特別事象 帽子屋の場合1



「ただいま。」

外は雪が降っていた。見た目には似合わないと馬鹿にされたやけに大人びたコートも真っ白、頭の上は冷たい。こんな寒い思いをして仕事から最初に出迎えてくれるのは決まって姉さんだ。

「おかえり、今日は遅かったのね。」

向こうから見える車椅子。僕とほぼ同じ顔の女性。それが姉さん。名前はエイダ。体が弱く、その上事故により足が動かない。なんてかわいそうな姉さん。かわれるもんならかわってあげたい。

「珍しく残業さ。僕がやらかしたんだよ、仕方ない。」

会社勤めの僕は、なるべくいつも通りに退社してはできるだけどこにもよらずまっすぐ家に帰るよう心がけているが、毎日そう上手くいくわけにもいかず。コートやマフラーを椅子にかける。

「今日は帽子かぶってた方が良かったんじゃない?」

「濡れるものが増えるからいいよ。」

「そう・・・今日はお肉をサービスしてもらったの。だから、ルートの好きなあれを買ってきたの。」

「本当かい!?」

ルートとは僕の名前の略称。姉さんが買い物に行って、僕が帰ってから夕飯を作る。足がそんなんだから無理をするなと再々注意しているにもかかわらず聞いちゃくれない。悴む手を水で洗う。冷たさに耐えながら。そして夕飯の支度をする。ああ、楽しみだ。今日は僕の好きなものが食卓に並ぶんだ。




最高だった。上質な肉、新鮮な野菜、温かいスープにそれから、赤ワイン。そう。僕のたまの楽しみだ。普段は最低限の食べ物以外の贅沢は極力しないようにしている。だからたまに出てくるコイツがどれだけ楽しみか。お風呂も済まし、明日も仕事。夜更かしはしない。寒いし、さっさと寝てもいいが。

「あら、また書いてるの?」

僕の部屋。祖父が使っていた書斎をそのまま使わせてもらっている。寝る前にこうやって自分で物語を作って紙に記すのが趣味だった。暗い趣味とは言われるが気にしてはいない。人にどうこう言われて止めるものではないからな。

「まあね。」

ここに理解者、または読者もいるわけなんだし。邪魔にならないところから覗き込んでくる。

「この話、途中で行き詰まってるんだよね。自分で始めた好きなことで考えるのは悪くない。でも、やっぱ大胆にストーリーを変えた方がいいのかも?」

姉さんに意見を求めてみる。

「私は好きよ。存在するお話を元に書いてあって、主人公がいなくなったらどうなるのか。なにも起こらず世界は回るか、行動を起こすのか・・・このお話は後者を選んだのね。好き放題書けばいいと思うわ!」

分析してくれたのはありがたいが、最終的な意見はめちゃくちゃだった。楽しそうに話す姉さんを見たらそれでいいかとも思えてしまう。

「ふぁ・・・。」

あくびまでする。本当に自由奔放だ。

「眠いなら寝ればいいじゃん。続きなら読ませてあげるから。」

「もう少し起きてられると思ったのになぁ。」

別に無理をしてまで付き合わせようとは思わない。車椅子をきりかえ、「おやすみ」と言って姉さんは僕の部屋を後にした。

「さて・・・。」

こっちの眠気は全くこないわけだが、頃合いを見て終わりにしよう。

書いているのは「不思議の国のアリス」を元にしたお話。もしこの世界に主人公が一向にこなかったらどうなるのか、というもしもの話を書いている。おそらく、アリスは彼らにとって勝手にお邪魔されてるどうでもいい存在。お構い無しに物語の世界は回る。が・・・誰かがアリスという少女が主人公だと気づいたら?

「なんて・・・。」

大人が書くにしては幼稚な話と文だ。しかし、それがいい。堅苦しい文面はもううんざりだ。気が乗ってきたな、明日の仕事にこたえるかもしれないが、結末までかけそうな気がする・・・!



-ほう、偶然見つけたがこれは面白い。-

-これを私のいずれ住う世界にしよう。-

「うわっ!!」

急に体が浮いたと思えば背中を強く打ち付けた。僕はまだ寝ていない、寝落ちして椅子から落ちたのはあり得ない!いや、あり得ないというなら・・・この状況がまずあり得ない。瞬きをしたら目の前の光景が一変していたのだ。ぎっしり本の詰まった高い本棚がずらりと並んでいるのに図書館と言うには異質。空想のような、幻想的な空間。いや、やはりこれは夢か?では背中を打った時の痛みはなんだ?

「ほう?君の住む世界の人間ならもっと驚くと思ったのに。」

本棚からひょっこり顔を出したのは金髪のロングウェーブの少女。一言でいうととても風変わりな服を着ている。

「驚いているに決まってるだろう。急すぎてなにが起こったかわからない、茫然というやつだ。そんなこともある。いや、これは夢だな。夢の中で夢の意識があるのは明晰夢というんだっけ?珍しいな・・・。」

現実逃避のためか独り言が止まらなかった。実質そうだし・・・。すると。視界に一瞬何か長いものが映ったような。

「うぉわ!?」

腹部に強い衝撃を喰らった。棒で脇腹を叩かれた。広い景色がすごい勢いで流れていき、さっき打ったばかりの背中にもっと強い衝撃が。ついでに腰、頭。上半身のありとあらゆる場所に痛みが走る。特に一番痛いのはダブルで打撃を喰らった脇腹だ。

「がはっ・・・!」

腹の横を鈍痛が支配する。打ち所が悪ければ胃の中のものをぶちまける無様を晒していたところだぞ。

「馬鹿者。ここは世界を管理する間だ。といってもどうせ伝わらんし面倒だ。異世界と認識してくれ。」

何を言っても伝わらん!意味不明、という意味でだ!夢ではない事は痛いほどわかったがな。

「いってて・・・で、君は何者だい?ここはどんな場所?なんで僕はここに?」

質問が次から次はポンポン出てくる。苛立ちからか早く状況を理解したい気持ちはある。できそうにないけど。少女は僕をぶん殴った棒をマントの中に仕舞い込む。ますますファンタジーだ・・・。

「私の名前は・・・特にない。管理者と呼んでくれたまえ。この空間と中にある世界を見張る者だ。」

「・・・・・・。」

聞いた僕が悪かった。やはり理解できそうにないです。言葉も出ない哀れな僕を無視して話は続いた。

「この場所はね。いろいろな世界を管理している場所さ。例えば、これ。」

少し背伸びをし、つま先たちで本棚から手に取ったのはやたら分厚い本。

「君の住む世界。見た目は本の形をしているが、ここには地球が誕生してから今までのことが全て記録してある。この地球でどんな変化、歴史の変化があったか。さすがに住人全ての記録までは記されていない。」

馬鹿げた話だ。人類の歴史はしれたものだが地球が生まれてから今までは何十億年単位だ。本当に全てが書かれているのであればこんな六法全書ぐらいの厚さの本に収まるわけがない。どう省いたって不可能だ。「なになにがこうなりました。」という文字を羅列するならギリギリかもしれないが。

「僕らの歴史が、こんな本一冊に?」

「ああ、君は読めないよ。」

はいはいそうですか・・・。

「そしていま、各個人の記録までは・・・と言ったが人の生み出し想像した物語となれば別なのだ。」

随分また話が飛んだような?

「例えるなら子供が考えた幼稚な勧善懲悪から意識を毒された者が描いた胸糞ファンタジーまで、誰かが作った物語が一つの世界となり、その世界も管理している。だって物語の中には世界があるだろう?」

わかるような、わからないような。つまり、僕の住む世界にも沢山あるお話が全て世界として存在していることになる。意味はわかるが、やはり信じられるわけがない。だって、そうだとしたら。

「言われていることについては大体わかる。しかし、そうしたらキリがないのでは?」

ああ、真面目に付き合っているのがバカバカしい。

「その通り!世界は増える一方で無に還る程綺麗さっぱり消えて滅びるなんてことはまずない。一人の記憶にでも残っていたら世界は存在しなくてはいけないのだ。」

なんのスイッチを入れたか知らないが、管理者とかいう少女は抑揚のある高らかな声を張り上げた。一瞬だけ。

「私は一人ではない。他にもたくさんの私がいてね。抱えきれなくなればその都度増え、それぞれの同じような場所で管理する。個体差はあるが、私みたいな人の姿をしている奴はそうそういないぞ?」

「・・・管理って具体的にはどんなことを?」

「それは秘密だ。」

あつ、そう・・・。

「で、僕はなんで・・・。」

「まあ話はちゃんと聞きなさい。」

注意された!なんか腹立つ!おっといけない、これぐらいで躍起になっては大人とはいえない。話を聞けと怒られるのは子供で十分だ。

「管理者は基本的に勝手に世界を創造する事は禁じられている。だが、自分と相性の良い適合性のある世界を見つけるとそれを我が物に出来、運が良ければ世界の一部になることもできる。」

それはとても壮大な話だな。帰りたい。

「そうするとやっぱメリットはあるのか?」

「パワーアップする。」

「パワーアップ・・・。」

「他にもいろいろ良い事はあるが、これも外部には言えない。」

なんだよそれ!だめだ、ツッコミが止まらない!頭がおかしくなりそうだ。

「数ある世界の中からそんなのは探そうとしてもすぐ見つかる物じゃない。雀の涙さ。その中で偶然見つけてしまったのが・・・君が描く物語。」

僕が描く物語。そこでやっと冷静さを取り戻す事が出来た。このへんてこ空間にくる直前まで紙に書いていた創作物。こいつがどこのどいつかは知らないが、名もない人の趣味でしかない物語もどきに目をつけた、ということか。大体この話は誰にも話してはいないし紙はずっと家の中。知る術がない。いつ知った?

「で、僕を呼んだの?」

聞きたい事は山ほどあったが。

「そりゃあ君、好きな物語の作者に会いたいと思うのは至極当然ではないかな!?」

わかる。わかるが、僕はそんな大層な者ではない。

「それに、私にも一応多少の礼儀やらはある。」

人をこんなところに勝手に呼び出したやつに元々求めてはいない。

「作者の許可は得ないとね。何、我がものにするとはいえ、世界そのものを支配するわけではない。手に入れさえすれば基本的には放置だ。」

しばらく考える。いや、交渉するための言葉を選んでいるんじゃない。ここまで話を引き伸ばしておいて、結局僕にとっては意味がないんだと。許可を得たい。その心遣いだけはありがたく受け取っておこう。でも放置するんなら僕がどうこういう筋合いはなくないか?

「別に構わないよ。それなら僕にも関係ないし。話は終わりでいい?」

早くここから出たいんだ。本格的に頭がイカれてしまいそう。空想は空想の中だけでいいというもの。



「君もこの世界の住人にならないかい?」

「・・・は?」

出られるかどうかもわからないドアに向かおうとした僕を言葉で止める。


「素晴らしくないか?自分の紡いだ世界の住人になれるんだ。」

最後の最後に、ここまでふざけた戯言を聞かされる羽目になるとは思わなかった。

「・・・考えた事ないな。」

僕は現実は現実、空想は空想の区別がはっきりとできる人間なんだ。これは空想。身に起こっていることだがこれは現実ではない。違う。

「ふざけた場所で、ふざけた奴が、ふざけたことを言うな。いいか?僕はまだ信じ切ったわけじゃない。こう見えていい大人だ。そんな話にのるわけがない・・・どのみち無理だ。」

そう。もしあり得る話だとしても断るしかない。


「僕には家族がいる。早くかえしてくれ。」


戻るべき場所がある。

だから僕は空想に逃げている場合じゃない。


「そうか。良いだろう。私たちはまた出会える。あ、勘違いしているようだからついでに言っておくが私は男だ。」

「えっ・・・。」


そこで視界が暗くなり、再び目を開けると自分の部屋だった。床に座り込んでいる状態だ。頭がぼーっとする。見た目はまさに美しい少女がまさかの男だったというショックに気を失ったのかと思っていたが、そうじゃないことにホッとしたっていうか・・・そんなことに気が狂った自分は何なんだとか・・・。痛みが残る腹部をさする。あれは、一体?夢?幻?

「・・・寝よう。うん。きっと疲れているんだ。」


今起こったすべての出来事を体調不良のせいにした。おそらく一生忘れられない出来事だろうが、気にしてばかりもいられない。


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