね!!」
ムキになって振り向いた矢先、指先に何か違和感を覚えしばらく固まる。
「あ・・・。
「あ~あ。」
プリムの左手の人差し指に赤い線が一筋入っていた。それはやがて地味な痛みを伴い、切り口から血が流れる。
「あーあじゃないでしょ腹立つ!最悪!うわぁ痛々しい痛いの見れないやだぁ!」
彼女は血を見るのが苦手だった。頭の中はこんがらがり、まずは絆創膏を探そうとしたがらとにかく傷口を見たくなかったプリムは水で洗い流すかの選択に悩んで足が右往左往する。
「大丈夫かよ!」
傍観者だったシュトーレンがようやく立ち上がった。なんせ自分も最近けがをしたばかりだから。一方プリムはもはや誰に話しているかさえ訳がわからなくなった。
「大丈夫よ!思ったより痛くないけど血が!!」
なにもしないうちにすぐに傷が乾くはずなく、微量ではあるが指を伝う血にすら耐えられなかった。
「レンちゃん絆創膏持ってない?ほ、包帯でもいいよ!」
包帯は大袈裟かなとは思いつつもよほど見たくないようだ。
「ばんそうこう?何だソレ。」
彼はそう言って首をかしげる。プリムが「ひえぇ」と呆れよりどちらかといえば絶望に近い気持ちで苦しくなる。
「ふええぇん・・・もう漁っていいから包帯取ってきてぇ・・・白いぐるぐる巻きの布・・・。」
泣き言をぼそぼそと呟きながら水を流そうとする。
「包帯?」
なぜかシュトーレンは動こうとせずに突っ立っている。
「みんな大袈裟なんだよな。そんぐらいの傷ならなめときゃ治るのに。」
「いやいや、そんぐらいとか関係ないからそれ・・・。」
と、流し台に向き直った。すると、何もすせず傍観していただけのシュトーレンが突如プリムの左手首を掴んで、やや強張った彼女の手のひらをもう片方の手で支えながら傷のある指を咥えた。
「って・・・。」
何が起こったかすぐには把握できず、片腕をあげたままの状態で思考もフリーズする。しかし、指を絡む舌の感触とこそばゆい感覚にすぐに我にかえった。
「バカ・・・ちょっと・・・。」
顔はゆだったように全部真っ赤で、口は開いたまま、目は泳ぐ。でも時間が経つにつれて冷静な思考ができるまで落ち着き、本気で抵抗の意思を表示できるまでになった。
「やめろよ!離せ!本気かお前!!」
離せと言われたので離した。もちろん、なんの悪びれもなく。
「んでもって赤くなるとこじゃねーだろバカかあたし!!」
フードを深くかぶって縮こまる。他人に等しい男性に突飛な事をされて引くどころか頰を染める有様。いや、誰に対してもではない。ティノなら殴ってる。とか色々考えても起こった事は仕方がない。
「今度はちゃんとやる。」
「やらんでええわ!!」
とっさに嫌な予感を察してすかさずプリムは体をひねってなんとか逃れた。
「頼むから包帯とってきてよ!もう!」
文句をこぼしながら蛇口をひねって水に指を突っ込む。念入りに、念入りに洗い流す。ただがむしゃらに。必死に擦る。それはもはやまだ残る感触をなんとかして消したいために。シュトーレンは気にする素振りもなく、彼女の言われた物を探すことにした。
「どこ?」
「多分洗面所!あーあんまり入れたくないけど・・・仕方ない。」
他人を入れるには勧めない場所だが諦めた。別に、用事を頼んだだけだし。物を見つけたらすぐ戻ってくるだろうし。
「はぁ〜・・・。」
深いため息。割と疲れた、精神的に。
「あたしばっか動揺して、バカみたい。」
傷口を見る。正直、ただの切り傷だ。もうこれだけ洗えば十分だ。プリムにとっては少しでも彼と離れる時間が欲しかったためのいいこじつけだ。だが、おかしい。包帯を探すのに随分時間がかかっているようだ。プリムは思い出した。包帯は救急箱の中にあるのをまず言い忘れていた事を。助け舟を出すか、いっそ自分で探した方が早いと考えていたところ。
後ろでテーブルが揺れる音がした。
何が起こったかとプリムが振り向いたら、さっきまでの間抜け面のシュトーレンが頭をおさえ机に寄り掛かるように立っていた。
「どったの?頭痛いの?」
深刻でないものと見なして素っ気なく具合を聞いた。
「・・・痛くはない。頭がぼーってするんだけど。」
「するんだけどって言われても・・・。」
やれやれと呆れながら彼の顔を覗き込む。
「ちょっと待ってよ!顔真っ赤よ!?」
これは明らかに「おかしかった」。ただの目眩だと思っていたのに、呼吸は速く、目は蕩けているようにも見えた。ついさっきまでぴんぴんしていたと言うのに。確信を持つべくプリムは手を伸ばして相手の額に触れた。
「そこまで熱くはないけど・・・うーん、でもやっぱ熱はあるわね。」
片方の手を自分の額に当てて比較しながら唸った。
「ほんとにいきなりどうしたのよ。まさか痩せ我慢してたんじゃないでしょーね。」
熱は見てわかるので我慢もへったくれもない。
「痩せるの我慢する奴いるのかよ。多分、薬飲むの忘れたからかも・・・。」
耳を支える力もないのか垂れ下がっている。
「薬?」
どうやらこの症状は今になって初めて起こったものではないと推測した。
「うん。発作ってのをおさえる薬。いつもはちゃんと飲むんだけど。」
それを聞いたプリムはすぐに次にするべき善処を思い付いた。
「なるほど、持病持ちなのね。わかった、とりあえずーそうだなー。」
辺りを一通り見渡し、所謂発作とやらに苦しんでいるシュトーレンの腕を掴んだ。
「薬、ということだからお医者さんに電話するからあんたはそいつが来るまで寝ときな。」
そう言っては半ば強引に腕を引っ張る。
「ほっといてくれたらリンゴだけ食って帰るのに。」
シュトーレンはプリムが何を考えてこれからどうしようとしてるのかなど全く見当がつかない。
「うっさいなぁ。こんな状態でほったらかしにできるほどクズじゃないわ!」
ほぼ無抵抗で引っ張られるがまま足を踏み入れたのは彼女の寝室だった。そこで手を離したプリムが雑に自分の私物や服などをかき集めて白のペンキで塗られた小さなクローゼットに力一杯押し込む。
「汚い部屋で悪かったわね!こうなるなんて思ってもなかったから!」
別に言われてもないのに、自分からやけくそで言ってしまった。シュトーレンは扉のところで突っ立って一連の動作を眺めている。とうとう足を上げて力ずくで閉め切った。
「ふう・・・まあ、こんなもんね。」
ベッドの回りに散乱していた物は大体片付いた。押し込んだだけで微妙にぬいぐるみの頭がはみ出してシュールな絵面を醸し出しているが。
「いい?あそこで寝るのよ。そして勝手に動くな。たいしたことなくてもあたしはあんたの発作がどんなものか知らないんだからね。」
と指図するかのようにベッドを軽く叩いて示す。緊急事態とはいえ、どうにも腑に落ちない。なので、ここは自分の部屋じゃないとなんとか思い込んで・・・。いや、やっぱ無理。このピンクだらけの部屋はまさに自分の部屋。
「しゃーなし・・・ほら、さっさと横になって。」
「わかった。一人にしてほしい・・・。」
だが残念。相殺されて聞こえなかった。あまりに小さな声だったから。
「少しでも気分がよくなったら言ってよね。何してあげられるかわかんないけど。さてと。」
テーブルのそばにピンクの電話がある。少しでも動きたくない彼女はちゃっかり自分の部屋にも置いてあったのだ。あとは、少しでも移動している間に物色されたくないという警戒心。
「・・・一人に・・・。」
ふと顔をあげる。下を俯いてなにやらか細い声で言っていた。不審に思ったプリムは急かすようにシュトーレンの袖を引っ張る。
「ほら、いつまでもぼさっとしてないで!」
俯いたまま動こうとしない。だが動けないわけではないであろう、プリムはさっさと事を片付けたく彼の腕を強く引っ張った。少し苛立ちながら。
「ちょっと!いつまで突っ立ってんのよ!ほら、早く!」
どうせ非力な自分が引っ張ってみたところで微動だにしないのに。いや、体は簡単に傾いた・・・と、思いきやそれは自分の体だけだった。
「きゃあっ!!」
小柄な少女の体は軽々とベッドの上に投げ倒された。すぐに状況がつかめるはずがない。肩に残る強い衝撃が余計に彼女の頭を混乱させる。
「えっ・・・。」
横向きの体をねじり、やっと起き上がろうとした時だった。下腹部に重みを感じたのはやはり、そうだ。シュトーレンが馬乗りになって、そしてまたプリムが言いたそうにしているのを咄嗟に両手でマフラー越しの細い首を締めてきた。もはや状況が云々の場合ではない。圧迫された咽喉では思ったような呼吸も出来ず呻き声しか出ない。
「う、はっ・・・はなせ・・・!」
首を振るなり手を引き剥がそうとするなり、苦痛の中で必死に抵抗しているが、身動きが取れない状態では男の腕力に為す術などなかった。
「おとなしくしてくれるなら放す。」
シュトーレンはそう言ったが首に伸ばした手は力を込めたままだ。目はどこか、虚ろにも見える。こんなことに及んで誰が大人しく出来るのか、それでも言うとおりにしなければ・・・。無理に自らを危機にさらしたくなかったプリムは半信半疑でそっと手を放した。抵抗の気が失せていったのを察したらシュトーレンは両手をのけた。呼吸が楽になり、酸素を欲していた肺から多くの酸素を吸い込んではゆっくり吐き出す。彼はまだ、乗ったままだ。息が荒いのはお互い様だった。
「・・・・・・。」
思うように言葉が出ない。いつも通りの息遣いを取り戻すのはやっとではなかった。解放されたにもかかわらず恐怖が襲ってくる。
「ねえ?どうしたの・・・?」
目も合わせたくない。さっきまで不器用で意味不明だったけどそれなりに優しくしてくれた彼と今の彼が同じ人物なんて考えたくもない。
「わかんない・・・でも、一人にしてって、言ったのに・・・。」
それと何がつながるのか、説明足らずで理解できない。注意だって聞こえていなかった。まあ、したところできっと聞くなんか耳持たなかっただろうけど。
「さっきから・・・何がしたいわけ?突然首絞めたり・・・発作って何?」
足りない事実が、不安が疑心に変わる。
「まさか・・・発作って嘘だったの?」
何かを堪えた声で問いかけた。返ってきたのは。
「嘘って、なんだ?」
そのまんまの答え。だってシュトーレンは嘘をついていない。発作とは、まさにこれなのだから。更に声に力を入れて問い詰める。
「しらを切ったわね!やっぱ発作なんてウソなんだ!こうするために演技して・・・!」
まだ何か言おうとしが言葉はそれで途切れた。シュトーレンが咄嗟にと彼女の口を口で塞いでしまったのだから。
「ん゙っ、んん!?」
今度は先ほどより判断が早く、相手の手をまた剥がそうとするが、恐怖に体を支配されていて思うように力が入らない。更に恐怖に陥れたのは、自分と相手の間で布が強く引きちぎられたような音がしたからだ。それは、自分の方。少しの隙間油断ならない。服の中へ入り込もうとする彼の腕をなんとか退けようとした。あわれにも、少女との力の差は歴然だった。逃れられない絶望感にとらわれている。それでもプリムは涙目ながら声を張った。もうとっくに自分の置かれた状況については理解していた。やっと、口を塞いでいた手は離してもらえた。
「おねがい!やめて!やめてってば!」
既に懇願にも等しい。彼からはどう見えたのだろう。それを聞いてるのか無視しているのか、更にまだ傷痕が薄く残る手を中にまさぐり入れる。握る手にも段々と力が抜ける。
「嫌い。アンタなんか、大嫌い・・・。」
袖で度々目を拭いつつ嗚咽しながら呟いた。シュトーレンは無言だった。
「せめて、なんか・・・言い返してよ!そしたら、もっと・・・!」
嫌いになれたのに。
と言いかけて口をつぐんだ。袖で顔を覆ったまま声を押し殺している。でも再び指が触れるたびにくぐもった声は漏れる。しばらく経ったあと返ってきた言葉は。
「ごめん。」
謝罪の言葉だった。それだけで少しだけ救われた。そして、どうでもよくなった。
「・・・・ねえ、これが最後だと思うから。あたしのわがまま聞いてくれる?」
そう言ったプリムはフードで顔の半分を隠すように深くかぶった。
「最期は愛されたいの。」
―――――――…
「・・・・・・。」
事は終わった。シュトーレンはシグルドに診てもらった。電話をかけたのが終わってからでよかった。彼が来るまでに元通りにするのは大変だった。シグルドが気を利かせて、運び屋に連れて帰ってもらった。シュトーレンはこの事を話すだろうか?いや、無理だろう。だって家に着く頃にはきっと何もかも忘れているから。
プリムの特異体質。体の傷や病気も日付が変われば消えてしまう。しかし、死は不可能。そして、万が一死んでしまえば、彼女の存在も消えてしまう。日付が変われば。
「・・・・・・。」
誰もいない暗い部屋。プリムは銃を自分のこめかみに押し付ける。ひややかな静寂に、銃声だけが鳴り響いた。
それから数日後。
「もしもーし!マーシュいるかー?」
時間は昼間。今日は曇りらしく湿り気味の空気の満ちた林の中の住宅街。似たような家がぽつりぽつらと並ぶ。そこに、黒色のうさ耳のついたフードを被ったシュトーレンが一軒のレンガで作られた小さな三角屋根の家のドアを三回叩きながら中まで届くように声を張った。するとすぐに乾いた足音がこちらに向かってきてドアが開いた。
「はいはいはい!マーシュいますよ!」
慌ただしく出てきたのは白い無地のタンクトップに下は薄い水色に似た色のストライプが入ったおそらくパジャマ、更に裸足とラフを通り越して生活感丸出しの出で立ちの青年だった。
「お前は、確かシフォンのお手伝いさんの・・・。」
瞼を擦りながら欠伸をするあたり、マーシュは今起きたばかりと言える。
「お手伝いさん?俺はシュトーレンだぞ。」
「そうそれ!いやあこんな格好で悪いな。久々の休みだからさ、昼まで寝てて・・・。」
うろ覚えなのが微妙に気に入らなかったシュトーレンはやや膨れ、それをマーシュは察してなんとか話を逸らそうとした。もちろん、シュトーレンにバイトという言葉はわからない。
「マーシュ、お前シフォンに注文してただろ。取りに来ないから届けに来た。」
そう言って流されたシュトーレンが片手に抱えていた荷物を渡す。透明のプラスチックの箱に入っているのは色とりどりの花で飾ってある麦わら帽子だった。
「あー、頼んだなあそういえば。」
マーシュは荷物を受け取って感嘆の声を上げながら隅々まで凝視した。仕上がりには満足のようだ。
「まさかお前がかぶるのか?」
シュトーレンが小首を傾げる。まさかと言わんばかりにマーシュは笑い飛ばした。
「あっはははは!いやいや、俺がこんな派手なもん被るかよ!もうすぐ誰かの誕生日だからさ・・・ほらここにタグついて・・・。」
とまで言って突如黙り、何か大事なことを忘れたように難しい顔をして考え込む。
「あれ?んん??」
「どうした?」
シュトーレンもつられて難しい顔をする。マーシュは帽子に付いている小さなタグをただただ見つめながら唸った。
「なあおい。「Prim」って誰だ?」
「知らねェよ。お前の知り合いじゃないのか?」
他人事のようにあしらわれ余計にマーシュは思い出そうとする。
「いや・・・誰だコイツ・・・。」
そのタグの後ろには更に「4/1」と筆記体で綴られていた。
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