No.3 三月兎の場合




孤独ー・・・。


子供の頃から愛が足りなかった、というわけじゃなかった。ただ、何かがちょっとだけ、周りと違っただけだったんだ。


俺の母は娼婦だった。たったそれだけだった。父は暴力を振るう人だった。働きもせず、酒に溺れてはさらなる怒りまかせ、俺や、俺を庇う母の背中を蹴っては身体中に傷と痣を残す。いい記憶なんて、なにもなかった。母は隙を見て、俺を連れて遠い街へ逃げた。ボロい家だけど構わない。危険のない場所にいられるだけマシってもんだ。


でも、やはりなんとなく予感はしていたんだ。これだけじゃ終わりにさせてくれないと。


まだ子供の俺のことを考えて、母親は新たな父親と結婚したが、結局浮気されて逃げられた。そしてあの父親が家にまで追いかけてきて、金をねだったら断られて・・・俺は子供だ。子供に向けられる、鈍器。あぁ、そんなもので小さな頭をかち割るつもりか。正気じゃあない。もう、こいつはダメだ。生きてちゃダメだ。なにより、死にたくない。そばで倒れる血塗れの母親を見て、気づけば恐怖が違う感情を伴って足を、手を動かしていた。もう二度と、人の肉を刺す、あの不気味な感触を忘れないし、繰り返したりなんかしないだろう。


そう思ってた。でもー・・・。


どこかで聞いたことあった。虐待を受けた人は同じことをする、と。あんなもの、ただの偏見だとしか考えてなかった。


「・・・・・・。」

足元にうつ伏せで倒れている。若い女。

俺は彼女を愛していた。彼女もまた俺を愛していた。そう思っていたんだけど。結局愛していたのは俺の方だけだったようだ。たったそれだけなのに。それまでは幸せだった。お互い似たような境遇で、足りない愛を優しさで埋める、幸せな毎日だった。


でも、お前の心の穴を埋めるのは俺の優しさではなく。一夜程度で遊んだ男の金だった。


虚しい。


たとえ今から成り上がろうと過去は変えられない。


薄汚いボロ家で育った娼婦の息子という過去は変えられない。

親殺し、恋人殺しの事実も変えることはできない。

ああもう、罪から逃げ回ることにも疲れた。


なんでもっと早く死ななかったんだろう。そしたら、もしかしたら母親のいる天国に行けたかもしれないのにな。なんて、俺は天国も地獄も神様とかいうものも信じちゃいねえ。こんな不平等を強いる存在が神様であってたまるものか。


痛いのは嫌だが、仕方ない。しばらくすれば、すぐに楽になれる。ナイフを自分のほうへと持ち変える。腹を刺すか?首なら確実だろうが、正直うまくいく自信がない。心臓は、さすがに怖い。


まだ微かに震える手を前に出す。勢いをつけるために、ひとおもいに死ぬためにー・・・。

「中々勇気のいる死に方だな。僕にはとても真似できないよ。」

突然、声がした。知らない声だ。ガキとも大人ともいえない、落ち着いた男の声。だが部屋には俺以外誰もいない。いないのに、すぐ目の前から声がする。はは、まさか。そんなばかな。俺は信じちゃいないぞ、幽霊なんてものもな。

「幽霊じゃないよ。僕は生きている。君も・・・ああ、これから君は死ぬんだったな。」

腹が立つな。他人事とはいえ、自ら命を絶とうとする人間にかける言葉がそれか?

「まあそういうなよ。君は死ぬ、しかしまた生きるのだから。」

は?なに言ってやがる、こいつは。生まれ変わりの話か?もしや、お前が神様とかいうやつか?だとしたら聞きたいことがある。なんで俺はー・・・。

「こんな目に遭わなきゃいけないのか、だって?それは、これから君がいう言葉でもあるのかもしれないね。なんてね。」

ますますなにを言っているかがわからない。というか、さっきから俺は一言も話してないのに、なんで俺の考えてることがわかるんだ?

「気になるならさっさと逝け。こちらの世界に。」








ー・・・。

「なんで俺がこんな目に遭わなきゃいけねーんだよ!!」

洗ったばかりの燕尾服が早くも獣の毛やら鳥の羽やらで汚れまくってる。その元凶の元凶は、少し離れた場所で優雅にティータイム中だった。

「仕方ないだろう。風で帽子が飛ばされてて、落ちた場所にたまたまそばにいたのが君だったからついでに頼んだまでのことだよ。」

シフォン。俺の家の庭を勝手に借りて好き放題しているやつだ。なんでこうなったのか正直よく覚えてない。あいつは帽子屋。お気に入りの帽子が風に飛ばされ、拾ってこいと言われたんたけど、片手にはテーブルに運ぶ途中のデザートを持っていたせいか、茂みに隠れていた動物や鳥に狙われ、デザート共々めちゃくちゃにされたのだった。

「お前のだからお前がとりにいけばいいだろ!」

「フン。餌になるようなもの、置いていけばよかったじゃないか。それに君がたいそう自信いっぱいのこの新作のケーキに夢中で体を動かすことを許してくれないのさ。」

・・・・・・。褒められて悪い気はしないが、それとこれとは別だと思う。しかし、気のせいだろうか。妙な懐かしさを感じた。一体、いつ、どこで、なんで?

「おい、紅茶のおかわり!」

またもシフォンに呼ばれ、慌ててもてなしにとりかかった。なんだかんだこき使われてても、楽しい毎日ではある。

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