2(※同性愛表現/R-15)


逃げた先は訪れたことのない、ひらけた雑木林だった。というか彼は自分の家の敷地内から外へ踏み出したのはこれが初めてである。木々もそこまで高くはないので日光が燦々と降り注いで見渡しも比較的よかった。鳥の鳴き声や足元を駆け回るリスなど、子供向けの童話に出てくるメルヘンチックさまで醸し出している。特に珍しい風景ではないが、シュトーレンにとってはどれもが面白いものに見えた。

「ん?」

足元に奇妙な生き物がいる。拾い上げようとすると。

「なんだこれ。いった!!」

そこにいたのは一匹のハリネズミだった。手に持とうとするも背中の刺が思ったより鋭いもので思わず手をどけた。シュトーレンはそれでも、袖に乗せる。

「こんな痛いのつけてたら撫でて貰えないぜ?」

すると彼はとんでもない行動に出た。


「あぁん?誰だあいつぁ。」

頭に獣の耳、無精髭を生やした30代ぐらいの中年男性がおぼつかない足取りで林の中をふらついていたら、木の影から何かに夢中になる細身の少年の背中が覗き見えた。

「あの耳は確か・・・。」

少年の頭部から生えている茶色く長いそれは男の中の疑心を確信に変えた。

「三月兎。へぇ、ちょうどいい。男は気が乗らねぇが、薬がない今どうなもならん。」



シュトーレンの右の手のひらは、自身のと小さい獣のまだ生暖かみのある真っ赤な血で濡れていた。滴るそれや、手に数ヶ所針のようなものが刺さった痕から滲み出るそれよりも、疼くような痛みに気持ち悪さを感じていた。

「なめときゃあ治るんだってな。」

割れかけた傷口を舌で舐めとる。とはいえ、血の味の匂いもそこまで好きではないので嫌な顔をしている。そして足元には、見るに堪えないグロテスクかつ不気味きわまりない塊が転がっていた。

「きっと誰かが「かわいー」ってなで回してくれるよ。」

悪意はなかった。罪悪感なんかとんでもない。頭の幼さ故の残酷さほどたちの悪いものはない。可哀想に。

「あんなところに!」

シュトーレンがなにを見つけたか小走りである一本の木の元に駆け寄った。すぐそばまで近寄り顔をあげればその木には真っ赤に熟した林檎がたくさん実をぶら下げていた。

「リンゴの木だ!」

リンゴはアップルパイにはかかせない材料なのをふと思い出す。そこでシュトーレンは考え付いたのだった。

「シフォンはデザートってやつはみんな好きとか言ってたし、好きな物に夢中ならさっきのことも忘れてくれるハズ!!」

口にはしなかったが、シフォンの好物であろうものをご馳走に振る舞えばきっと忘れると思った彼は心で呟いた。喜んでほしいとか、チャラにしようとかは頭に更々なかったが。爪先立をして左手は枝をた掴みバランスを保って力の限り腕を伸ばした。

「~~~~~~・・・だ、ダメかぁ。」

はるか頭上にあるリンゴに掠りさえしないで手が空を切るばかりだ。地面に踵もつけて肩をがっくりと落としてうなだれた。木登りをしようものなら、さっき負傷した右手も必然的に使うはめになる。

「せめて一個でも取りたいな。」

恨めしそうに頭上を睨むもなすすべもなくただ立ち尽くすシュトーレンの側に誰かがやって来た。

「やぁやぁ、三月兎さんかな?」

フードを深く被った長身のやつれた男性が近寄ってくる。少し覗く顔は無精髭が特徴的で彫りが深く、どこか気味の悪い笑みを口端に浮かべていたが反対に生気を失ったような瞳は全く笑っていなかった。

「誰だてめぇ。なんで俺のこと知ってるんだよ。」

本能的な警戒心からか普段より更に乱暴な口調で返す。男はそれを見透かしていた。

「まあそうピリピリしんなさんな。大役である三月兎が決まったつーんだからみーんな知ってるさ。」

男が隣に歩み寄れば同じように木に実ったリンゴを見上げる。シュトーレンの警戒心もあっけないもので、自分の噂を聞き付けた人物とたったそれだけで男は悪い者ではないと決めつけてしまったのだから。

「お茶会をすっぽかしてこんな所で何やってんだい。」

たいした期待もせず自分も男と同じ方向を見ながら言った。

「リンゴが取れなくて困ってるんだ。」

そのリンゴは男からしても相当高い所にあった。諦めるしかないのかとしょぼくれていたシュトーレンの傍らで男はなぜか自信に満ちた堂々とした表情だった。

「俺が取ってやろう。」

まさかの展開にシュトーレンは目を丸くして小さな瞳孔で男の方を振り向いた。耳が感情に連鎖して勢いよく跳ね上がる。

「マジで?ほんとに!?」

「あたぼうよ!俺はガキの頃から木登りが得意でな!」

歓喜するしかなかった。大いに期待も寄せた。自分と違って機能できる両手、高い身長を活かせばシュトーレンが仮に今右手が使える状態であっても倍の速さで取ってくれるに違いない。

「ありがと!よかったらお前も食いにきなよ!」

「それはそうと、取って欲しいんなら条件がある。」

男の笑みには違う雰囲気を帯びていたのに気付かなかった。

「条件?」

きょとんとしている無防備な少年の華奢な腕を男の角張った手が掴んだ。

「お前が紛い物なしの三月兎ならなんなく受け入れられるはずだ。」

「へ?な、何を?」

再び目を合わせた。男の目は己の手の中にある獲物を前にして欲でぎらついていたようにも見える。それがどんな感情を意味するかは分からなかった。

「抵抗しなけりゃ優しくしてやるよ 。」

シュトーレンは、野生的ものでなんとなく危機を察知した。

「離せよ!なんなんだよ三月兎って!!」

男は暴れだす彼の腕をつかまえたまま、背中を空いているリンゴの木に力任せに押さえつけた。片手の自由はきいた。しかし負傷した右手の方だ、満足に抵抗できるだろうか。振り向くこともできたが、気が動転していてそこまで思考がいかなかった。痛い右手、引かれる左手、動けぬ体。自分は一体何をされているのか、これから何をされるのかが全く想像のつかなかったため、混乱だけが頭を掻き回した。

「もう一回言う。抵抗しなければ乱暴にはしない。」

男は低くそう言って、腕を握る手に力を込めた。軋む音がする。

「あ゙ぅ・・・ッ。」

苦痛に喉から絞り出したような声が漏れた。なんともないはずの腕も痛い。

「もしこのままおとなしく言うことに従うんなら、まず空いてる手を木にまわせ。」

「・・・?」

早くこの状態から抜けたかったシュトーレンはそれ彼の言う通りにして木の丸みに沿って右手を回した。男は彼が抵抗するのをやめた意思表示を確認した。だが油断はしない。いつ隙を見て逃げるかわからないので。

「よし、次はもう片方の手を同じようにするんだ。」

掴んでいた手を離す。その部分に嫌に残る、まだ触れられているかのような感触が気持ち悪い。きっと痣か痕かどちらかはできているはずだと考えながら言われた通りに従った。今ならば一瞬でも体の自由がきいたはずだ。彼を狙う視線がそうさせなかったのかもしれない。

「・・・なんだこれ。」

シュトーレンが今の自分の格好に疑問を感じるのも当然。木にしっかりと抱きついてる自分の状況がまるで理解できない。

「なんで俺は木と抱き合ってるんだ?」

誰からどう見てもシュトーレンのその様は滑稽きわまりないものだった。後ろにいた男性は一切表情を変えない。

「そのまま絶対手を離すんじゃねぇぞ。」

「・・・ん?うん。」

もしかしたらこれだけで済むのならなんと楽な話かと思っていた。

「ん!?」

さぞかし驚いただろう。いきなり、服の間に何か冷たいものが割り込むように入ってきたのだから。

「お前、何・・・。」

冷たいもの感触から男の手だとすぐにわかった。シュトーレンは未だに何をされるかわからない。

「なに?何されてんの?なぁ、聞いて・・・。」

おそるおそる振り向いた表情は本当に末路が絶たれ怯えた小動物のよう。垂れ下がった長い耳が時折跳ね上がったりを繰り返している。

「何も考えなくていい。」

その様が余計に男の支配欲を駆り立てたのか、手の動きから優しさというものはなくなった。

「えっ・・・やだ!やだやだ、やめて!怖い!」

頭の中が真っ白に飛んだ。まだ及ぶには早かった「行為」と身体の中に無理矢理押し込んでくる異物感と、それからは衝撃やらが色々と一度になって責め立ててきた。

「・・・どこに、っぁ、入れて・・・。」

ごく一ヶ所を執拗に弄る。誰が一体偶然会っただけの見知らぬ男からこんな辱しめを受けるなどと考えて出歩くだろうか。

「どうだい。痛くないか?」

顔を背け、身体は緊張で強張り、息は詰まりそうで苦しい。

「・・・・・・。」

黙って頷いた。正直なのがいけなかった。否、もう何を言ったって手遅れなのだからこれからのことを考えるとやはり正しかったんだと。男は乱暴を働きたいわけではない。行為自体を正当化するつもりは更々ないが、のちにわかるであろう。

「・・・さすがだな。お前が女なら楽しめたんだが、選んでる余裕はない。」

「・・・?」

すると蠢いていた異物が抜かれ、男が後で意味深で意味不明なことを呟きながら何かしら動作を始めた。

「次は何されるんだろう。終わりならいいんだけど。」

と、一時の解放感の間に呑気なことを考えていた。


安堵したのも束の間だった。一瞬だった。

「・・・ひっ!?」

突如、細身の体躯を電流で貫かれたような衝撃が走った。声すらも詰まり、体に力が入る。手でもない。冷たくもない。明らかにさっきのよりかは一回りか二回りほど大きい何かを無理矢理中に押し込んでくる。

「何するの・・・何入れてんだ!やめて!怖い、やだ!んっ!?」

うるさい口を塞がれる。耳元で囁かれた。

「騒いだらもっと酷い目に遭わせるぞ。」

本能的な恐怖を感じた。そういえば男からも自分と同じ獣の匂いがした。きっと獰猛な獣なのかもしれない。所詮かよわい草食の獣には敵わないような。下手をすれば、それこそ・・・。自分の身のためなら完全に従うしかなかった。

「やっぱ厳しいか・・・。」

とは言うものの男は更に熱い昂りを強引に捩じ込む。首を強く横に振った。わずかに拒絶の意思を見せるも虚しく、ついには全てを受け入れてしまった。口を塞いだ手の力を緩めた。もう遅いのをわかっていて。

「・・・嫌、こんなの・・・。」

他人の体温が中を支配するのは気持ち悪かった。違和感に圧迫されるのは嫌だった。嫌な事づくしだ。でも、心とは別に体は早くも適応しようとしていた。

「どうにかしてよ・・・このまま、ずっとなんてやだ、おかしくなる・・・。」

開いた口に薬指が侵入する。上から下まで支配されているのを否応なく理解してしまった。

「お前も俺も元からおかしいんだよ。心配すんな。」

再び塞いだ手に力が入り、今度は一連の動きが始まった。

「慣れればいずれ、お前の方から求めるようになるさ。」

男は下衆な笑みで口を吊り上げて、澱んだ瞳で見下ろした。そうしてやがて果てるまで。



―――・・・。


「んー?」

枯れ葉の絨毯に乾いた足音を立てながら、ティノは拓けた林のなかを歩いていた。両腕には沢山の荷物が入ったビニールを提げている。

「気のせいかなぁ。今向こうの方からレン君の声がしたんだけど・・・。」

何かに勘づいて立ち止まって、耳をピンと立ててしばし澄ませてみる。だが、声の具体的な方向も、ましてや姿さえも見えず、そもそも聞こえた声ははっきりしたものではなかった。

「なぁんだ。やっぱり気のせい、か。」

やれやれと一息ついて重い荷物に両腕をぶら下げながらゆっくりとした足取りで帰路へとついた。


<・・・―――――・・・>



「・・・う、っん・・・。」

どういうわけか木の麓でシュトーレンは横たわっていた。疲れ果てて眠っていたところだ。元々服に乱れは少なかったのもあるが、ご丁寧に何事もなかったかのように元どおりの状態だった。怪我をした右手には包帯が巻かれていた。たまたま持ち合わせていたらしいが、こんなところで優しさを見せられても・・・。でも純粋な彼はたったそれだけで「いいところもある」だなんて思ってしまうのだからなんと健気な事だろう。

「あっ、そうだ・・・。」

ゆっくりと身体を起こす。行為に及んでる間はすっかり忘れていた、あれを。

「りんご・・・!」

だがうまく力がまだ思ったように入らない。必死に声を絞り出す。しかし、そこに男の姿はなかった。

「・・・。」

しばらく思考を巡らせる。シュトーレンにはまだ「裏切り」がわからない。

「・・・どこ行ったんだろ。」

いや、裏切られていなかった。

「あれは・・・!」

ずっと求めていた真っ赤な果実が一つ、その先に数個ほど、無造作に転がり落ちていた。

「リンゴだ!」

一番近くのリンゴを手に取った。右手の乾いた傷口こびりついている物とは違い綺麗な赤色をしている。手のひらにあるのは確かに質量を持っていた。

「やった!リンゴだ!!」

生気と元気が戻ったシュトーレンはその後もそこらかしこに落ちている形のいいリンゴを拾っては腕の中いっぱいに抱えた。

「嘘じゃなかったんだ!でもいつの間に?」

「んー。誰だい、全く・・・。」

突然、木の遥か上から怠そうな少年の声がした。気配という気配は全くなく、空気が喋りだした錯覚にも感じた。耳をそば立て顔を上げた。

「猫の寝床を揺らすのは君かな?」

茂る葉っぱから逆さまに上半身だけ覗かせたのはチェシャ猫だった。枝にぶら下がっているだけなのだろうがシュトーレンからしてみたらさぞ不気味だったに違いない。

「猫と寝床って似てるよね。」

「知らねェよ!誰だ、気持ち悪い!」

驚きを隠せないシュトーレンに対し気持ち悪いと言われて尚、チェシャ猫は笑顔だった。

「猫はチェシャ猫だよ。君は三月兎のシュトーレンだね。」

名乗る前に名前を言われ言葉をなくした。

「もしかして、猫を落とそうとしたのは君かい?」

シュトーレンは首を横に降って否定の意を露にした。存在自体気づかなかったのだから、両方とも。

「ていうか気づかなかったのかい?すごいね。しかもよく頭に落っこちなかったね。すごいねぇ。」

チェシャ猫は木から飛び降り軽々と着地した。小さい葉っぱが宙に舞う。

「君は一体ここで何してたの?」

それに対しシュトーレンの表情はなぜか誇らしげになる。

「おっさんがリンゴとってくれた!」

「・・・とってくれた?」

チェシャ猫は首を傾げた。

「誰も登ってないよ、多分。よくわかんないけどさっき揺れた時に落ちたんじゃないかなと猫は思うんだよね。」

「・・・へ?」

勿論、何も知らないチェシャ猫に悪気はない。しかし。

「それでもとってくれたんだよ!」

と事実を理解しようともしなかったシュトーレンはあてつけるように言い返した後、意味深なチェシャ猫の笑みにうんざりして膨れっ面でリンゴの木から離れて枯れ葉の道を進みどこかへ歩いていった。

「まあいっか。おやおや?一個お忘れだね。」

シュトーレンは気付いていない。あれだけ両手いっぱいに抱えているんだからひとつぐらいおこぼれに預かろうと、見落とされたリンゴを拾い、チェシャ猫も再び葉の中に消えていった。


・・・>>



帰巣本能が自然にシュトーレンの足を、一つの場所に吸い寄せられるように動かした。

「レン!!お前一体今まで・・・。」

林の拓けた先に広がる見慣れた景色。長い長いテーブルに並ぶ沢山の食器。そして、そこにいるのは決まった二人。真っ先に自分を目の当たりにして声をかけたのはシフォンだった。ただ、シュトーレンの様子がいつもとおかしいことに気づく。

「ただいま。」

力の抜けた声でそう言ったきり、シフォンが勢いよく立ち上がる。右手あたりを血で汚しているのが顕著だが、さすがのシュトーレンも疲れは残っていて。足取りもどこかおぼつかない。

「どうしたんだ!その怪我は・・・随分疲れてそうだし、何があったんだ?」

足早にこちらに歩み寄ってシフォンはおもむろにシュトーレンの右手を引き寄せる。その拍子にリンゴが一個地面に落ちた。

「あっ、リンゴ・・・。」

拾おうとするも中々そうはできなかった。

「フラン。玄関に救急箱があるから取ってこい。」

「・・・シフォン。獣の匂いが強いわ。」

フランネルは眠たそうな瞳を擦りながら、そうとだけ言って三月兎の家へ向かった。

「お前・・・うわっ、こいつは酷いな・・・。」

消毒するため、包帯をいったん解く。傷だらけの手は思わず目を逸らしたくなるほど生々しいものだった。普段目にしている気取った様子は見られず、だが彼をしかりつけるわけでもない。ひどく焦っているシフォンをおそらく初めて見た気がした。

「これはハリネズミよしよししてたらこんなんなった。」

心配そうな相手をよそに素っ気なく返す。

「ハリネズミ撫でただけでこうなる?」

呆然としているシフォンを構うことなく、あっさりと手を離したのを隙にシュトーレンは足元に転がっているリンゴを拾った。

「こら!・・・そのリンゴ、誰かに貰ったのか?」

不思議そうに拾い上げられたリンゴをまじまじと眺める。それに対してシュトーレンは珍しいものを見せびらしてくる幼い子供のような無邪気な笑顔だった。

「通りすがりのおっさんにとってもらった!」

それだけで彼の身に何があったか思い浮かぶほどシフォンの想像力はない。シュトーレンは更に続けた。

「てもその前に色々あったんだぞ!最初は怖かったけど、途中からよくわかんなかった。」

これさえ言わなければ、「それはよかったな」で終わったはずなのに・・・。



シフォンがひどく血相を変え叱責の声をあげたのは。

「馬鹿かお前は!!!」

後ろで白く真新しい小さな箱を手に提げて駆け寄ってくるフランネルも驚いて立ち止まる。当然シュトーレンもこんな剣幕を浮かべる彼が理解できなかった。

「いや、だってほら、シフォン怒ってたじゃん。だから何か作って・・・忘れてもらおって・・・。」

「そういう事いってるんじゃない・・・。」

言い訳がましいが言ってることはありのままの本音だった。シフォンも誰に向かって怒鳴っているつもりは更々なかった。責めているのは自分だ。ほとんどのきっかけは自分なのだから。

「なんということだ・・・。」

シフォンは悩ましく頭を抱えた。そして後ろにいるフランネルに告げた。

「何もないとは思うが念のためだ。病院に予約とってくれ。救急箱。」

フランネルはシフォンに救急箱を渡したがすぐには動かなかった

「とってあげるのになんで殴る必要があるの?」

「いいから早く!」

切羽詰まった催促に何か違うものを感じつつあったフランネルは黙ってまた家の中へ入る。

「シフォン。俺はどうしたらいいんだ?」

呑気に尋ねる彼と、まだ痛々しいままの右手を目にして深いため息をつきながら。

「何もしなくていい。僕が悪かったんだ・・・。」

と呟いた。




夜。自分の家の部屋にて。

「・・・うーん。」

ベッドの上。仰向けになったり、横に寝返ってみたり。なかなか眠気がこなかった。しかし、暇をもて余す術が浮かばずシュトーレンは退屈で仕方がない。

「・・・・・・。」

ふと、今日あったことを思い出した。なにを考えたか知らないが、腰にそっと手を回した・・・しかし。

「むりむりむり!!」

慌てて首を横に振る。本当になにを考えたのやら。

「慣れればいずれ、お前の方から求めるようになるさ・・・か。」

あの男の言葉が引っかかる。とはいえ、初めてがああでは、とても。

「俺から!?まさかまさか!!」

今度は体をあっちこっちへゴロゴロ。よほど全否定したいのが伺える。だが、少々大げさすぎた。勢い余ってベッドからその身ごと、見事に落下。

「いってえ!!」

脇腹を強く打って身悶え。一人で勝手に暴れて勝手に苦しんでいるのだからとても滑稽だ。

「・・・アホらし。寝よ。」

しばらくして冷静になったシュトーレンは考え込むのをやめてベッドに潜った。目を閉じていればそのうち眠りに落ちるだろうと思っていたらおよそ三十分ほどで夢の中。最初からそうすればよかったのでは?

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